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[両世歓] 鄴王のモデル 後梁皇帝・朱友珪

五代十国 9 その他の国や民族

朱友珪(しゅ・ゆうけい)は古代中国の五代十国時代の王族。

後梁の2代皇帝です。

後梁を建国した朱全忠の三男。

出来が悪いため父からは嫌われていました。朱全忠が朱友文にあとを継がせようとしたので。反乱をおこして朱全忠と朱友文を殺害。

自らが皇帝になりましたが。人望が無く。自分も反乱で命を失います。

いかにも悪役っぽい人生からいくつかのドラマでは朱友珪をモデルにした人物が登場しています。

中国ドラマ
「両世歓」では 鄴王
「狼殿下」では 楚有圭 のモデルになりました。

史実の朱友珪はどんな人物だったのか紹介します。

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朱友珪の史実

いつの時代の人?

生年月日:886年
没年月日:913年

姓 :朱(しゅ)
名称:友珪(ゆうけい)

国:唐→後梁
地位:郢王→皇帝→庶人
在位期間:912年7月21日~913年3月27日

父: 朱全忠
母: 妓娼(氏名不詳)
正室: 張皇后

子供:不明

日本では平安時代になります。

 

おいたち

唐の僖宗の時代。
886年に生まれました。

父は朱全忠(しゅ・ぜんちゅう)。
最初は唐に反乱を起こした黄巣軍に所属していましたが、唐に降伏。唐の軍人になりました。

朱友珪は朱全忠の三男。
母は亳州の営妓(軍に所属する娼婦)

朱全忠が亳州に遠征にしたとき召し抱えた営妓(名前は不明)が朱友珪の母でした。朱全忠と営妓は関係をもったあと営妓が妊娠しました。

朱全忠が戻ることになりました。当時の朱全忠には正妻の張氏がいましたが。朱全忠は張氏をおそれて自分の屋敷には連れて帰らず、亳州の屋敷に住まわせました。

営妓は朱全忠と別れたあと男子を出産。その男子が朱友珪です。母は朱全忠に使者を送って男子が生まれたことを報告。朱全忠は喜びその子に「遥喜」という幼名を付けました。

父と対面、でも兄と比較され嫌われる

その後、朱友珪は父と会いました。母が一緒だったかは不明です。

子供のころから優秀だった一番上の兄・朱友裕と比べられ、朱全忠からは嫌われていました。

できの悪い友珪は父から鞭打たれていたといいます。そのために朱友珪は歪んだ性格になったと言います。

母の身分が低いこともあって、家来たちからも人気がありません。

父が唐を滅ぼし後梁が建国

開平元年(907年)。朱全忠が唐に対してクーデターを起こしました。唐が滅亡。朱全忠は「梁」を建国、皇帝(太祖)になりました。名前も朱晃(しゅ・こう)と変えました。

朱友珪は「郢(えい)王」になりました。

開平4年(910年)。左右控鶴都指揮使に任命されました。諸軍都虞候も兼任しました。

ところが晋王 李存勗との戦いに何度も敗れました。激怒した父の朱全忠は「私の息子は豚犬以下だ」と罵られました。

父を殺害して皇帝になる

晩年の朱全忠は病気になり、後継者を仮子の博王 朱友文にしようと考えました。

仮子とは義兄弟の親子版。養子のようなものですが、養子と違って普通は仮子にあとは継がせません。

ところが朱全忠は妻・張皇后の死後。息子の妻たちを集めていました。そして朱友文の妻・王氏と愛人関係になっていました。王氏は大変美しく、朱全忠が最も寵愛した女性でした。

朱全忠が期待していた長男・朱友裕は既に他界、次男も幼い頃に死亡していました。

朱全忠は朱友文が有能なこともあって(だから仮子にした)、朱友文に譲位しようとします。

そして実の子の朱友珪を萊州刺史にして左遷しようとしたました。

朱友珪はその話を朱全忠の近くに仕えていた張夫人から聞きました。

朱全忠は左遷した重臣を殺害していました。自分もそうなると考えた朱友珪は先手を打ちます。

乾化2年(912年)。朱全忠の行いに不満を持っていた左龍虎軍(近衛軍)を味方にして、500人の兵を率いて宮中に乱入。

病気で寝ていた朱全忠を殺害。

朱全忠 殺害の罪を朱友文にかぶせて朱友文と妻子を処刑しました。

そして自ら皇帝に即位しました。

皇帝即位後

朱友珪は後梁の2代皇帝として即位。

ところが朱友珪の即位直後から「皇帝を殺したのは朱友珪だ」と噂が広まりました。先代から仕える多くの武将たちが朱友珪を嫌いました。

朱友珪は彼らを味方にするため高い役職や褒美を与えましたが、あまり効果はありません。しかも贅沢な暮らしを続けたので人々から嫌われます。

朱友珪は、河中の護国節度使で朱全忠の仮子だった朱友謙を侍中・中書令に任命しようとしました。ところが朱友謙は拒否、後梁と敵対していた李存勗に援軍を求めました。

朱友珪は怒って朱友謙を討とうとしました。ところが李存勗軍に敗れてしまいます。

同じころ。開封の後梁軍に謀反の疑いがあるという噂が流れました。後梁軍は朱友珪に不満はありましたが謀反までは考えてなかったようです。でもそれに目をつけたのが朱友珪の異母弟・朱友貞(しゅ・ゆうてい)でした。

鳳曆元年(913年)2月。朱友貞は朱全忠の甥・袁象先、娘婿・趙岩、将領 楊師厚たちと協力して反乱を起こしました。

侍衛親軍都指揮使の袁象先たちが、宮中で反乱を起こしました。朱友珪は逃亡しようとしたが既に手遅れ。側近に皇后の張氏を殺させ、次に自分を殺させました。享年28。

その後、異母弟の朱友貞が皇帝になりました。

朱友珪は廃位になり庶人にされました。そのため諡も廟号もありません。

 

テレビドラマ

直接、朱友珪が登場するドラマは少ないですが。
戦乱の時代だった五代十国時代をモデルにしたドラマはいくつかあります。

両世歓 2020年、中国 演:王冠 役名:鄴王

雍国の鄴王は朱友珪がモデル。鄴王は数々の陰謀を企む黒幕として登場。父・雍帝を殺害して皇帝になりますが、直後に主人公たちによって討たれます。

 

狼殿下 2020年、中国 演:林佑威 役名:楚有圭

 

 

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