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金庾信(キム・ユシン)・新羅の半島統一を支えた名将軍

3 新羅

新羅に併合された金官伽耶の王族の子孫。

真平王、善徳女王、武烈王など多くの王に仕え、長い間新羅を支える重臣として君臨しました。新羅の朝鮮半島統一に大きく貢献したのが金庾信です。

その功績は大きく評価され。王族でないにもかかわらず、純忠壯烈興武大王の称号が与えられました。

新羅だけでなく後の高麗や李氏朝鮮でも忠臣と讃えられた人物です。

史実の金庾信(キム・ユシン)はどんな人物だったのか紹介します。

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金庾信(キム・ユシン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:595年
没年月日:673年

名前:金庾信(キム・ユシン)
称号:純忠壯烈興武大王
父:金舒玄
母:萬明夫人
妻:英毛夫人、智炤

 

彼は新羅の真平王~文武王に仕えました。

日本では飛鳥時代になります。

金庾信(キム・ユシン)の家系は、金官伽耶の王族の子孫でした。金首露(キム・スロ)の子孫だと名乗っていました。

532年。金官伽耶は新羅に降伏。金官伽耶は新羅に併合されました。金官伽耶の仇衡王は新羅に降伏後、真骨貴族の待遇で迎え入れました。

仇衡王の息子・金武力は百済との戦いで聖王を倒す手柄を立てました。金武力は金庾信の祖父になります。

金武力の息子・金舒玄は大梁州都督を努めました。金舒玄は金庾信の父です。

母・萬明は真興王の弟・肅訖宗の娘です。

金庾信は金舒玄の赴任先の萬弩郡で産まれました。

15歳で花郎になりました。18歳で国仙(花郎のリーダー)になりました。

真平王51年(629年)。父の金舒玄とともに、高句麗との戦いに参戦、手柄をたてます。

百済との戦い

善徳女王13年(644年)。真骨貴族がつくことのできる最高の位・蘇判になりました。

上将軍になって百済の城を7つ落としました。金庾信は家に戻る途中に百済の将軍・階伯(ケベク)率いる百済軍が攻めてきたとの報告が入りました。善徳女王は将軍たちに迎撃を命令。金庾信は家に戻らず出陣しました。

金庾信は階伯率いる百済軍と戦い撤退させます。

毘曇(ピダム)の反乱

善徳女王16年(647年)。上大等(家臣がつくことができる最高の官職)・毘曇(ピダム)と廉宗が反乱を起こしました。

当時の新羅は親唐派と反唐派に分かれていました。唐は援軍を出す条件として善徳女王を廃して唐から王を迎えるように圧力をかけていました。毘曇(ピダム)は親唐派の中心人物でした。女の王では新羅を治めることはできないとして反乱を起こしたのです。

毘曇(ピダム)率いる反乱軍は明活山城に立てこもり10日間抵抗しました。金庾信は金春秋らとともに反乱を鎮圧しました。

しかし反乱の最中に善徳女王が死去します。真徳女王が28代国王に即位しました。

金庾信は毘曇(ピダム)の反乱のあとも百済と戦いました。

真徳女王8年(654年)。真徳女王が死去。金庾信は貴族会議の決定を覆して、姻戚関係のある金春秋を王位につかせることに成功しました。

百済の滅亡

金春秋が即位。29代武烈王です。

武烈王2年(655年)。金庾信は武烈王の娘・智炤と婚姻しました。庾信にとっても姪になります。

金庾信は新羅王家と二重三重の婚姻関係を結び影響力を高め、新羅の最高権力者になりました。

武烈王7年(660年)。唐と連合して百済を攻めます。唐は13万の兵を百済におくりました。新羅も5万の兵を出しました。新羅郡を率いるのは金庾信です。百済の都・泗沘(サビ)に向かう途中。迎え撃ってきた階伯(ケベク)を倒しました。精鋭部隊が敗退した百済には新羅を防ぐ力はありません。

金庾信は百済の都・泗沘に入り義慈王や重臣たちを捕虜にしました。この戦いで百済は滅亡します。

その後、武烈王が死去。甥の文武王が即位しました。

金庾信は占領した泗沘を拠点に高句麗攻撃を考えます。しかし、唐が撤退すると百済の遺臣たちが抵抗運動をはじめ、金庾信の計画は中断。高句麗の反撃や、倭(やまと)の協力を得た旧百済軍の抵抗に悩まされます。

文武王2年(662年)。金庾信は高句麗との戦いに参戦しました。

百済復興運動と白村江の戦い

文武王3年(663年)。唐が派遣した水軍と、倭(やまと)の水軍と戦いになります。白村江の戦いです。この戦いでは金庾信は文武王とともに地上部隊を率いて唐の部隊を援護しました。

唐・新羅連合軍は倭(やまと)軍に勝利します。百済の復興運動は失敗。百済は完全に滅亡しました。

高句麗の滅亡

文武王5年(665年)。新羅は高句麗遠征を行います。金庾信は病気のため都に残り、文武王が遠征を行いました。唐・新羅連合軍との戦いに破れた高句麗は滅亡します。

高句麗滅亡後、唐は新羅王を鷄林州大都督という役職に降格しました。唐は半島を直接統治を行おうとしていました。金庾信は、唐は高句麗の次に新羅を狙うだろうと予測していましたがそのとおりになりました。

唐との戦いと和平

新羅は表向きは唐に服従して、裏では高句麗を復興させようとしている人々を援助したり靺鞨らに協力。唐が抵抗運動に手こずっている間に新羅の領土を拡張しました。

金庾信は半島各地に拠点を作り、持久戦にもちこむことを文武王にアドバイスします。各地に拠点を作り防衛を高める一方で、唐には謝罪文を持たせた使者や貢物をおくり和平を呼びかけました。

唐も西方の遊牧民国家・吐蕃との戦いを行っている最中でした。朝鮮半島の領地を維持するよゆうはありません。そこで新羅の和平を受け入れ。旧百済領と半島側の旧高句麗領は新羅のものになりました。

新羅の半島統一に大きく貢献したのが金庾信でした。

文武王13年(673年)。金庾信は病に倒れ死去。享年79。

テレビドラマ

三国記 KBS 1992年 演:ソ・インソク
淵蓋蘇文 SBS 2006年 演:ユンスンウォン、イ・ジョンス
善徳女王 MBC 2009年 演:オム・テウン、イ・ヒョヌ
階伯 MBC 2011年 演:パク・ソンウン
KBS 大王の夢 2012年 演:キム・ユソク、ノ・ヨンハク

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