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狼殿下:渤王 楚有炆のモデル・後梁 博王 朱友文

五代十国 9 その他の国や民族

博王 朱友文(しゅ・ゆうぶん)は中国の五代十国時代に存在した後梁の武将で王族。

後梁皇帝の朱全忠の養子(仮子)です。
皇帝になる前の朱全忠のもとで働き有能さを認められて養子(仮子)になりました。

朱友文を高く評価していた朱全忠から跡継ぎに選ばれます。

でも朱全忠の実子の朱友珪に殺害されてしまいます。

五代十国時代というマイナーな時代の人物なのであまり話題になることはありませんが。

ドラマチックな人生はいくつかのドラマで登場人物のモデルになりました。

中国ドラマ「両世歓」では 亳王(はくおう)演:杜俊澤(ドゥ・ジュンサー)

「狼殿下」では役名:渤王(ぼつおう)楚有炆(そ・ゆうぶん)演:王大陸(ダレン・ワン)

などがありあます。

史実の朱友文とはどんな人物だったのか紹介します。

 

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朱友文の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:不明

姓名:康勤 → 朱友文
字:徳明

国:唐→後梁
称号:博王

父:不明
義父:朱全忠
母:不明
妻:王氏

子供:あり(性別・数は不明)

日本では平安時代になります。

出身はソグド人?

生年は不明。

もとの姓は「康」。
名前は「勤」

両親や出身地は不明。

「康」はソグド姓のひとつ。サマルカンド(現在のウズベキスタン)出身のソグド人が中国で暮らすときに使っていた姓です。

ソグド人はペルシア(イラン)系の民族でオアシスで暮らしていました。シルクロードを通って盛んに商売も行っていました。漢に仏教を仕えたのもソグド人といわれていて、中国の文化や経済に大きな影響を与えた人たちです。ソグド系の人々は唐の各地に移り住みました。ソグド人の中には商人だけでなく軍人として活躍する人もいました。

安史の乱をおこした安碌山や史思明もソグド系の人です。

康勤はソグド人かソグド人を祖先にもつ人物だったようです。

兵力が足りない

安史の乱の鎮圧後、唐は国を安定させるため節度使を各地に設置しました。

節度使は地方を守る軍隊の司令官です。節度使は朝廷から与えられた兵だけではなく、それぞれの地域で徴兵して自前の兵力をもちました。

安史の乱の主な舞台になった河北は大きな被害を受け。反乱鎮圧後も荒れ果てていまいした。そういう社会では男子が手っ取り早く職についてお金にありつく方法は軍隊に入ることでした。軍に入れば家族を養うだけの収入があったのです。

各地の節度使も現地の若者を積極的に採用しました。

唐末期には黄巣の反乱がおきて各地が分断されました。各地の節度使は中央からの援軍もあてにできず、自前で守らないといけません。各地の節度使は兵士を募集しました。

指揮官も足りない

多くの兵を集めるとコントロールするのが難しくなります。

一番いいのは家族や親族などの信頼できる人に指揮を任せることです。でも親族にも限りがあります。有能な人がいるとは限りません。

そこで有能な兵を仮子にして忠誠心をもたせて軍の指揮を任せました。

仮子とは擬似的な親子関係を結ぶこと。「義兄弟」の親子版みたいなものです。仮とはいえ「親子」なので、義兄弟に比べれば上下関係がはっきりしています。

この時代は主従関係を強化するために有能な若者を「仮子」にすることがよくありました。

仮子が養子と違うのは、仮子には相続権はなく、跡継ぎになることもないことです。

朱全忠には何人もの仮子がいました。朱友文もそうして朱全忠の仮子になった一人です。

 

朱友文の生涯

朱温の仮子になった朱友文

若いころの康勤(朱友文)は美形で勤勉。話すのが上手で詩を作るのも上手でした。

時期はわからないものの、康勤は朱全忠の仮子になりました。

康勤は名前を 朱友文(しゅ・ゆうぶん)に変えました。

有能だった朱友文は何人もいる朱全忠の仮子の中でもとくにお気に入りでした。

朱全忠は黄巣の乱に参加して軍団の指揮官として出世した後。唐との戦いに敗れて唐に投降。その後は唐の将軍として活躍しました。

軍団の指揮官になっていた朱全忠に優秀さが認められて仮子になったようです。

朱友文は朱全忠から非常に信頼されていたので財政関係を任されていました。朱全忠が四鎮節度使をつとめたとき。朱友文は塩鉄制置使になり、朱全忠が各地に派遣する軍の費用を集めるのに貢献しました。

907年。朱全忠が唐でクーデターをおこして後梁を建国。皇帝(後梁 太祖)になりました。

朱友文は博王 の称号を与えられました。

妻が義父と不倫

博王 朱友文には王氏という妻がいました。
王氏はとても美人でした。

後梁太祖 朱全忠は正室の張皇后が亡くなった後。やたらと女性に手を出すようになりました。

朱全忠は息子たちの妻を都に住まわせました。そして息子たちの妻にも手を出します。美人と評判の王氏も朱全忠の目にとまります。王氏は朱全忠の愛人になってしまいました。王氏は朱全忠が最も愛する女性になりました。

二人の関係を朱友文がどう思ったかはわかりません。

後継者に選ばれるも殺害される

912年。病気になった朱全忠は後継者を決めました。朱全忠には何人もの息子がいました。でも朱全忠が後継者に選んだのは朱友文でした。

朱友文が王氏と愛人関係だったから。朱友文を選んだと言われます。確かに王氏の働きかけはあったのでしょう。でも何人もいる実の息子をさしおいて仮子の朱友文を選んだのは、それだけ朱友文が優秀だったからなのでしょう。

当然、実の息子たちは面白くありません。仮子に跡継ぎの座を奪われるのは実子にとってみれば屈辱でしかありません。

「朱友文が太子になる」という情報をいち早く掴んだのが郢王 朱友珪(しゅ・ゆうけい)の妻・張氏でした。張氏は朱友珪に報告。

朱友珪は反乱を起こして朱全忠を殺害。

その罪を朱友文と妻子になすりつけて処刑しました。

朱友文は死後、朱友珪によって庶人に落とされました。でも朱友珪を殺害した朱友貞が皇帝になると身分は回復しました。

 

テレビドラマ

両世歓 2020年、中国 演:杜俊澤(ドゥ・ジュンサー) 役名:亳王(はくおう)

雍国の亳王は朱友文がモデル。雍帝の養子という設定。

 

狼殿下 2020年、中国 演:王大陸(ダレン・ワン) 役名:渤王(ぼつおう)楚有炆(そ・ゆうぶん)、狼仔(ろうし)

 狼殿下こと主人公・楚有炆(そ・ゆうぶん)のモデルは朱友文(しゅ・ゆうぶん)。こちらでも皇帝・楚馗の養子。狼に育てられた少年・狼仔。幼いころヒロイン馬摘星と心を通わせるもその後生き別れ。楚馗に拾われた狼仔は養子になりました。そして成長した馬摘星と再会するのですが・・

朱友文の末路も悲劇的ですが。楚有炆の末路も悲劇的です。

 

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