清璿郡主(チョンソングンジュ、せいせんぐんしゅ)は18世紀から19世紀初期の朝鮮の王族。
思悼世子と世子嬪洪氏の次女。
22代朝鮮国王・正祖の同母妹になります。
宜嬪 成氏や姉の清衍郡主とともに「郭章陽文録」という小説を書いたことがあります。
イ・サンのドラマは多いですが妹たちはあまり出てきません。でも「赤い袖先」には登場。ヒロインの イ・ドギムたちと関わります。
史実の清璿郡主はどんな人物だったのか紹介します。
清璿郡主(チョンソングンジュ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1756年
没年月日:1802年
姓:李(イ)
名:不明
称号:清璿郡主(チョンソングンジュ、せいせんぐんしゅ)
本貫:全州
父:思悼世子
母:恵慶宮 洪氏
兄:正祖
夫:鄭在和(チョン・ジェファ)
子供:鄭漪、長女、次女
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の時代です。
日本では江戸時代の人になります。
1756年(英祖32年)。思悼世子と世子嬪洪氏の次女として生まれました。
実の兄に李祘(イ・サン、世孫、後の正祖、1752年生)がいます。
李祘(イ・サン)の4歳年下でした。
同母姉には清衍公主(1754年生)がいます。姉とは2歳違いです。
父・思悼世子は朝鮮第21代王·英祖の世子に冊封されていました。
ところが思悼世子は重圧に耐えきれず、激しい政争の中で心を病んでしまい奇行を繰り返し、殺人事件まで起こします。そして1762年(英祖38年)。英祖によって米櫃に閉じ込められ死亡しました。
母の恵慶宮 洪氏は名門・豊山洪氏の出身。洪奉漢の娘です。
清衍郡主は世子の娘だったため「公主」ではなく郡主(正二品)と呼ばれました。
1766年(英祖42年)。鄭酟(チョン・インファン)の息子・鄭在和(チョン・ジェファ)と婚約しました。鄭在和は興恩副尉に冊封されました。
鄭在和は14代国王 宣祖時代に右議政を務めた鄭澈(チョン・チョル)の子孫です。
1773年(英祖49年)春。姉の清衍公主や宜嬪成氏(正祖の側室)らと共に小説『郭章陽文録』を書きました。
1776年。英祖が死去。兄・正祖が即位しました。
1800年。兄・正祖が死去。甥の純祖が即位しました。
1802年(純祖2年)。死去。享年47歳。清璿郡主が亡くなると純祖は非常に悲しんだと言います。
1895年。日清戦争で清が日本に敗北。下関条約によって清が朝鮮の宗主権を手放すと高宗が朝鮮を「大韓帝国」に改名。思悼世子を王に追尊して「荘宗」の廟号、恵慶宮洪氏には「献敬王后」の諡号を贈りました。これに伴って清衍郡主と清璿郡主は「公主」に格上げになっています。夫の鄭在和(チョン・ジェファ)も興恩偉に昇進しました。
テレビドラマの清璿郡主
正祖(イ・サン)が登場するドラマは多いのですが清璿郡主が登場するドラマは多くはありません。
大王の道
1998年、MBC 演:イ・セヨン
「大王の道」で清璿郡主を演じたイ・セヨンが「赤い袖先」では宜嬪成氏(ソン・ドギム)を演じています。
不思議な縁ですね。
赤い袖先
2021年、MBC 演:チョ・スンヒ
ドラマヒロインのソン・ドギムは正祖の側室・宜嬪成氏がモデル。
侍女たちと仲のよい郡主。史実では宜嬪成氏、姉の清衍郡主、侍女3人とともに本を書きました。
ドラマでもソン・ドギム(宜嬪成氏)、清衍郡主、侍女3人との交流が描かれます。
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