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鶴唳華亭の皇帝・蕭睿鑑は実在する?モデルは?

鶴唳華亭 2 ドラマ人物

中国ドラマ「鶴唳華亭(かくれいかてい)」に登場する皇帝・蕭睿鑑(しょう・えいかん)は実在するのでしょうか?

舞台になる国は南斉国。

南斉は古代中国の南北朝時代に存在しました。

南斉の皇帝一族は 蕭(しょう)氏です。

でも、結論から言うと蕭睿鑑は架空の人物です。

じゃあゼロから作った人物かというとそうではありません。モデルになった皇帝がいるようです。

ドラマの蕭睿鑑とモデルになった皇帝を紹介します。

 

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皇帝・蕭睿鑑(しょう・えいかん)とは

演:黄志忠

南斉の皇帝。蕭定権、蕭定棠、蕭定楷の父。

彼はかつて顧思林の妹と結婚。顧家の軍権を手に入れ顧家を後ろ盾にしました。でもやがて軍権を握る顧家を警戒。定権を顧思林を従わせるために利用してます。

蕭睿鑑は皇太子 蕭定権に対して、私的な場面では親子。公的な場面では臣下の態度をとっています。

長男で庶子の蕭定棠に対して表面的には皇太子よりも親しそうにしていますが。心の奥ではやはり皇太子 蕭定権を気にかけています。

しかし蕭睿鑑と蕭定権の間にはなかなか埋めることのできない関係があり。やがて悲劇的な結末に・・・

 

ドラマの国は宋がモデル

ドラマは「南斉国」の設定です。でも映像で再現されている服装、装飾品、建築物、組織、役職名は宋時代のものを若干アレンジしたもの。

科挙ができたのは隋の時代。南斉時代にはありません。史実の南斉は隋よりも古い国ですから。南斉で科挙は行いません。

第1話で盧世瑜のセリフに「開国して100年」というのがあります。史実では南斉は建国してたった23年で滅亡しました。でも宋(北宋)は167年続きました。

ドラマでは北方の国と戦っています。金や遼と戦っていた北宋末期に似ています。

そういえば中国ドラマを見ている人なら「孤城閉」や「大宋宮詞」に雰囲気が似ているのに気がつくのではないでしょうか。

ドラマの中の命令書や書類は瘦金体(そうきんたい)という字体で書かれています。瘦金体は北宋の微宗 趙佶が作ったものです。

 

皇帝・蕭睿鑑のモデルは宋徽宗 趙佶

ドラマの南斉国は宋がモデルなのはわかりました。ドラマで再現されているのは制度や文化が成熟した北宋末期のものです。

それなら宋のどの皇帝が蕭睿鑑のモデルになるのでしょうか?

ズバリ。ドラマ「鶴唳華亭」の南斉 皇帝・蕭睿鑑のモデルは北宋の第8代 皇帝 徽宗 (きそう) 趙佶(ちょう きつ)です。

 

蕭睿鑑と徽宗 趙佶 の共通点

・劇中で使っている書体は徽宗が作ったもの。

ドラマの中の命令書や書類は瘦金体(そうきんたい)という字体で書かれています。瘦金体は全体的に細いがメリハリのある書体で、北宋の微宗 趙佶が作ったものです。「瘦金」は微宗 趙佶の雅号(ペンネーム)です。

・素袍を着ていることが多い

蕭睿鑑は皇帝の服・龍袍(豪華な刺繍のある皇帝の制服)はあまり着ずに飾りのないシンプルな服・素袍を着ています。

徽宗 趙佶も龍袍をあまり着ずに素袍を着ていました。でも質素倹約のために素袍を着ていたのではありません。

徽宗 趙佶は道教にかぶれていました。仙人や導師(道教の司祭)気取りです。宗教的理由・コスプレ的な感覚で素袍を着ていたのです。

・芸術家

徽宗は宋史上というか中国史上最も芸術にのめり込んだ皇帝といわれます。

鶴唳華亭の蕭睿鑑は特別芸術に優れているというわけではありませんが。書画や音楽をたしなむ文化的な一面を持っています。

・皇太子に厳しくあたる

劇中の蕭睿鑑は皇太子 蕭定権につらくあたっています。顧家の後ろ盾を持つ蕭定権を信用しきれません。蕭定権と伯父の顧思林の関係にも嫉妬しています。

表面的には趙貴妃との間に生まれた斉王 蕭定棠を大事にしています。蕭睿鑑と蕭定権の確執はやがて悲劇を生むことになります。

史実の徽宗 趙佶も皇太子 趙桓との関係はよくありません。

徽宗 趙佶は寵愛する大王貴妃(王姓の貴妃が二人いるのでこちらの王貴妃には大をつけます)との間に生まれた趙楷を可愛がっていました。

徽宗 趙佶は皇太子 趙桓を廃して趙楷を皇太子にしようと考えたくらいです。でも金と戦争になりそうだったので皇太子は廃されずにすみました。

ネタバレをすると。

蕭定権は皇帝になることはできませんが。趙桓は皇帝(欽宗)になりました。しかし趙桓のときに北宋は滅亡したのでどちらも不幸な運命です。

 

モデルになった宋徽宗 趙佶とは

徽宗 趙佶についてどんな皇帝だったのか簡単に紹介しましょう。

趙佶は1082年生まれ。
第6代皇帝 神宗の六男。

兄の哲宗 趙煦に子がなかったので皇帝になりました。

他の兄弟がなる可能性もあったのですが尚太后のゴリ押しで皇帝になったのです。

芸術が好きすぎる

徽宗 趙佶は絵画や書の天才でした。芸術家としては一流だったのでしょう。現代の中国や日本でも徽宗の作品は評価が高く。徽宗 趙佶の描いた絵が現代の日本で国宝になってます。

でもそれはそれ。

政治家、君主としてはダメな最低の皇帝でした。

増税・労働・搾取で民を苦しめる

徽宗 趙佶は芸術活動に没頭したい。贅沢がしたいのでお金が欲しい。

でも真宗、仁宗の時代と違い。当時の宋は財政赤字で贅沢できるお金はありません。

そこで徽宗は独裁を強めて過酷な増税を行いました。

それだけではありません。各地に役人を派遣、珍しい書画、書籍を集めさせ。庭園に置くために江南から珍しい岩や樹木を運ばせました。人の家にある物も強制的に没収します。

庭園といっても人工の山や湖を作る大規模な土木工事が必要。徽宗は湖に沈んでいる岩が好きだったので人力で湖から岩を引き上げ、江南から何百kmも離れた首都・開封に岩や樹木を運ばせました。それも庶民の負担です。

ただ絵や書を描いているだけで政治は重臣任せならまだマシだったかもしれません。でも徽宗は国民を苦しめていました。

当然、重税・労役に苦しんだ民達が各地で反乱をおこします。

金を騙して怒らせる

このころ遼(契丹)に服従していた女真が力を付けて金を建国。金が遼を滅ぼしそうになると金と同盟。遼が領有している燕雲十六州を奪おうとしました。しかし宋は瀕死の遼にも敗北。金に攻め滅ぼしてもらいます。でも詐欺的な手口を使い金との約束を何度も破り、怒った金に攻め込まれました。

よく中国時代劇ではいきなり遊牧民が攻めて来ますが。実際には中華王朝側が攻められる原因を作ってることも多いです。

ただ、徽宗の名誉?のために書いておくと。遼に戦争をふっかけたり金を騙すように考えたのは臣下たち。徽宗はそんなことより自分の庭園や宗教、芸術の事ばかり考えていました。徽宗は外交ではリーダーシップを発揮することなく重臣任せなのです。さらに問題なのが徽宗の時代の重臣のレベルも真宗のころに比べれば落ちていること。もちろんそれも問題ですね。

 

息子に譲位して逃げる

金が攻め込んでくると徽宗は皇太子 趙桓(欽宗)に皇帝の座を譲り鎮江(南京の近く)に逃げてしまいます。

北宋が滅んだのは9代皇帝 欽宗 趙桓の時。でも、北宋が滅ぶ直接の原因を作ったのは徽宗 趙佶です。

ドラマでは南斉は北の国と戦争しています。でもドラマの南斉は滅びません(劇中では)。

徽宗 趙佶そのままというわけではなく。あまりにも醜い部分はカット。部分的に参考にしている程度。ということになりそうです。

 

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