PR

真平王・新羅26代国王の生涯と家系図

3 新羅

真平王(しんぺい王・チンピョンワン)は新羅の26代国王。

ドラマでは華やかな王女たちの陰に隠れてしまいがちな真平王ですが、彼は新羅を統一へと導く礎を築いた偉大な王のひとりでした。

真平王は新羅が大きく成長していくために欠かせない存在。官僚組織を整え仏教を国に広め領土拡大を目指しました。百済や高句麗との激しい戦いを経ながらも真平王は新羅の礎を築いていきまた。

ドラマ「善徳女王」や「ソドンヨ」には、真平王の娘として善徳女王やソンファ王女など魅力的な女性たちが登場しますが、史実と異なる部分も多いです。

この記事ではドラマでは描かれない真平王の生涯を紹介。史実とドラマとの違いについて解説します。

この記事のポイント
  • 真平王の生涯と業績: 新羅の官僚組織を整備し、仏教を国に広め、領土拡大を目指しました。
  • 善徳女王誕生の背景: 男子の後継者がいなかった真平王、その娘である徳曼公主が即位しました。
  • ドラマと史実の違い: ドラマ「善徳女王」や「ソドンヨ」で描かれる真平王の娘たちと、歴史に記録されている人物との違いを紹介。

この記事を読めば韓国ドラマをもっと深く楽しむことができるはずです。ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

 

PR

真平王(チンピョン王)の史実

プロフィール

名前:金伯浄(きん・はくじょう)
称号:真平王(しんぺいおう、チンピョンワン)

生年月日:不明
没年月日:632年

真平王は新羅の26代国王です。

日本では飛鳥時代になります。

家族

父:金銅輪(真興王の長男)
母:金万呼(葛文王 金立宗の娘)
妻:摩耶夫人(葛文王 金福勝の娘)

子供
徳曼公主(善徳女王)、天明公主、(善花公主、天花公主:架空の可能性あり)

 

真平王の系図

新羅王家系図

新羅王家系図

真平王のおいたち

産まれた年はわかりませんが、真興王の長男で太子だった金銅輪の子として産まれました。

579年。先代の真智王が廃位になったため和白会議(王侯貴族たちの会議)の決定で王に即位しました。579年から584年までは祖母である思道太后が摂政を務めました。

政治改革を行う

新羅の官僚組織を整え、位和府(後の吏部。人事)、船府署(航海)、調府(貢賦)、乗府(王の行幸)、礼部(儀礼教育)、領客府(外交)など様々な部署を作りました。

それまでは王と豪族が集まっていたような国だったのが、組織を作って役人たちが役割を分担して治めるしくみが整ったのが真平王の時代だといえます。

真興王から始まった領土拡張で国が大きくなったのでしっかりした仕組みをつくらないと上手く治められないようになったのでしょう。

仏教の普及

真平王は国内に仏教を広めるため多くの僧侶を中国の陳や随に留学させました。智明、圓光、曇育といった僧侶たちが中国で仏法を学び帰国して新羅に仏教を広めました。

領土拡大

602年。百済との戦いで大勝しました。
603年。高句麗が北漢山城(ソウル)に攻めてきたので撃退しました。

608年。高句麗に牛鳴山城(江原道)を奪われます。

 

外交関係

隋との関係

真平王は隋に繰り返し貢物を献上し、友好関係を築こうとしました。煬帝から「上開府楽浪郡公新羅王」に冊封されました。

611年。随に使者をおくり、高句麗を討つように上奏文を届けました。

もともと隋を討つつもりだった煬帝は高句麗に遠征。しかし失敗に終わります。

隋を退けた高句麗は新羅との戦いを再開。百済も新羅への攻撃を強めます。新羅はいくつもの城を失い領土を奪われました。

唐との関係:

随の滅亡後、唐が中国大陸の支配者になりました。

真平王は唐に使者を送り貢物を献上。唐の高祖からも「主国楽浪郡公新羅王」に冊封されました。さらに高句麗を討つように訴えましたが唐は高句麗と和解するように勧められ、援助は受けられませんでした。

高句麗と百済が和解して新羅に攻めてくる

626年には高句麗と百済が和解。それまで三つ巴の争いだったのが、高句麗対新羅、百済対新羅の戦いになってしまいます。新羅はピンチに立たされます。

629年。高句麗と娘臂城(忠清北道)で戦い勝利。その後はしばらくは大きな戦いはありませんでした。

国内で反乱

ところが631年。国内で柒宿(チルスク)と石品(シクプム)が反乱を起こすなど国内は混乱しました。

真平王は柒宿と石品を処刑しましたが、その後も国内の混乱は続きました。

632年。死去。死因は不明です。

 

PR

真平王の娘が次の王に即位

娘は二人

真平王には男子がいませんでした。歴史書「三国史記」に記録されている娘は二人。

  • 長女:徳曼
  • 次女:天明

男子の後継者がいないので長女の徳曼公主が即位。善徳女王が誕生しました。

 

ソンファ王女は実在しない?

「三国遺事」では三女・善花が登場。
ドラマ「ソドンヨ」のソンファ王女のモデルになった人物です。百済の武王と結婚されたと言われますが。史実ではないようです。

「花郎世紀」という偽書には四女・天花公主が登場します。「花郎世紀」は現代人の作った偽の歴史書なので事実ではありません。

「花郎世紀」では天明が長女、徳曼となっています。ドラマ「善徳女王」「ソドンヨ」は史実ではなく「花郎世紀」の設定を採用しているようです。

 

PR

まとめ

真平王は新羅を統一国家へと導く礎を築いた偉大な王の一人です。

官僚組織の整備や仏教の普及など内政面での改革に尽力しただけでなく、周辺国家との外交関係にも積極的に関わり、新羅の国際的な地位を高めました。

しかし晩年は国内の反乱や周辺国の侵攻に悩まされ、統一という夢を叶えることなく生涯を閉じてしまいます。

統一した武烈王や初の女王になった善徳女王が注目され、いまいち注目度の低い王ですが、新羅の歴史では重要な王のひとりといえます。

 

テレビドラマ

ソドンヨ SBS 2005年 演:チェ・ドンジュン
ヨンゲソムン SBS 2006年 演:チャ・ヅオク
善徳女王 MBC 2009年 演:チョ・ミンギ、ペク・ジョンミン
大王の夢  KBS 2012年 演:キム・ハギュン、イ・ホジン

 

リクエスト歓迎!

アジアのドラマで知りたい歴史上の人物は他にいますか? 人物以外にも出来事・事件や文化・時代背景・民族や国など。アジアの歴史ならOK。中国・韓国以外でもできるだけお答えします。 必ず記事にできるとは限りませんが、できるだけお応えします。コメント欄に書き込んでくださいね。 (リクエストはコメント欄に表示されません)

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました