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三足烏=高句麗のシンボル は間違い:ドラマで広がる誤解

歴史知識 1 高句麗

韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」ではチュモン率いる高句麗軍の旗には三足烏が描かれています。ドラマでは三足烏が高句麗のシンボルとして使われています。

「朱蒙」ではドラマのタイトルバックにも使われているので非常に印象に残ります。

「朱蒙(チュモン)」の大ヒットに続き「太王四神記」「大祚栄」などのドラマでも三足烏が高句麗のシンボルとして使われました。

視聴者は「三足烏は高句麗のシンボルマークだ」と誤解するでしょう。

でもそれは違います。

史実では高句麗は三足烏をシンボルにしたことはありません。

ではなぜドラマでは高句麗のシンボルにされているのでしょうか?

高句麗にとって三足烏はどういう存在だったのか紹介します。

 

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高句麗と三足烏

チュモンの三足烏の元ネタ

ドラマの「朱蒙(チュモン)」には三足烏のシンボルマークが使われています。

実はこのデザインには元ネタがあります。

平壌近郊の真坡里(ジンパリ)7号墳から出土した金銅版がそう。この金銅版には丸に囲まれた三足烏らしきものがあります。

現物は北朝鮮が保管。
レプリカが韓国にもあります。

 

この金銅版の鳥らしき部分を丸く切り取って加工したのがチュモンに使われたデザインです。

三足烏のシンボルは朱蒙の時代より500年以上後

真坡里7号墳は6世紀後半のものと推定。金銅版もその頃に作られたものでしょう。

6世紀後半といえば高句麗の後半。高句麗にも北魏~隋などの中国文化が行き渡り文化的に発展していた時代です。

朱蒙は紀元前37年に高句麗を建国したとされます。真坡里7号墳ができたのは朱蒙の時代から5~600年近く後です。

朱蒙の時代にこのデザインがあったのではありません。

もしこのデザインが国旗や国の紋章なら同じデザインが幾つも発見されるはず。でも見つかったのはこの古墳だけ。同じデザインの物は他には見つかっていません。

つまり三足烏は国を象徴するものではなく、被葬者か埋葬者の個人的な趣味や信仰なのです。

たまたまこの墓の被葬者(誰かは不明)が地位や財力のある人で意匠の凝らしたものを作らせたのでしょう。

 

高句麗のシンボルは不明

実際には高句麗のシンボルマークは不明です。

壁画からせいぜい高句麗は赤い旗を使っていたことがわかるくらいです。それが軍旗なのか国を意味するのかはわかりません。

高句麗では四神が重要だと思われていたようですが、それでも高句麗のシンボルマークとまではいえません。東アジア社会共通の守り神です。

 

三足烏は中国の影響

高句麗で三足烏が信じられていたのは中国の影響です。

高句麗は早くから中国文化を取り入れていました。四神や龍や鳳凰など想像上の生き物や、中国神話の伏義や女媧などが信じられ壁画のモチーフとしても使われました。三足烏も伏義や女禍とともに描かれていました。

太陽の烏と月の蛙(兎)はセット

三足烏は太陽のシンボルとされ。太陽の中に三足烏がいるイメージで描かれます。月の中にいる蛙(兎の場合もある)とセットで描かれます。

陰陽思想では奇数は陽数、偶数は陰数とされます。
太陽は陽、月は陰の象徴です。
なので太陽に住む烏は陽数の3にちなんで三本足になったといわれます。

だから太陽に三足烏のシンボルを描くなら月に蛙(兎)も一緒に描かないといけません。

古代中国の陰陽思想では太陽と月は陽と陰の組み合わせ。だから高句麗壁画も太陽と月が描かれています。

それなのに一部だけを取り出して高句麗は太陽信仰の国だ。太陽と三足烏はそのシンボルだ。と言うのはコジツケなのです。

三足烏は東アジア諸国のモチーフ

三足烏は中国発祥です。三足烏のモチーフは高句麗の他にも新羅や百済でも使われていました。日本にも伝わっています。東アジア諸国共通で信じられているものです。

だから高句麗だけが独占的に使っていたわけではありません。

でも朝鮮半島の三足烏には中国や日本にはない特徴があります。それは鳳凰のようなトサカがあるのです。

高句麗だけでなく新羅や百済にも似たようなデザインがあります。朝鮮半島では鳳凰と三足烏のイメージが混ざってしまい、それが広がったのでしょう。

 

三足烏が高句麗のシンボルになったことはない

朝鮮半島でも三足烏は龍や鳳凰、麒麟と同じ縁起のいい生き物として信仰されているだけでした。

三足烏が高句麗の王権や国のシンボルになったことはありません。

三足烏は高句麗神話にも登場しません。

八咫烏が日本神話に登場して天皇の礼服にも描かれていたのとは対照的です。                                                                                                         

 

古代には国旗もない

国が国旗を持っていると考えるのは現代人的な発想です。朝鮮半島に国旗や国を表すシンボルマークができたのは李氏朝鮮末期。諸外国から開国を迫られ日本に交渉に行く使節が使ったのが最初です。高句麗には国旗はありません。

 

なぜ「三足烏=高句麗のシンボル」と勘違いされたの?

ドラマの演出だったのが

古代の朝鮮半島に国を象徴するシンボルマークはありません。

高句麗=三足烏と思う人が増えたのは韓国ドラマ「朱豪」の大ヒット後です。ドラマ以前にもそう信じる人はいたかもしれませんが、韓国国民のほとんどは知りません。

でもそれではドラマが面白くないと考えたのか、ドラマスタッフは高句麗の壁画や遺物にある三足烏のイメージをチュモンの高句麗のシンボルとして採用しました。

何しろ「チュモン」は韓国で視聴率50%をとったドラマです。ドラマを見た人々の脳にはすっかり「高句麗=三足烏」のイメージが刷り込まれてしまいました。

他にもドラマ「太王四神記」「大祚榮」などでも高句麗のシンボルとして登場。「高句麗=三足烏」の間違ったイメージはますます広まりました。

どこの国でもテレビは一般人への影響が大きいです。韓国では社会的に地位のある人・学歴の高い人でもテレビドラマを事実と信じやすいです。マスコミも「三足烏は高句麗の象徴」と平気で書いているのですから重症です。

韓国の歴史学者や真面目な歴史愛好家は「三足烏は高句麗のシンボルではない」と指摘しているのですが。

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効果はなかったようです。

 

中国の三足烏

東アジア諸国の三足烏は古代中国の伝説が元になっています。

古代中国の太陽の化身

漢の時代に完成した「山海経」によると

「天帝と妻の羲和(ぎわ)の間に10人の息子の金鳥がいました。金鳥は太陽です。10羽の金鳥は毎日交代で地上を照らす役目をもっていました。ところがあるとき10羽の金烏が一斉に地上に現れたので地上が焼けてしまいます。そこで天帝は神の羿に弓矢を与えて派遣、羿は9羽の金鳥を撃ち落とし1羽だけ残しました。それで空には一つの太陽だけが残ったのです。」

中国の伝説ではこの鳥は太陽の精霊で日の中に住んでいるとされています。漢代の絵画ではしばしば三足烏が西王母と一緒に描かれています。

 

日本の八咫烏

日本でも烏は太陽神の使いとして登場します。

古事記や日本書紀には神の使いとして八咫烏(やあたからす、やたがらす)が登場。紀伊山中で神武天皇を大和に導きました。

そのため熊野三山でも神の使いとして信仰されています。

もともと八咫烏は「大きなカラス」の意味。古事記や日本書紀のどこにも八咫烏は三本足とは書いていません。

平安時代ごろ。中国から伝わった太陽に住む金烏(三足烏)のイメージが重なり、神仏習合の時代にいつの間にか八咫烏=三本足で描かれるようになったのです。

 

世界中にある太陽と烏

カラスを太陽と関係ある鳥と考えるのは東アジアだけではありません。ギリシャやローマにもあります。世界の各地で太陽とカラスが関係あるものとして考えられました。

その理由は諸説あります。カラスが太陽が沈む前にねぐらに変える様子を見た古代人がカラスは太陽に戻っていくのだ思ったためとも言われます。

意外に思うかもしれませんが、太陽とカラスの組み合わせはわりと世界にあるものなのですね。

 

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