大王の道

1 李氏朝鮮の国王

英祖(ヨンジョ)の史実と家系図。派閥争いを抑え全盛期を迎えた厳しい国王

朝鮮 英祖(ヨンジョ)は 李氏朝鮮王朝の題21代国王。 19代国王粛宗と淑嬪崔氏の息子。 正祖 イ・サンの祖父です。 即位する前は延礽君(ヨニングン)と呼ばれていました。 朝廷内の派閥争いも激しく、王族同士の争いもありました。その一方で、英...
2 李氏朝鮮の妃・側室

イサンの正妻・孝懿王后(ヒョイ王妃)の史実

孝懿王后(ヒョイ王妃) 金(キム)氏は李氏朝鮮の王妃。 第22代国王・正祖(イ・サン)の正妻です。 頭のよい女性だったと言われ、儒教社会では模範的な妻とされました。 その一方では個人的は幸せだったとはいえないエピソードもあります。 史実の孝...
4 李氏朝鮮の王女

和緩翁主(ファワンオンジュ)は思悼世子の迷惑行為に悩まされイサンと対立した?

和緩(ファワン)翁主は李氏朝鮮国王・英祖の娘です。 英祖がとくに可愛がっていた娘だといわれます。 ドラマでは思悼世子を陥れたり、世孫(正祖:イ・サン)と対立する悪女として描かれていますね。 でも当時の記録を見るとむしろ思悼世子の行いに迷惑し...
2 李氏朝鮮の妃・側室

貞純(チョンスン)王后/大妃金氏の史実・イサン亡き後の朝廷の支配者 

貞純(チョンスン)王后は李氏朝鮮時代の王妃および大妃。 第21代国王・英祖の正室。 貞純王后は正祖(イ・サン)の敵として描かれることが多いです。 晩年の英祖と結婚したので、王妃より大妃時代のほうが遥かに長いのでドラマにも大妃として登場するこ...
2 李氏朝鮮の妃・側室

貞聖王后(チョンソンワンフ)徐氏・英祖の最初の妃、イ・ソンの義母は朝鮮一在位期間の長い王妃

貞聖王后(チョンソンワンフ)は英祖の最初の妃。33年間、王妃の座にいました。 李氏朝鮮史上、もっとも在位期間の長い王妃です。 世子嬪や大妃の期間を含めればもっと長い人はいますが。王妃として33年も過ごした人はいません。 それだけ安定した立場...
5 李氏朝鮮の重臣

洪鳳漢(ホンボンハン)恵慶宮洪氏の父は英祖と正祖の信頼を得た重臣

洪鳳漢(ホン・ボンハン)は恵慶宮洪氏の父親です。恵慶宮洪氏は正祖(イ・サン)の母。 つまり正祖の祖父になります。 思悼世子の義父として支えましたが、最後は死罪になるのを止めることが出来ませんでした。 その後、世孫(イ・サン)の保護者となり王...
2 李氏朝鮮の妃・側室

恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホン氏)の史実と家系図

恵慶宮(ヘギョングン)洪氏は朝鮮22代国王 正祖の生母。夫は思悼世子。恵嬪と呼ばれました。奇行の目立つ思悼世子は英祖によって死に追い込まれ、洪氏は王妃になることはできませんでした。正祖が王になりましたが、実家の洪一族は正祖に粛清されて没落してしまいます。
5 李氏朝鮮の重臣

朴文秀(パクムンス)伝説のヒーローは党派を超えた実用主義の政治家

朴文秀(パク・ムンス)は伝説的な暗行御史(アメンオサ)。いわゆる地方の悪徳役人を裁く隠密です。 実在の朴文秀(パク・ムンス)は党派を超えて国のために実用的な政策を実行しようとする優れた政治家でした。 韓国時代劇「秘密の扉」ではイ・ソンの先生...
3 李氏朝鮮の王子

延礽君(ヨニングン)とは?派閥争いを生き残り王になった王子の実話

延礽君(ヨニングン)の生涯を解説!肅宗と淑嬪崔氏の息子が王位につくまでを詳しく紹介。景宗の死因や毒殺説についても考察します。「トンイ」「ヘチ」等、韓国ドラマファンにオススメ。
2 李氏朝鮮の妃・側室

淑儀 文(スギ ムン)氏の生涯。 思悼世子の死に関わった英祖の側室とは

昭媛文氏(スグォン・ムン氏)は李氏朝鮮21代国王・英祖の側室。英祖の寵愛をうけた側室です。淑儀(スギ)文氏ともよばれます。思悼世子の死に関わっている人物だともいわれます。思悼世子の息子・正祖は即位直後に文氏を処刑しました。文氏はどのような人物だったのか紹介します。
3 李氏朝鮮の王子

思悼世子(サドセジャ)/荘献世子:イサンの父親はなぜ殺された?家系図は?

思悼世子(サドセジャ)の史実と家系図を紹介。サドセジャはなぜ殺されたのか?なぜ米びつに入れられなければいけなかったのかわかりやすく紹介します。
2 李氏朝鮮の妃・側室

仁元王后(イヌォン王妃)は英祖のもう一人の母

仁元王后(イヌォン王妃)は粛宗の3人目の妃です。 16歳で王妃になりました。厳格な性格で強い意志の女性だったといいます。 淑嬪崔氏とも親しくし、延礽君(ヨニングン・後の英祖)の保護者となりました。 仁元王后がいなければ、延礽君は派閥争いに巻...
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