中国ドラマ「長安賢后伝」で蕭承睿(しょうしょうえい)にはモデルになった人物がいます。大清国(後金)の皇帝ホンタイジです。
ホンタイジはヌルハチの八男。
ドルゴンの異母兄です。
後金の2代目ハン(国王)。
後金の国名を大清国に変えて皇帝(ハーン)に即位しました。
清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台でした。「孝荘秘史」を唐のような中華王朝に置き換えたドラマが「長安賢后伝」です。
ドラマ「長安賢后伝」の蕭承睿は権力欲が強く策略家のイメージで描かれています。これは中国国内のホンタイジのイメージがかなり影響しているようです。
ホンタイジはドラマで描かれるイメージと歴史上の姿がなかり違う人物のひとりです。
蕭承煦のモデルになったホンタイジとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の蕭承睿(しょうしょうえい)とは
蕭承睿(しょうしょうえい)
演:韓棟(ハン・ドン)
蕭尚遠の第三王子→盛州王→大晟皇帝→大晟太宗
盛州王 蕭尚遠の息子。
四大王子のひとり。年齢順では2番めですが、最年長の蕭承禮がいまいち消極的な人物なので。王子の中では一番、力をもっています。大きな野望と先見性を持った人物。
父・蕭尚遠の死後。次の王座を狙います。蕭承睿を支持する弟の蕭承耀、蕭承泰は父がかわいがっていた蕭承煦を殺害しようとします。しかし蕭承睿は二人をなだめ、沐王妃を「蕭尚遠の遺言」ということで殉死させることで弟は生かすことにしました。
王になった後、賀蘭茗玉を側室にします。
梁との戦いでは、敵将の薛継に勝つことができず。策略を使って明徳帝に薛継を処刑させました。
西斉との戦いでは熙国から西斉が受け継いだ伝国の玉璽を得て、国名を「大晟国」に変えて「皇帝」に即位。
賀蘭茗玉との間には啓元が誕生。しかし、賀蘭茗玉や蕭承煦との仲は悪くなる一方。
やがて蕭承睿にも最後のときが迫ります。最後に蕭承睿が賀蘭茗玉と蕭承煦を仲違いさせるためにとった行動とは?
蕭承睿(しょうしょうえい)のモデル・ホンタイジとは?
ホンタイジは後金から清朝初期の人物。
日本では江戸時代初期になります。
ドルゴンは1612年。後金のハン(王)ヌルハチの八男として生まれました。
「長安賢后伝」ではヌルハチは「蕭尚遠」になります。
母は第3王妃のモンゴジェジェです。
1626年。ヌルハチが死亡するとヌルハチの遺言で母アバハイは殉葬されました。その後、王族会議でホンタイジが新しいハンに選ばれました。
当時の後金で後金を動かしていたのは四大ベイレ(ダイシャン、アミン、マングルタイ、ホンタイジ:ドラマの四大王子のモデル)です。
ホンタイジはハンになっても一人で玉座に座るのではなく、四大ベイレが並んで臣下の前に座っていました。史実のホンタイジはドラマみたいに最初から力を持っていたのではありません。
その後、朝鮮(ドラマには登場しない)を攻めて服従させ。南モンゴルを支配下におき。モンゴル・チャハル部(ドラマでは大斉国)が持っていた大元(ドラマでは熙国)の伝国玉璽を手に入れました。
ホンタイジは民族名を「女直・女真」から「満洲」、国名を「金(後金)」から「大清」(ドラマでは大晟国)に変えました。自らは皇帝(ハーン)に即位しました。
明(ドラマでは梁)の将軍・袁崇煥(ドラマでは薛継)には手こずってなかなか勝てませんでしたが、ホンタイジは「袁崇煥は敵に内通している」という噂を流しました。策略に引っかかった明の崇禎帝(ドラマでは明徳帝)は袁崇煥を処刑してしまいます。
2度めの朝鮮遠征では自ら遠征を行い朝鮮を冊封国にしました。
その後は遼東・遼西の明の領土を次々に占領。
ホンタイジ自身は明への総攻撃には慎重でした。すぐにでも明を倒そうという王族達たちをなだめ、徐々に明を弱らせる方法を採用しました。朝鮮や南モンゴルを攻めたのも明を孤立させるためです。
遼西攻略中に寵愛していた宸妃(ドラマでは賀蘭綰音)が倒れ、急いで戻りましたが間に合いませんでした。
その後。ホンタイジも死去。享年51.
その後、ブムブタイ(ドラマでは賀蘭茗玉)との間に生まれたフリン(順治帝・ドラマでは蕭啓元)が次の皇帝になりました。
ホンタイジは様々な策略を使って王座を手に入れた独裁的なイメージのある皇帝です。中国のドラマをみてもだいたいそんなイメージで描かれています。実際には初期の段階では四大ベイレの共同統治で政治がおこなれていて。ホンタイジの権限はそんなに強くありませんでした。
しかしホンタイジは他の兄弟たちよりも頭がよく、したたかな人物でした。実績を積重ね人々の信頼を得ると様々な口実を作ってベイレ(王族)たちを粛清していきます。ホンタイジの独裁制は生涯をかけて作り上げたもので最初から力を持っていたのではありません。
また、後金国内で虐げられていた漢人たちの地位を引き上げ彼らを多く採用して中華王朝式の国作りを進めました。
満洲人による満洲人のための国だった後金から満洲人・モンゴル人・漢人の暮らす多民族国家に発展させました。清は後に万里の長城を超えて中国を支配します。大清帝国の基礎を作ったのはホンタイジといってもいいくらいです。
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