李氏朝鮮時代のドラマを見ていると「外知部(ウェジブ)」という言葉が出てきます。
「弁護士のような存在」と紹介されることもありますが、実際に李氏朝鮮時代に弁護士はいたのでしょうか?
この記事では外知部が本当に存在したのか、そしてドラマで描かれる姿は史実とどう違うのか詳しく解説します。歴史的背景から役割、そして彼らがたどった運命までを紹介しましょう。
外知部(ウェジブ)ってどんな職業?その正体に迫る
ドラマでたまに見かける外知部(ウェジブ)ですが「本当に朝鮮時代に弁護士っていたの?」と思うかもしれません。でも外知部は李氏朝鮮時代に存在しました。
外知部(ウェジブ)とは李氏朝鮮時代に活躍した民間の法律専門家。
よく「弁護士」と紹介されます。弁護士と外知部は似ているところもありますが、違う部分もあります。むしろ「司法書士」に近いかもしれません。
彼らは漢字が読めず、法の知識がない庶民に代わり訴訟に関する書類作成や弁護を有料で請け負いました。
庶民が訴えを起こしたい時、あるいは訴えられた時に法律用語や手続きが分からず困ることはよくありました。そんな時に外知部は彼らの味方になって法廷での裁きを有利に進めるための手助けをしたのです。
歴史書に残る外知部(ウェジブ)の記録
当時の公式な歴史書である「成宗実録」にも外知部の記録が見られます。
「成宗実録」に残る「外知部」の記録
成宗3年(1472年)の記録にはこのような文章があります。
「外知部と呼ばれる者たちは常に役所の近くにいて原告や被告を密かに唆します。また彼らは自ら訴訟を代行し、是非を乱して役人を惑わせ判決を困難にしています。該当官庁に命じて調査し処罰してください!」
「朝鮮王朝実録:成宗実録」
また成宗9年(1478年)の記録にはさらに詳しい記述があります。
「無頼な者が常に訟廷に居座り報酬を受けて訴訟を代行したり、人を唆して訴訟を起こさせ文章の技巧を弄して法を愚弄し、是非を転倒させて混乱させます。世間では彼らを外知部と呼びます。訴訟が頻繁になるのは実にこの輩のためなので、厳しく懲戒して奸智を働かせないようにすべきです。」
「朝鮮王朝実録:成宗実録」
これらの記録から外知部が実際に存在して当時の社会に影響を与えていたことがはっきりとわかります。そして彼らが当局からは好意的に見られていなかったことが分かります。
外知部(ウェジブ)の起源は?高麗時代からの変遷
外知部の起源は李氏朝鮮王朝の前の時代高麗時代に遡ります。
「外部の知部」を意味する名称
外知部という名称は文字通り「外部の知部」を意味します。外の「知部」という意味ですが。
では「知部」とは何でしょうか?
高麗時代の「都官知部」が始まり
高麗時代には都官知部(トグァンジブ)という役所がありました。この都官は奴婢の簿籍や訴訟に関する仕事を専門に行っていました。
知部とは刑部に所属する従三品(じゅうさんぽん)の官職名である知部事のこと。つまり知部事が都官として派遣され、奴婢の訴訟判決を行うのが都官知部の役割でした。
刑部とは当時の法律や訴訟そして奴婢問題などを扱う重要な部署です。
朝鮮王朝時代の「掌隷院」への移行
都官知部は時代とともに名称を何度か変えました。そして朝鮮王朝時代になると掌隷院(チャンネウォン)と呼び名になり同様の仕事を行うようになります。
やがて官職には付いていないけれども、掌隷院の仕事を請け負う人を外知部と呼ぶようになりました。
外知部はやがて奴婢だけでなく他の訴訟にも適用されるようになりました。彼らは役人ではありませんが、専門知識を活かして庶民の訴訟を助ける存在として活躍したのです。
知部事という資格があるわけではありません。もちろん法律の専門知識が必要ですが、名乗れば誰でも知部事になれるのです。
例えばドラマ「推奴-チュノ-」の第23話で奴婢団が襲撃したのがこの掌隷院でした。奴婢の管理や訴訟を扱う場所としてドラマにも登場するほど重要な機関だったことがわかります。
外知部(ウェジブ)の主な活動内容
外知部は具体的にどのような活動をしていたのでしょうか。
嘆願書の作成支援
彼らの主な活動は地方官(守令(スリョン))に提出する嘆願書の作成を支援することでした。
朝鮮王朝時代には、対立する者同士が長官に書類を提出する形で行われる訴訟が一般的でした。特に墓地権に関する訴訟は頻繁に発生したと言います。
今もそうですが、当時の法律関係の嘆願書には経験のない者には理解できないほど難しい知識や書き方がありました。このため専門知識を持つ外知部が求められました。
訴訟代理の慣行と禁止
朝鮮初期には外知部は代理訴訟にも関わり、当事者に代わって長官の前に出廷することもあったようです。
でもこのやり方は成宗の時代、1478年以降に禁止されます。
主な活動地域
外知部は主に漢城(ソウル)地域で活動していました。成宗時代に都周辺での活動が禁止され、以降は地方に活動が移りました。
報酬
外知部はもちろんタダでは働きません。報酬が必要です。外知部への支払いは米や絹などの現物です。これは朝鮮はあまり貨幣経済が発展していなかったため。貨幣の流通量も少なく民が気軽に使えるものではなかったからです。
民の救いか法の乱しか?外知部の追放と弁護士制度の近代化
民衆の助けとなった外知部がなぜ追放されてしまったのでしょうか。
法を乱す存在
外知部としての活動は儒教の思想が確立された成宗時代の1475年に勅令によって違法とされました。
成宗時代の記録にも紹介したように。外知部は当局からは快く思われていませんでした。民を唆して訴訟を起こさせたり。詭弁や文章を使って法を捻じ曲げたりして、役所の仕事を妨害している。と思われたからです。
もちろんこれは朝廷側の判断。身分制度の厳格な朝鮮では法は両班に都合のいいように作られていますし、官には民を助ける意識はあまりありません。
彼らの活動が不和を煽り儒教の「無訴(訴訟をしないこと)」という価値観に反すると見なされたからです。儒教社会では争いをするのはよくないこととされました。
朝鮮独自の厳しい刑罰「全家駟邊」
捕らえられた外知部は家族全員とともに国境地帯へ追放される刑に処せられました。これを「全家駟邊(ぜんかしへん)」と言います。これは中国の伝統的な「五刑」にはない朝鮮独自の非常に厳しい刑罰でした。
ちなみにドラマ「オクニョ 運命の女(ひと)」の第36話では外知部が10年前に追放されたと語られます。これはおそらく第11代王・中宗(チュンジョン)の時代にあたると考えられます。史実とは時代設定にずれがありますが外知部が一度追放されたという歴史的事実がドラマにも取り入れられていることがわかります。
追放後の秘密裏の活動
17世紀初頭以降の歴史記録には外知部の記録は少なくなります。「朝鮮王朝実録」では最後の記録は1603年です。ある官僚が外知部として活動した罪で有罪判決を受けた記録があると言います。
でも禁止されたとはいえ、一般の人々が嘆願書や反論の準備には誰かの助けが必要です。そのため外知部の活動は秘密裏に継続された可能性が高いと考えられています。
例えば丁若鏞(チョン・ヤギョン)が1821年に著した「牧民心書(モクミンシムソ)」には長官の基準を満たす苦情を準備するために庶民が他人の「筆を借りる」と書かれています。
これは非公式な形で外知部のような存在が活動を続けていたことを意味しているのです。
つまり法廷に立って弁論する人はいなくなりましたが、書類作成を助ける人はいたのです。
近代弁護士制度への移行
他者の訴訟を支援することの禁止は大韓帝国時代に西欧式の弁護士制度が採用される1905年まで続きました。
1903年5月に公布された「刑法大全」によって代訟の禁止が緩和されます。これにより事実に基づいて訴訟を教導したり訴状を作成することを職業とする者が生まれこれが近代弁護士制度形成のきっかけとなりました。
ドラマ「外知部」は史実とどう違う?話題作で徹底比較
韓国時代劇には外知部が登場する作品がいくつかあります。ここでは史実とドラマでの描かれ方の違いに注目してみましょう。
ドラマ「オクニョ 運命の女(ひと)」での描かれ方
主人公オクニョは養父の無念を晴らすために外知部としての道を志し活躍します。彼女は法廷で直接弁論を行うなど現代の弁護士に近い形で描かれます。
ドラマの設定では外知部が十数年前に追放され見かけなくなっていたという点に触れられています。これは史実の追放令を踏まえた設定ですがドラマの時代背景に合わせて調整されています。
ドラマ「トンイ」での「外知部」登場シーン
イ・ビョンフン監督の「トンイ」でも最終回に外知部という言葉が登場します。ヒロインのトンイは宮殿を出てくらすうちに、無実の罪を着せられた親子を発見。その親を救うため、裁きの場で「外知部として容疑者の弁護にやって来た!」と名乗るシーンがあります。
トンイもオクニョも史実の外知部が主に書類作成を行っていたのに対し、法廷で弁論を行う姿が描かれています。これはドラマとしての面白さや分かりやすさを追求した演出と言えるでしょう。
「朝鮮弁護士 カン・ハンス」で描かれる復讐に燃える弁護士
2023年に放送された「朝鮮弁護士 カン・ハンス~誓いの法典~」は外知部が主人公として描かれる作品です。主人公カン・ハンス(ウ・ドファン)は両親を理不尽に殺された復讐を誓い外知部になります。
彼は抜群の頭脳と巧みな弁舌で訴訟を次々と勝ち進みます。でも彼の目的はあくまで復讐です。身分を隠して市中で暮らす王女イ・ヨンジュ(キム・ジヨン)との出会いを経て彼は復讐よりも大切な価値に気づき民の英雄へと成長していきます。
このドラマでは外知部は単なる書類作成人ではなく、策略を使って罪を暴いたり法廷で権力に立ち向かう闘士としてその知略や弁舌を駆使する姿が描かれています。
こちらも現実の外知部を越えた活躍をしていますが。これもドラマの面白さを追求した演出でしょう。
「御史とジョイ」に登場する最高勝率の「外知部」
ドラマ「御史とジョイ」にもジョイの幼馴染である崔勝律(チェ・スンユル)という外知部が登場します。彼は「勝率最高の外知部」として知られジョイに協力するなどその知識と能力を遺憾なく発揮します。書類作成よりも、物件の交渉をしたりと法律知識や弁論術を活かした便利屋のような描かれ方です。
ドラマと史実の相違点と共通点
史実の外知部は主に訴訟に必要な書類の作成が主な業務でした。
しかし多くのドラマでは法廷で雄弁に弁論し事件を解決するヒーロー的な存在として描かれます。これはエンタメ作品として視聴者が見て楽しめるように作られているためでしょう。
でもドラマと史実には共通点もあります。それは外知部が社会の弱者や法律に疎い人々を助けようとする精神です。たとえその手段や表現が違っていたとしても彼らが「民を救う立場」だったという点は史実もドラマも同じだと言えますね。
まとめ
外知部(ウェジブ)は李氏朝鮮時代に実際に存在した職業です。彼らは現代の弁護士のように知識のない人々のために訴訟に関する書類を作成したり弁護を行ったりしました。
当初は民衆の大きな助けとなりましたがやがてその活動が法を乱すものと見なされ時の王・成宗によって追放されてしまいます。
韓国ドラマではこの外知部が多くの作品に登場します。「オクニョ 運命の女(ひと)」や「トンイ」「朝鮮弁護士 カン・ハンス」「御史とジョイ」などそれぞれ違う形で彼らの活躍が描かれています。
ドラマでは史実を基にしつつもエンターテインメント性を高めるためにより劇的な役割が与えられているのが特徴です。
李氏朝鮮時代の外知部の歴史的背景とドラマでの描かれ方の違いを知ることで時代劇がより深く楽しめるのではないでしょうか。
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