- 初代タムル軍と再興タムル軍の違いと共通理念
- 『三国史記』にみる「多勿(タムル)」の本来の意味
- 「タムル=失地回復」説の誤解と史料的根拠
- 現代韓国での“タムル精神”と創作作品での再解釈
- 歴史認識問題と文化的象徴としての「タムル」
ドラマ『朱蒙』に登場する“二つのタムル軍”とは
ドラマ『朱蒙(チュモン)』にはタムル軍が登場。でもタムル軍はひとつの軍団ではなく、 物語の前半と後半で違う形で登場します。初代タムル軍(ヘモス期)と 再興タムル軍(チュモン期)です。2つのタムル軍を紹介します。
① 初代タムル軍:ヘモス将軍の義軍
- もと古朝鮮の将軍・解慕漱(ヘモス)が率いる独立軍。
- 漢(前漢)の侵略に抵抗し、流民を解放するために結成。
- 扶余のクムワ王の支援を受けるが、裏切りや策略で壊滅。
- その理念「民族の自由」「失地回復=タムル」が後世へ伝わる。
② 再興タムル軍:チュモンの独立軍
- ヘモスの遺志を継ぎ、45話でチュモンが扶余から独立後に再結成。
- オイ・マリ・ヒョッポらが参加、旧タムル軍残党も合流。
- 名を再び掲げたこと自体が“タムル=失地回復”の理念の実践。
- この軍がのちの高句麗建国軍の母体となります。
| 区分 | 指導者 | 目的 | 構成員 | 象徴的意味 |
|---|---|---|---|---|
| 初代タムル軍 | ヘモス | 漢に抵抗・流民救済 | 扶余王族・流民兵 | 独立の理想/伝説の義軍 |
| 再興タムル軍 | チュモン | 扶余からの独立・建国 | チュモンの仲間・旧軍残党 | 理念の実現/建国の軍団 |
二つのタムル軍は世代も構成員も異なりますが、「失われたものを取り戻す」という理想は一貫しています。 これが多勿(タムル)の本来の意味「回復・再興」を象徴するドラマ的な演出です。

ドラマ「チュモン」のタムル軍(出典:Amazon)
史料に見える 多勿(タムル)
ドラマでは軍団名として描かれる“タムル軍(多勿軍)”ですが、史料で「多勿」という語が確認できるのは、わずか数か所です。いずれも軍隊名ではなく「失われた旧領を取り戻した」という状態や地名を表す語として登場します。
『三国史記』高句麗本紀の原文
最も古い出典は12世紀の史書『三国史記』です。
高句麗建国神話を記した「東明聖王本紀」に次のような記述があります。
東明王
二年,夏六月,松讓以國來降,以其地為多勿都,封松讓為主。麗語謂復舊土為「多勿」,故以名焉。瑠璃王
二年,秋七月,納多勿侯松讓之女為妃。出典:『三国史記』巻第十三「高句麗本紀」
日本語訳
東明王 2年の夏六月
松讓はその国ごと降伏、高句麗の配下となりました。 彼の土地は多勿都と名付けられ、松讓がその地の主として封じられています。
「多勿」は高句麗の言葉で「旧土を回復する」という意味です。 この言葉にちなんで、その地を多勿都と命名したのです。
瑠璃王 2年の秋七月。
多勿侯 松讓の娘を迎え入れ、妃としました。
この記述は「多勿」が実際に登場する唯一の史料です。
文中で「高句麗語では古い土地を回復することを多勿という」とあり、 “多勿”の意味が書かれています。
これは松讓が朱蒙に降伏後、再びその地を与えられた。土地を回復したのでそれにちなんで「多勿都」とした。という状況を説明しているだけです。
タムルはチュモンやヘモスの理念ではなかった
「多勿」は朱蒙(チュモン)の建国理念を表した言葉ではありませんでした。まして解慕漱(ヘモス)とは何の関係もありません。
松讓が“領地を取り戻した”という状況を説明する表現です。「多勿」は地名の語源の説明として挿入された言葉で、政治的スローガンではありません。
松讓は地名から「多勿侯」という爵位を持っていることも書かれていますが。これも地名由来の爵位名。
「多勿=朱蒙の理念」説の誤解
でも後の時代には、「多勿=失地回復=高句麗の精神」と解釈する傾向が生まれ、さらに近代以降の民族主義的文脈では、「民族の再興」「失われた国土の回復」といったスローガン的意味が追加されました。
でも史料上は「多勿」を高句麗の理念とする記録は存在しません。
資治通鑑には「多勿」の語は見えない
なお、一部ネットの記述に「資治通鑑にも同様の記述がある」と書かれています。念の為「資治通鑑」の漢文史料を調べてみましたが、今回の調査では見つけることはできませんでした。
今のところ確実に言えるのは 『三国史記』のみといえるでしょう。
これについては新発見があり次第報告します。
タムルの語源は何?難しい高句麗の言葉
「多勿(タムル)」という言葉の由来は今でもはっきりとは分かっていません。高句麗語や扶余語がどういう言語だったかほとんど解明されていないので研究者も“想像”で語るしかないのが現状です。
実は高句麗はよくわからない
高句麗時代の言葉(高句麗語)は地名や人名を漢字で音写した記録が少し残るだけです。
たとえば「多勿」や「卒本」のような表記がそれにあたります。
ですが、漢字で書かれた部分的な単語しか残っておらず、当時の発音や文法を再現できる資料はありません。「多勿」がどんな語から生まれ、元はどんな意味を持っていたのか確実な説明はできません。
盛る(담다)→タムル(다물)説とは?
一部の研究者は「多勿」を現代韓国語の動詞「담다(盛る/取る)」と関連づけています。
つまり“盛り返す”→“取り戻す”という意味の動名詞が「多勿」になった。という仮説です。
この考え方は一見もっともらしく見えますが、実際には現代韓国語からの想像。
なぜ韓国でタムルが注目されるのか?
支配と分断の歴史
韓国は20世紀前半に日本の統治下に置かれ、第二次世界大戦後は南北に分断されました。その分断は今も続いています。
こうした歴史的背景の中で20世紀後半以降「高句麗は韓民族の源流である」という考え方が広まりました。
その象徴として「多勿(タムル)」という言葉が“民族の精神”や“失地回復の象徴”として語られるようになり、特に「統一」や「文化の再生」「国の再興」といった意識が強く意識されるようになりました。
この流れの中で「古い土地を取り戻す」「再興する」という意味を込めた「タムル精神」という言葉も生まれました。
中国との歴史認識をめぐる問題
2000年代以降、この流れをさらに複雑にしたのが中国で進められた「東北工程」と呼ばれる政策です。
この解釈が韓国側では「高句麗や渤海の歴史的独立性を損なうのではないか」という懸念を生み、強い反発を招きました。
自国のルーツや歴史的アイデンティティが他国の歴史に吸収されるのではないかという危機感が広がり、その反応として、高句麗・渤海をテーマにしたドラマ(『チュモン』『大祚榮』など)が多数制作されるきっかけにもなりました。
文化と歴史の再生としての「タムル精神」
このような背景の中で「タムル」は単なる古代の単語を超えて、“古代から続く文化と精神を取り戻す”という象徴的な言葉として使われるようになります。
高句麗の歴史をめぐる議論や、中国・韓国間の歴史認識の違いが注目されるなかで、
多くの人々が「古代=民族の誇り」「受け継ぐべき文化」という意識を持つようになりました。
その象徴が「タムル」という言葉なのです。
現代における「多勿」再生と創作世界の“多勿軍”
タムルは民族宗教や民族運動では「失われた国土を取り戻す」「民族の魂を呼び覚ます」象徴とされ、現代では創作作品の中でも“タムル軍”といった形で再解釈されています。
ここでは「チュモン」以外に登場する「タムル」を紹介します。
現代創作作品での“多勿(タムル)”
学術的にはあまり資料のない多勿ですが、創作作品では「チュモン」以外にもちらほら見かけます。「タムル」が登場する代表的な小説を紹介しましょう。
古朝鮮(?)の領土を回復した韓国が超大国に?
- 作品名:タムル(다물의)
- 著者:ボム・ピリ
- 発行年:1985(初版)
- 内容:
2015年。冷凍睡眠から目覚めた主人公が目覚めると、朝鮮半島は統一されており、韓国の領土は中国の河北、満洲・沿海州・東シベリア地域に拡大。世界の超大国になっていたという作品。民族再生をテーマにしたらしい空想小説。
ヘモスが檀君朝鮮時代の領土を取り戻すため奮闘
- 作品名:タムルの歌(다물의 노래)
- 著者:キム・テヨン
- 発行年:2006
- 内容:
檀君が建国した古朝鮮。檀君亡き後の古朝鮮は滅亡、その復興を目指すヘモス。彼の精神は高句麗建国のチュモンに受け継がれる。「太王四神記」と「チュモン」の設定を足したような作品。
中国と日本によって奪われた韓国を取り戻す?!
- 作品名:大統領 チャン・テワン(대통령 장태완)
- 著者:チョ・デバク
- 発行年: 2019
- 内容:
北半分が中国、南半分が日本に占領された近未来の朝鮮半島。諜報組織「タムル」に所属する主人公が国家再建のために活動。後半は1970年代にタイムスリップして歴史を改変するという内容。
これらはすべて史料上の「多勿」を物語的に解釈して軍団や組織名として採用した創作作品です。
史実を超えて生き続ける“民族再生のキーワード”として「タムル」はいまも密かな人気があるようです。
まとめ:タムル軍は史実には存在しない
「チュモン」に登場した「タムル軍(多勿軍)」は架空の軍団です。
「多勿」という言葉は高句麗語で「失われた土地を回復」という意味がありました。ドラマではその精神を象徴的に使ったもので、実在はしません。
史書『三国史記』には「多勿=復旧土(旧領回復)」という記述があります。でもそこに登場する“多勿”は状況を説明しているだけであって、軍団や部隊としての存在を示す証拠ではありません。
ところが近現代になると、この“多勿”が民族再生や独立、さらには失地回復の象徴として再び語られるようになりました。
その流れの中で、創作作品では「タムル(軍)」が“民族の魂を継ぐ理想の軍団”“再生の象徴”として描かれています。「チュモン」のタムル軍もその流れの中で作られたといえますね。
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