中国ドラマ「星漢燦爛」に登場する太子は凌不疑や程少商とも関わりのあるキャラクターです。
太子は文帝と宣皇后の長男。
優柔不断で周囲に振り回されやすく、特に母方の親族をひいきしてトラブルに遭遇したりします。その後も不安は消えず最終的には皇太子の座を追われ、東海王に降格されてしまいます。
ドラマの太子のモデルになったのは、後漢の光武帝の長男・劉彊(りゅうきょう)。劉彊も母 郭聖通が皇后の座を追われ、自身も皇太子の座を降りるという厳しい経験をしています。
この記事では星漢燦爛の太子と史実の劉彊を解説。共通点や違うところも紹介します。
- 太子の性格や行動。
- 太子のトラブル。
- モデルになった劉彊とは?
- ドラマの太子と劉彊の比較。
なおこの記事はネタバレを含みますのでご注意下さい。
星漢燦爛の太子とは
名前:不明
通称:大皇子→太子→削位→東海王
父:文帝
母:宣皇后
同母妹:五公主
演:汪卓成
文帝と宣皇后の長男。
皇太子になりました。
凌不疑も兄貴として敬意を持ち、太子をサポートしています。
でも太子には優柔不断で他人に利用されやすいところもあります。
身内に甘い
母方の親戚(母・宣皇后のいとこが文修君、その夫が王淳)王淳親子を信用して贔屓しています。
凌不疑からは王淳を信用しないように言われますが、王淳を解任することができず王淳を要職に付けたままにします。その結果、王淳は勝手に軍を動かし問題になりました。
最終的に王淳親子の罪が明らかになり、彼らを信用した太子の立場も悪くなります。
虎府を紛失
文帝は太子を見捨てるようなことはせず、逆に虎府の管理を任せました。
2枚一組で使用する割符のこと。片方を皇帝が持ち。片方を部隊に配置。皇帝から軍の使用を任された将軍が虎府を受取り、現地の虎府と組み合わせ現地の軍を動かします。
なので宮殿内にある虎府は片方だけ。
古代には本当に虎の形をしていたので虎府といいます。
曲泠君とは幼馴染
太子は子供のころから曲泠君を知っていて幼馴染でした。お互いに思い合っていたようですが。親の決めた相手と結婚したので、太子と曲泠君は結婚できませんでした。
太子妃はそのことを知っていて、曲泠君に嫌がらせ。それが原因で曲泠君が夫・梁尚から虐待を受けてしまいます。
太子も曲泠君と会ったりと不用意な行いをしているため皇帝から叱られました。
曲泠君は梁無忌と再婚。太子妃は廃されてしまいます。
皇太子の座を廃されてしまう
その後も太子の不安は続き。ついには廃太子の話まで出るようになりました。
廃太子にするにはそれなりの理由が必要。場合によっては思い罰を受けます。
そこで宣皇后は太子の身を守るため。自ら皇后の座を降り、太子も太子の座から下ろすように文帝にお願い。文帝もそれを聞き入れ宣皇后を皇后の座から廃して長秋宮に幽閉。太子は東海王に降格となりました。
モデルは後漢の光武帝の長男・劉彊
父は光武帝、母は皇后 郭聖通
五公主の父・文帝のモデルは後漢の光武帝 劉秀(りゅう・しゅう)。
光武帝の最初の皇太子は郭皇后の息子・劉彊(りゅう・きょう)でした。
つまり劉彊がドラマの太子のモデルです。
劉秀の長男として生まれる
劉彊は劉秀が皇帝になる前に生まれました。
母の郭聖通(かく・せいつう)は当時数十万の兵を持っていた劉楊の姪。劉秀は劉楊を味方にするために郭聖通と結婚。
それで生まれたのが劉彊でした。長男の誕生に劉秀は喜びました。
皇太子になる
劉秀が皇帝に即位。光武帝になると郭聖通が皇后に、劉彊が皇太子になりました。
このとき郭聖通が皇后になった理由の一つが、すでに男子を産んでいたから。もう一人の妻だった陰麗華にはまだ男子はいませんでした。
もうひとつは劉秀は劉楊の率いる将兵の力を必要としていたからです。劉楊は謀反の疑いで処刑されていましたが、劉楊に従っていた将兵は郭聖通と劉彊を支持していました。
光武帝も長男の劉彊は可愛がり、後継者として育てていました。
母が皇后の座を廃される
やがて光武帝は中国を統一。戦乱の時代は終わりました。そうなると大きな武力は必要ありません。
郭聖通への光武帝の愛情も冷めました。もともと光武帝は陰麗華が好きだったので以前から陰麗華を皇后にしたいと思っていたようですが。なかなか廃せなかったのです。
でも中華を統一したので将兵に気を使う必要はありません。
光武帝は郭聖通が「嫉妬深い」という理由で郭聖通を廃し、陰麗華を皇后にてしまいます。
皇太子の座が危なくなる
郭聖通を廃したものの。光武帝は劉彊を皇太子から廃そうとはしませんでした。
母は廃位になりました。でも劉彊の地位は変わりません。郭聖通の他の子供の地位も保証。郭聖通への愛情は冷めたし陰麗華を皇后にはしたいけど、郭一族や将兵を敵にはしたくないというわけです。
皇太子の座を降りて東海王になる。
でも臣下たちは劉彊を皇太子の座から引きずり降そうとします。陰麗華の息子を皇太子にするよう意見も出ています。
臣下たちは劉彊を半分脅迫ぎみに説得。
劉彊は辛い立場に追い込まれ、劉彊はいつか廃されるのではないか、危険な目にあうのではないかと不安になりました。
光武帝は臣下が皇太子・劉彊を侮辱するような発言をしても処罰しません。
こういう場合、臣下たちは君主の意見を代弁しています。皇帝は面と向かってはいいませんが、臣下の口を通して言わせます。
劉彊も自分が危ないことはわかりました。まわりの者や諸王を通して皇太子の位を譲りたいと光武帝にお願いしました。
でも光武帝はすぐには認めませんでした。すぐに皇太子を廃したら格好悪いですし、郭一族が反発する可能性があります。
しばらく皇太子の地位に置いて、太子に何度もお願いさせて「仕方なく降格した」ことにします。
逆に言えば劉彊はすぐに取り替えなければいけないほど無能で評判の悪い皇子ではない。皇太子の勤めは果たせる人物だったのです。
劉彊は皇太子の座を降ろされ「東海王」になりました。
そして陰麗華の息子・劉陽が新しい皇太子になりました。
ドラマ「星漢燦爛」の太子と史実の劉彊を比較
ドラマ「星漢燦爛」の太子と史実の後漢光武帝の長男・劉彊には多くの共通点と違う所があります。そこで二人を両者の比較してみました。
共通点
- 皇太子としての地位と失墜: 両者とも一度は皇太子に就き。その後、様々な理由で地位を失っています。
- 母親の皇后の座からの退位: ドラマの太子は様々な失策の後。母 宣皇后が太子の身を守るため皇后の座を降りて太子も地位を追われました。史実の劉彊も母親の郭聖通が皇后の座を奪われることで、皇太子の地位が危うくなり。太子の座を降りることになります。
- 周囲の人々たちの利用: ドラマの太子は王淳親子に利用され、彼らのせいで立場を危うくします。史実の劉彊も周囲の勢力争いに巻き込まれ利用される側面がありました。
- 優柔不断な性格: ドラマの太子は優柔不断で決断力に欠ける一面が描かれています。史実の劉彊はドラマの太子ほど無能ではありませんが、必ずしも積極的な人物ではなかったという見方もあります。
違う所
- 失脚の直接的な原因: ドラマの太子は、王淳親子への過度の信頼や虎府の紛失など様々な失敗降格の原因になっています。史実の劉彊は母親の失脚や周囲の勢力争いが主な原因。ドラマのように本人が無能とか、特定の事件が引き金になったわけではありません。
- 性格の描写: ドラマの太子は優柔不断で少し頼りない印象が強いですが。史実の劉彊は比較的穏やかで賢明な人物だったといわれます。
- 周囲の人物との関係: ドラマの太子は凌不疑や程少商など、周囲の人物との深い関係性が描かれています。史実の劉彊は、史料が限られているため周囲の人物との関係性は与くわかっていません。でも郭聖通派の人々からは支持されていたはずですし。光武帝が積極的には廃せなかった理由が彼ら支持勢力の存在があります。
まとめ
ドラマ「星漢燦爛」の太子は史実の劉彊をベースに、ドラマ独自の解釈と創作を加えて描かれたキャラクターと言えるますね。
両者には共通する部分も多く見られますが、性格や周囲の人物との関係性など、違うところもいくつも存在します。
史実の劉彊を知っていると、「星漢燦爛」がより深く楽しめるかもしれませんね。
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