ドラマ『大王世宗』に登場するオリは、高麗復興勢力に育てられた刺客として世子に近づいた女性です。愛と策略の間で揺れた彼女の行動と最期、史実の於里との違いを分かりやすく解説します。
この記事で分かること(箇条書き)
- ドラマ版オリの正体と世子に近づいた本当の目的
- 世子廃位につながった沈温との取引の意味
- オリが自死を選んだ理由と心理の変化
- 史実の於里の生涯と、ドラマとの決定的な違い
オリは実在する?
ドラマ『大王世宗』に登場するオリは実在の人物です。朝鮮王朝の太宗から世宗の時代に世子(譲寧大君)と関係のあった女性として於里(オリ)の名がでてきます。
歴史上のオリは高官だった郭璇(クァク・ソン)の妾でした。当時の世子(譲寧大君)と深い関係になったため、歴史書『朝鮮王朝実録』に何度かその名が書かれています。
しかしでもドラマで描かれているような「高麗復興を目指す勢力の刺客」だったという事実はなく、こうした設定はあくまで物語を盛り上げるための創作です。
オリという女性は実在しましたが、彼女の生い立ちや行動、考え方はドラマのために大きく脚色されています。
ではまずドラマのオリはどのように描かれているのかから。見ていきましょう。
ドラマ『大王世宗』のオリとは?
高麗復興勢力が放った刺客
ドラマにおけるオリの正体は李氏朝鮮によって滅ぼされた高麗の再興を目論む秘密組織のメンバーです。組織によって育てられた刺客でした。
彼女に与えられた任務は世子を誘惑してその理性を失わせ、王室を内部から崩壊させることでした。
彼女は最初から政治的な意図を持って世子に近づいたのでしたその美貌とミステリアスな振舞いは、落ち込む世子の心をすぐに捕らえました。
野心と独占欲が生んだ沈温との禁断の取引
オリを象徴する最も衝撃的なエピソードが、第34回で描かれた忠寧大君の義父・沈温(シム・オン)への接触です。彼女は沈温を訪問して、自分と世子の不倫関係を暴露し、世子を廃位に追い込み。空いた世子の座に沈温の婿である忠寧を立てるよう提案しました。
オリは世子を廃するために動いていますが、世子を本当に愛し初めていました。これはオリにとっても誤算でした。
なぜ彼女は自死を選んだのか
オリの目論見通り、世子は廃され譲寧大君となりました。
世子を自分だけの男にしたい、彼が王にならなければ独占できると思ったオリでしたが。
その後の譲寧大君はすっかり自信を失い、彼女が愛した立派な男の姿はありませんでした。
ここでオリは自己嫌悪に陥ってしまいます。
- 世子は策略のために近づいた自分を疑うこともせず愛して守ろうとしてくれた。純粋すぎる世子の姿に彼女の良心は苛まれます。
- 自分のせいで王位を捨てさせたものの、すっかり抜け殻のようになってしまいました。自分が愛する人を壊してしまったと思いました。
こうして自己嫌悪に陥ったオリは「自分は世子のもとにいてはいけない女」だと思い、自害を選んだたのでした。
史実の於里(オリ)と最後
ドラマのオリのモデルになったのは於里です。
史実の於里(オリ、어리)もドラマ同様に前中樞府事の郭璇(クァク・ソン)の妾でした。
於里の前半生はわかりません。記録にはすでに郭璇の妾になっているところから登場します。
世子が於里(オリ)の存在を知る
太宗17年(1417年)。楽士の李五方が東宮にひそかに入り、前中枢の郭璇の妾・於里が、町でも評判の美貌と才能の持ち主だと世子の前で褒めました。すると世子は李五方に彼女を連れてくるよう命じました。
李五方は仲間の洪万と共に、郭璇の親族の権堡に協力を求めました。権堡は「郭璇は私にとって親戚だから裏切ることができないが、世子の命に背くことはできない」と言い、自分の妾の桂枝を通して於里に伝えますが、彼女は断りました。
次に李法華が世子に贈り物を送るのが一番だと助言したので、世子は宦官に刺繍の袋を届けさせました。於里は受け取りを拒否しましたが、宦官は置いて帰ります。
於里はこれを持って李昇の家へ行きました。李法華が世子に報告すると、世子は従者を連れて宮殿の壁を越え李昇の家に向かいました。
世子が李昇に於里の引き渡しを求めると李昇は断ろうとしましたが。世子が強要したためようやく於里に会うことができました。
世子は李法華の家で於里と一夜を共にし、宮中に連れて帰ることにしました。
李昇はこの件を王に報告しようと考えましたが、世子に脅されたのでできませんでした。
ところが金漢老(世子嬪の父)の家来の小斤同が別件で取り調べてを受けていたとき、於里の件を話してしまいまいました。太宗は激怒して李昇を呼び出して問い詰めると。李昇は全て白状してしまいます。この件で李五方や李昇ら関係者は処分を受け。於里も追放になってしまいます。
このとき世子への処分はありませんでした。今回はまわりの者たちが唆したので彼らを排除すれば世子は更生すると考えられたのです。
出典:『朝鮮王朝実録・太宗実録 第33巻、太宗 17年2月15日記事』
ところが世子は行いを改めませんでした。
オリが世子の子を産んでいた
翌年の太宗18年(1418年)。太宗は再び世子が於里を宮廷に引き入れていることを知ります。しかも世子は於里に子を産ませたというではありませんか。
金漢老(世子嬪の父)の母が世子嬪に会いに宮中へ入るときに於里を同行させていたというのです。
太宗は追放を命じた於里を呼び出してあっていただけでなく子供まで産ませたことに激怒。世子を旧殿で謹慎させ拝謁を禁止。世子付きの者達を投獄しました。
今回の件に世子嬪の一家が関わっていることもに怒り、世子嬪を実家に戻しました。金漢老は流罪となりました。
出典:『朝鮮王朝実録・太宗実録 第35巻、太宗 18年5月18日記事』
その後、世子は廃され譲寧大君となりました。
でも悲劇はここで終わりませんでした。
於里(オリ)の最後
譲寧大君の脱走
世宗 即位年(1419年)
世子を廃された譲寧大君は広州に送られ専用の家を与えられ謹慎生活をしていました。といっても家の周囲には垣根が作られ軟禁状態にありました。
やがて太宗は世宗に譲位。しかし軍事や人事の実権は太宗が握っています。
ところが譲寧大君は隔離施設から逃亡してしまいます。太宗は京畿観察使に、世宗は京畿監司に譲寧大君を探して連れ戻すよう命じました。
譲寧大君の逃亡の知らせは宮中にも届き問題になりました。その責任はすべて愛妾の於里にあると非難の声が上がります。
非難を受ける於里(オリ)
於里は周囲の非難にさらされ不安と憤りに耐えきれず、首を吊って自害してしまいます。
数日後、譲寧大君は発見され太宗に謝罪。譲寧大君は厳罰を受けることはありませんでした。
出典:『朝鮮王朝実録・世宗実録 第3巻、世宗 1年1月30日記事』
ドラマよりも厳しかった於里の最後
史実もドラマ同様に於里は自害してしまいます。でもドラマのように世子(譲寧大君)を思っての死ではないようです。世子の身勝手な行動で非難が集まり、それに耐えきれなくなって自害したようです。史実のオリの方が悲しい最後になっているのです。
逆に言うと、ドラマのオリはまだ救いがあるように美化されているともいえますね。
於里(オリ)と沈温の関係はある?
ドラマのような取引はあったのか?
なお、ドラマではオリが沈温とと協力して自分達の関係を明らかにするよう取引したことになっています。
でも史実ではそのような記録はありません。
於里の問題で沈温が訴えられたことはある
ですが、譲寧大君の逃亡後。過去の於里と譲寧大君の関係が再び問題になりました。
当時は沈温は於里と譲寧大君の関係を知っていたはずだ。世間では噂になっているのに沈温が知らないはずがない。それなのに沈温が報告しなかったのは不忠だといって批判が起こりました。
でも、世宗は「世間が知っているのなら他の大臣たちも知っていたはず。それなのに沈温だけを罰するのはおかしい」と太宗に言うと、太宗もそのとおりだと納得。
太宗は「仮に沈温が知っていたとしても忠寧大君の岳父としての立場もあるのだから、言えるはずがないだろう」と言って重臣たちをなだめて沈温への罰はありませんでした。
これは於里(オリ)の件を利用して沈温を失脚させようという重臣たちの目論見なのでしょう。
ドラマとは正反対の流れになっているのです。

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