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上陽賦:蕭綦(しょうき)は実在するの?モデルは?

上陽賦 2 ドラマ人物

豫章王 蕭綦(しょう き)は中国ドラマ「上陽賦(じょうようぶ)」の登場人物。

蕭綦は低い家柄出身の武将。

政略結婚でヒロイン・王儇と結婚することになります。

戦場で緊急事態があっていきなり結婚式をドタキャンするなど、新婚生活は最悪。二人の仲も最初は気まずい雰囲気でした。

でも蕭綦が人々のため争いのない世の中を作ろうとしているのを知り、王儇は蕭綦に好意的になります。

蕭綦と王儇はお互いに尊重しあって生きて行くのですが。国の中も外も問題だらけなのがこの時代。果たして二人の運命は?

上陽賦は架空の王朝を舞台にしたドラマ。でもゼロから作っているのではありません。モデルになった国や人がいます。

蕭綦 のモデルになった人物は実在するのでしょうか?いるとしたら史実ではそのような人物だったのでしょうか?

ドラマに登場する豫章王 蕭綦とそのモデルになった人物を紹介します。

 

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ドラマ「上陽賦」の蕭綦(しょう き)

蕭綦(しょう・き)

演:周一囲(ジョウ・イーウェイ)
 他の出演作:長安24時:龍波、海上牧雲記:碩風和葉、蒼穹の昴:梁文秀 ほか

声:阪口周平(さかぐち しゅうへい)
 他の出演作:王女ピョンガン:オン・ヒョプ、奇皇后:タプジャヘ ほか

 

蕭綦(しょう き) 周辺の相関図

関係者の相関図を載せておきます。

上陽賦相関図

 

 

ドラマ「上陽賦」の蕭綦とは

寒族武人→寧朔軍主將→豫章王→隱士

寒門(格の低い家)出身の武人。勇気と決断力を持つ人物。
若いころ生活のために軍に入りました。やがて野心が芽生え自分が王になりたいと思うようになりました。

名門貴族の娘・王儇とは政略結婚でした。結婚式の当日、辺境で緊急事態があったので結婚式をドタキャンして戦場に向かいました。花嫁衣装を着た王儇はひとり取り残され。新婚生活はあまりよいスタートではありませんでした。

でも蕭綦と王儇はお互いに心を通わせ、共に人生を切り開いていこうとします。

王朝内の皇位を巡る争いや、北方の突厥系の賀蘭族との争いなど。二人で様々な困難に立ち向かいました。

そして王朝をゆるがす王藺の乱を鎮圧後。王儇とともに静かな余生をおくります。

モデルになった劉裕はそうした王朝内のトラブルや他国との争いを勝ち抜いて。最終的に皇帝を廃して自分が皇帝になって新しい王朝(劉宋)を建国します。

でもこのドラマでは外的や王朝内の勢力を倒して王朝を守った後は引退。自分が皇帝になることはありません。

中国の歴史では、そこまでの力があったらダメな皇帝を廃して自分が皇帝になりますけどね。中国史はその繰り返しです。

そういえば現在の中国でTVドラマ化されている架空王朝ドラマは臣下が君主を倒して新しい王朝を作る「下剋上」がありませんよね。ドラマ版は原作小説版とも違う部分がありますし。今の中国ではTVドラマにも検閲があります。小説からTVドラマ化されるときには当局からシナリオを変更するよう要求されることがありますから問題があったのかもしれません。

 

蕭綦 のモデル 劉裕

低い家柄出身の兵士

豫章王 蕭綦(しょう・き)のモデルになったのは5世紀の中国南朝の 宋(劉宋)を建国した劉 裕(りゅう・ゆう)。

中国南朝 普(東普)の時代。

地方役人の子に生まれた劉裕は、子供のころから貧しい暮らしをしていました。成長して軍に入り。五斗米道の孫恩(そん・おん)が起こした反乱の鎮圧に参加しました。

このころ東普の朝廷内でも権力争いがおきていて、皇族の司馬道子(しば・どうし)と貴族の桓玄(かん・げん)が対立。

桓玄が司馬道子を殺害して朝廷の権力を握りました。劉裕は桓玄の配下になりました。

戦場で活躍して重臣の仲間入り

ところが桓玄が安帝 司馬徳宗を廃して自分が皇帝と名乗りました。

劉裕は仲間を集めて桓玄を討つため挙兵します。劉裕は桓玄を破って安帝を再び皇帝にしました。劉裕は功績で鎮軍将軍・都督十六州諸軍事になり。朝廷でも大きな発言力を得ました。

鮮卑の慕容氏が建国した南燕が国境を超えて略奪を行ったので南燕攻略を進言。半年かけて南燕首都の広固城を攻め落としました。

ところが劉裕が南燕と戦っている間に五斗米道の盧循が広州から攻めてきました。劉裕は急いで鮮卑の捕虜3千人を生き埋めにして急遽、首都の建康に戻りました。劉裕は盧循と戦って撃破。建康を守りました。

粛清を繰り返し権力を手にする

その後、劉毅や謝混たち政敵を殺害。朝廷内で最も大きな力を持ちます。

「宋王」の爵位を与えられました。

隣国の後秦を攻め首都・洛陽を陥落させました。その後、長安を占領しました。

ところが夏の赫連勃勃によって長安は奪い返されました。

長安は失ったものの、国内外の敵を排除。

419年。劉裕は安帝を暗殺。安帝の弟・司馬徳文(しば・とくぶん)を新しい皇帝(恭帝)にしました。

皇帝を殺害して宋(劉宋)を建国

そして420年。恭帝から皇帝の座を奪い、劉裕が皇帝(武帝)になりました。

普(東普)は滅亡。宋(劉宋)が建国します。

建国して間もない422年。武帝 劉裕は死去。享年59歳。

長男の劉義符(りゅう・ぎふ)が次の皇帝になりました。

劉裕は低い家柄の出身でしたが、様々な戦いで手柄をたてて昇進。重臣の仲間入りをしました。南燕や後秦を呼ぼろし、国外の敵対勢力との戦いでも功績をあげる一方。国内でも容赦ない粛清を行い政敵を次々に排除。

最終的には安帝を殺害、あとを継いだ恭帝から皇帝の座を奪って自分が皇帝になります。その恭帝も殺害しました。

戦いには強いけれども野心家で冷酷な皇帝の印象が強い人物です。そういう人物だからこそ、寒門(格の低い一族)から皇帝になれたのでしょう。

宋(劉宋)の建国者

自身の皇帝の期間は短かったのですが、息子たちがあとを継ぎました。この武帝 劉裕が作った国がドラマ「驪妃」の舞台になる「宋(劉宋)」です。

劉一族が皇帝になっても昔からの貴族、王氏や謝氏などの大貴族は力を持っていました。宋(劉宋)は貴族の力を削って皇族が軍事力を持つ国にしました。

しかしその宋(劉宋)もわずか59年で滅亡します。非常に不安定な時代です。

 

「上陽賦」の蕭綦は皇帝の座を奪わない「いい」劉裕

ドラマ「上陽賦」の蕭綦は低い家柄から戦いで出世、朝廷の名門貴族からも一目置かれる存在になり「王」の爵位も得ました。国内や国外の敵との戦いでも実績を残します。

でも蕭綦は劉裕の冷酷非情な部分はありません。自分が皇帝を殺害したり皇帝の座を奪ったりはしません。政敵を倒しても皇族を皇帝につけて自分は権力の座から遠ざかります。

劉裕から残酷な部分を削って「いい人」にしたのが蕭綦といえそうですね。

 

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