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善徳女王の実話・ドラマはどこまで史実なの?ミシル・ピダムとの関係は?

善徳女王の実話 1.2 韓国ドラマ紹介

あなたは韓国ドラマ『善徳女王』を見て、歴史上の善徳女王に興味を持ったかもしれません。

でもドラマと歴史ってどこが違うの?一体どれが本当なの?そんな疑問を感じていませんか?

この記事では新羅の女王・善徳女王がどんな人物だったのか、歴史上の記録とドラマ『善徳女王』の違いをわかりやすく解説します。

魅力的なキャラクターのミシルピダムが実在するか?歴史とはどう違うのかも紹介。

ドラマを見て歴史に興味を持った方や、歴史の勉強をしているけどよくわからないという方はぜひ読んでみてください。

 

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善徳女王は実在したの?

善徳女王

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歴史上の善徳女王

善徳女王は実在した人物。新羅の第27代国王です。

歴史上の記録からわかるプロフィールはこうなります。

姓:金(きん、キム)
名:徳曼(とくまん、トンマン)

生年:不明
没年:647年2月20日
在位:632年から647年まで。

父:真平王
母:摩耶夫人

 

632年に先代の真平王が亡くなったときには男子の跡継ぎがいません。聖骨で適齢の男子もいませんでした。

 

聖骨(せいこつ)
新羅の身分制度で最上位の階級。両親共に王族の人を聖骨といいます。基本的に王は聖骨から選ばれます。

 

そこで聖骨の中から選ばれたのが真平王の娘・徳曼です。善徳女王は新羅初の女王として即位しました。選ばれた理由は王の長女だったからでしょう。

歴史書「三国史記」には「善徳女王は長女」と書かれています。

当時の新羅は高句麗-百済-倭に囲まれて孤立。苦しい立場にありましたが。新羅は唐に朝貢を重ねて国際的孤立をなんとかしようと努力しました。

また、百済や高句麗との戦いがありましたが、当時の新羅には金庾信など優秀な家臣が多くこれを乗り越えて王国を維持しました。

でも善徳女王本人の記録三国史記三国遺事にも少なく。巫女的な言動があったことくらいしかわかっていません。

家臣団を引っ張る指導者・政治家ではなく。国を精神的な面で支える巫女としての役割が大きかったようです。

ドラマの資料になった歴史書

ここでドラマの設定に影響を与えた歴史書を紹介しましょう。

なぜドラマが史実と違う点が多いのか理解するためには、「元ネタは何か?」を知ることが大切だからです。

善徳女王が登場する歴史書はこの3つ。

三国史記(さんごくしき)

三国史記

三国史記

高麗時代の1145年に完成。
高麗王の命令で朝鮮半島の正しい歴史を残すために作られた正史(正当な歴史書)。朝鮮半島で最古の歴史書。

三国遺事(さんごくいじ)

13世紀の終わりごろ(1270~)に高麗の僧侶・一然がまとめた歴史書。

国が作った記録ではなく個人的にまとめた歴史書。朝鮮半島では他に古い歴史書は三国史記しかないので三国遺事も重要な歴史書と考えられています。

伝説や噂話をそのまま載せたと思われる部分が多く正確性には疑問もあります。

花郎世紀(かろうせいき)

1989年に突然、世の中に出てきました。「三国史記」と違う部分が多く、ほぼスキャンダラスな内容の連続。美室(ミシル)が登場するのはこの本だけ。

韓国歴史学界でも「偽物」とされ、まともな歴史学者からは相手にされていません。「花郎世紀」が偽物なのはほぼ間違いないです。

内容が面白いのでアマチュアの間では人気が高く。ドラマのネタ本としてよく使われます。ドラマ「善徳女王」「花郎(ファラン)」も花郎世紀の内容をもとに作られています。

だから史実と違う部分がたくさん出てくるのです。

ドラマ『善徳女王』のトンマンについて

 2009年に放送された韓国ドラマ『善徳女王』は、トンマンという名前で善徳女王の人生を描いています。このドラマは歴史上の人物が何人も登場しますが、ストーリーはほとんど創作です。

例えば、ドラマではトンマンが双子だと描かれますが、この設定は歴史的事実ではありません。

また、ドラマにはミシルという実在しないキャラクターが強い影響力を持つ人物として登場。トンマンとの対立が物語の中心となっています。ピダムとの関係も歴史の記録とは違います。

ドラマは面白いのですがドラマの中のトンマンの行動はほとんどすべてが作り話。

真平王と摩耶夫人の娘の徳曼という娘が善徳女王になった」という部分しか史実と一致しないのですね。

 

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善徳女王は双子なの?

善徳女王

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韓国ドラマ『善徳女王』ではトンマンとチョンミョンは「双子」の設定。双子の姉がチョンミョンです。

チョンミョンは善徳女王の姉妹・天明公主がモデル。

善徳女王・天明公主姉妹の記録は書物によって違います。

  善徳女王 天明公主 善花公主
三国史記  長女 真平王の娘 なし
三国遺事 真平王の娘 真平王の娘 三女
花郎世紀 次女 長女 なし

この中で信憑性が一番高いのは公式文書の「三国史記」なのですが。

ドラマ「善徳女王」は花郎世紀をもとに作られているのでチョンミョンが長女、トンマンが次女、ソンファが三女になっているのです。

でもどの記録でも善徳女王と天明公主が双子とは書かれていないません。

双子はドラマのオリジナル設定なのですね。

こういう設定になったわけは、トンマンを王宮から出して冒険させるための仕掛けと思われます。双子であればどちらか一人が王宮に残っていれば物語は進みますし、後になって「感動の再開」の場面も作れます。
 
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ミシルは実在するの?

ミシル

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ミシルのモデルは『花郎世紀』の美室

ミシルは『善徳女王』ドラマの中で非常に強い権力を持つ女性として描かれていて、政治的な策略や権謀術数を駆使して新羅の宮中で影響力を発揮します。

結論からいうと歴史の記録でミシルという人物が登場することはありません

ドラマ『善徳女王』のミシルは『花郎世紀』にだけ登場する「美室(ミシル)」がモデル。その美室も歴史書の『三国史記』や『三国遺事』には全く出てきません。

ミシルは歳をとらない?

でもミシルは『花郎世紀』の美室と大きく違うところがあります。

『花郎世紀』の美室は546から548年ごろに生まれて第24代 真興王・第25代 真智王、第26代真平王の時代にいて彼らと愛人関係にあったとされています。

576年に死亡した 真興王の愛人だったとしても。善徳女王が即位した632年には80歳を超えたお婆さんになっています。ドラマのように若いトンマンが出会ったとしても、ミシルは70歳くらいになってないとおかしい。

どう考えてもミシルの設定には無理があります。

『花郎世紀』の美室をモデルをもとに想像を膨らませて作られたのが『善徳女王』のミシルなのです。

でもミシルという魅力的なキャラクターがいるおかげで『善徳女王』が面白いドラマになったのも確かです。あくまでもドラマはドラマとして割り切って楽しみ。ミシルは架空のキャラクターなんだと思えばいいでしょう。

 

 

ピダムは実在するの?

 『善徳女王』に登場するピダムは実在した人物。

『三国史記』や『三国遺事』には毗曇の名前で登場します。毗曇の素性は不明ですが新羅の重臣で最高位の上大等についているので王族かかなり地位の高い貴族と考えられています。

ドラマでは真智王とミシルの息子の設定なので王族の血筋には違いありません。

史実では唐は新羅に援軍を送る代わりに善徳女王を廃して唐から新しい王を迎えるように圧力をかけました。

すると毗曇は善徳女王のお陰で高い役職につけたにもかかわらず、唐の要求通りに善徳女王を廃そうとします。

新羅国内は

  • 善徳女王派:唐の要求を拒否。善徳女王を守る。
    金庾信たち。
  • 親唐派:唐の要求通り善徳女王を廃する。
    毗曇たち。

に別れて争いになります。最終的に毗曇は金庾信に敗北、戦死しました。毗曇の一族や親唐派も粛清されます。

その争いの最中に善徳女王が死亡。金庾信は聖骨の中から真徳女王を即位させました。新羅王室の血筋を守ろうとしたのです。

ドラマでは善徳女王が生きているときにピダムは死亡するのも史実とは違います。

 

トンマンとピダムの関係は実話なの?

 ドラマ『善徳女王』では、トンマン(徳曼)とピダムの関係が注目され、視聴者の心を掴んでいます。

 『善徳女王』では、ピダムはトンマンと密接な関係を持つ人物として描かれていますが、ドラマ上の脚色です。

毗曇は歴史の記録にも名前が出てきますが、反乱を起こした人物として書かれているだけ。彼がどのようにして権力を握り、その過程でどのように善徳女王と関わったのかは全くわかっていません。

トンマンとピダムの関係については、ドラマのようなロマンティックなものではなかったようです。

 

善徳女王とキム・ユシンは結婚するの?

金庾信(キム・ユシン)は実在する人物。新羅の三国統一に貢献した将軍。残された記録は善徳女王や下手な王よりも遥かに多いです。

ドラマではキム・ユシンはトンマンに恋しますが。その恋心を内に秘めて三国統一のため身を捧げる健気な人物として描かれています。

歴史的に善徳女王と金庾信が恋人関係だった、結婚したという記録は存在しません。

毗曇の反乱のときも金庾信は命がけで善徳女王を守りましたが。王を守る・王族の血筋を守る・新羅の独立を守るという将軍としての役目を全うしたからでしょう。

もちろん歴史上の金庾信が個人的に善徳女王をどう思っていたかは分かりません。わからないところに想像力を働かせて面白く描くのもドラマの魅力と言えます。

 

 

善徳女王のドラマはどこまでが史実か

 2009年に放送されたドラマ『善徳女王』は、新羅時代を舞台にした壮大な物語として多くの視聴者に感動を与えました。

確かに善徳女王は歴史上実在した人物です。新羅初の女性君主として知られています。

でもドラマで描かれているほとんどのエピソードは作り話。

ドラマの『善徳女王』を歴史を学ぶための資料にするのではなく、あくまでエンターテインメント作品として楽しむことが大切です。

 

まとめと物語の影響

史実と違うとはいえドラマ『善徳女王』は史実と創作が巧みに混ざりあった面白い作品です。

歴史上の善徳女王は新羅初の女王として知られ、厳しい時代背景の中で国を導きました。ドラマでは彼女の人生にフィクションが織り込まれ更に波乱の人生になっています。

特に架空キャラクターのミシルや、トンマンとピダムとの関係は創作部分の代表。そのおかげで物語は一層ドラマティックになりあなたも心を掴まれたのではないでしょうか?

ドラマ『善徳女王』は史実とは違う部分が多いものの、新羅への関心を人々に広め女性の力強さを描いた作品として高い評価を受けています。

歴史上の善徳女王への関心や評価を高めた作品といえるかもしれません。

ドラマ『善徳女王』はそのくらい大きな反響があった作品といえますね。

 

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