テソ(帯素)は人気ドラマ『朱蒙(チュモン)』で、主人公チュモンの最大のライバルとして登場します。「チュモンとテソの最終決戦はどうなるのか?」「テソは最後、誰に負けて死ぬのか?」と、その最後が気になりますよね。
結論から言うと、ドラマ『チュモン』ではテソは死にません。
史実では帯素王はチュモンの孫・大武神王に討たれます。
この記事では、『チュモン』でテソが死なない理由から、史実の最期、そして続編的作品『風の国』で描かれる結末まで、テソという人物の「本当の最後」を時系列で分かりやすく解説します。
この記事で分かること
-
『チュモン』で描かれる“生き残るライバル”としてのテソの結末
-
史実の帯素王(テソのモデル)が高句麗と戦い続けて最終的にムヒュルに討たれた経緯
-
『風の国』で描かれる帯素王の最期
-
三つの物語と史実を重ねることで見える帯素(テソ)の人物像
チュモンのテソの最後はどうなる?
チュモンのテソは最後どうなるのでしょうか?
『朱蒙(チュモン)』のテソは“死なない”
『朱蒙』本編ではテソは物語の最後まで生きています。朱蒙と一騎打ちをして討たれるような場面はありません。
終盤のテソは若いころの暴走だけの人物ではありません。クムワの死後、扶余(プヨ)の王として正式に即位。
-
漢との関係をどう保つか
-
高句麗とどう向き合うか
という現実的なテーマに向き合いながら、自国が生き残る道を探り続ける王として描かれます。
史実のテソ(帯素王)は“戦死した王”
モデルになった史実のテソ=帯素王にははっきりと「最期」があります。
『三国史記』によると帯素王はたびたび高句麗と戦いを繰り返し、最終的には 高句麗の大武神王(ムヒュル)との戦いで戦死した とされています。
この戦いをきっかけに扶余は弱体化し、のちに高句麗の勢力下に組み込まれていくことになります。
つまり史実では、
となります。
『風の国』で描かれる“テソの死”
テソの最期が描かれるのが、大武神王ムヒュルを主人公にしたドラマ『風の国』です。
『風の国』は朱蒙の次の世代、高句麗第3代王・ムヒュル(大武神王)の物語。
-
主人公:ムヒュル(朱蒙の孫)
-
敵対勢力:扶余の王・テソ(帯素王)
クライマックスとなる最終回では高句麗と扶余の戦いが決着、ムヒュルがテソ(帯素王)を討ち取る場面が描かれます。
ここで
ドラマのクライマックスとして映像化される
というわけです。
テソ(帯素)とは?ドラマと史実をつなぐ人物像
『チュモン』のテソと史実の帯素王を重ねて見ていくと、テソという人物の“核”が浮かび上がってきます。
テソのモデルは東扶余の王・帯素王であり、ドラマではその人物像に大きなドラマ性が加えられているのです。
ドラマ『チュモン』のテソ
ドラマ『チュモン』のテソは扶余国王クムワの第一王子。文武ともに優れた太子候補として描かれています。演じるのはキム・スンス、日本語吹替は矢崎文也さんです。
-
クムワの正室から生まれた「嫡子」で王位継承は自分のものだと考える強いプライドを持ち。武芸にも政治にも秀でたエリートです。
-
父の寵愛を奪う存在として、朱蒙(チュモン)とその母ユファを激しく敵視する
-
クムワの対漢強硬路線とは異なり「漢と手を組んででも扶余を生き残らせる」という現実主義者として描かれます。
ドラマ前半では、
-
朱蒙暗殺未遂
-
ヘモスの首を掘り返し、漢のヤンジョンに差し出す
といった冷酷な行動が目立ち、完全な“悪役”のようにも見えます。
でも、その裏には
-
国を守りたい嫡子としての焦り
-
自分の地位や父王の愛を失うことへの恐怖
といった感情があって単純な悪役とは言い切れない部分があります。
史実の帯素王との共通点と違い
『三国史記』によると帯素王(たいそおう)は、東扶余の第3代王とされます。
-
父:金蛙王(きんあおう)
-
異母弟:朱蒙(東明聖王/高句麗建国者)
『三国史記』によると、
-
帯素が異母弟の朱蒙を殺そうとした
-
危険を察した朱蒙が扶余を脱出し、紀元前37年に高句麗を建国した
という話が記されています。
ドラマのテソは、この帯素王に基づいて脚色されたキャラクターです。
-
名前は「テソ(帯素)」で同じ
-
「金蛙王の嫡子」「朱蒙を追い詰める立場」という設定も共通
わずかな史料にしか残っていない帯素王の姿に、「嫡子としてのプライド」「国を背負う重さ」「弟への嫉妬と敵意」といった感情が肉付けされた人物像。それがドラマのテソだと言えると思います。
『チュモン』でのテソの最後:生き残るライバルとしての結末
『チュモン』では、テソがどのような道のりをたどり、生きたまま物語の舞台から退いていくのかが描かれます。
ドラマ本編のテソは、皇子として登場してから王へと成長していきますが、最終的には「生き残ったライバル」という立場のまま、物語の幕を閉じます。
前半:皇太子争いと、暴走していく嫡子テソ
物語序盤のテソは、朱蒙を徹底的に排除しようと動きます。
-
武芸では朱蒙を圧倒しているものの、クムワの心は次第に朱蒙へと傾いていく
-
商団を率いるソソノも朱蒙に惹かれていき、恋愛面でもテソは不利な立場に追い込まれる
-
ヘモスの首を掘り返して漢に差し出すなど、常軌を逸した策にまで手を染めてしまう
嫡子としての誇りと、父王の寵愛を奪われるかもしれないという恐怖が重なり、テソは次第にブレーキの利かない暴走状態へと向かっていきます。
中盤:チュモン失踪と、テソの一時的な全権掌握
クムワが重傷を負い、朱蒙が一時的に行方不明になると、テソは摂政として国政の実権を握ります。
-
反対勢力を次々と粛清していく
-
サチュルト部族と手を結び、自らの基盤を固める
-
強権的な統治を続けた結果、国内の不満が一気に高まっていく
権力を手にしたテソは、「国を守る」という大義名分を掲げながら強硬策を押し通しますが、その行動はかえって扶余の混乱を招くことになります。
この時期のテソからは、権力に飲み込まれていく危うさが色濃く感じられます。
終盤:王としての自覚と、扶余王テソの誕生
物語が後半に進むにつれ、テソは徐々に“王としての自覚”を深めていきます。
-
漢と扶余の力関係を冷静に見極めるようになる
-
ヤンソルランの暴走を諫め、感情よりも国益を優先して動く場面が増えていく
-
国を守るために、現実的でシビアな政治判断を下す王へと変化していく
やがてクムワ王が亡くなり、テソは正式に扶余王として即位します。
ここから先のテソの姿は、史実における帯素王のイメージと重なっていくように描かれています。
第81話:高句麗との共闘で“生存”がはっきりする
第81話では、高句麗と扶余が遼東軍に対抗するため、連合軍を組んで共闘します。
-
高句麗(朱蒙)と扶余(テソ)の連合軍が、遼東軍と激突する
-
朱蒙の戦術と、扶余軍の必死の奮戦によって遼東軍は撃破される
-
戦いが終わったあと、テソは扶余再建への希望を取り戻していく
テソが扶余王として生きており、朱蒙との一騎打ちで命を落とすような展開にはなりません。
『チュモン』におけるテソの最終的な立ち位置
物語の終盤になってもテソは朱蒙を完全に許したわけではありません。朱蒙の存在を扶余にとっての潜在的な脅威として見続けています。
一方で、朱蒙もテソを討ち取る道は選びません。
-
朱蒙は高句麗建国の道へと歩みを進める
-
テソは、扶余王として自国が生き残る道を探り続ける
二人は和解でも決闘でもなく、それぞれが選んだ道を歩む者同士として別れていきます。『チュモン』のテソは、死亡ではなく生涯のライバルとして最後まで生き残るのです。
史実の帯素王の最期:大武神王との戦いで討ち死に
東扶余王としての立場
帯素王は東扶余の第3代王でした。
-
父:金蛙王(ドラマのクムワに相当)
-
異母弟:朱蒙(東明聖王/高句麗の初代王)
『三国史記』には、
-
金蛙王の時代、帯素が異母弟の朱蒙を殺そうとした
-
危険を察した朱蒙が扶余を脱出し、紀元前37年に高句麗を建国した
と記されており、兄弟の対立が扶余と高句麗の分かれ道になったとされています。
高句麗への侵攻と敗北
帯素王と高句麗の関係を年代順に見ると次のようになります。
紀元前6年
-
高句麗に人質(太子)を要求するが拒否
-
5万の軍勢で高句麗を攻撃
-
ところが大雪で兵が次々と凍死し、戦果が出ないまま撤退
紀元9年
-
再び高句麗に圧力をかけ、服属を要求
紀元13年
-
高句麗を攻撃するも、高句麗の王子・高無恤(のちの大武神王)に敗北
帯素王は高句麗の勢力拡大を警戒、何度も軍事行動を起こした王だったことがうかがえます。
三国史記が伝える帯素王の最期
朝鮮王朝期に編纂された歴史書『三国史記』によると、帯素王は高句麗とたびたび戦いを繰り返し、最終的には高句麗の大武神王(ムヒュル)との戦いで敗れ、西暦22年に戦死したとされています。
五年
王於是揮怪由。怪由拔劍號吼擊之,萬軍披靡,不能支。直進執扶餘王,斬頭。三國史記/卷14 大武神王
怪由はまっすぐに進んで扶余王を捕らえ、その首を斬りました。
-
西暦22年:帯素王が大武神王との戦で戦死
-
これを機に扶余は滅び、生き残りは高句麗に服属
と、とても分かりやすい「扶余滅亡」のストーリーになっています。
ところが中国側の正史(『魏志』『晋書』『魏書』など)には、その後の時代にも扶余が登場し、5世紀末ごろ(494年)まで存続していたと書かれています。
このため扶余は西暦22年の戦いで扶余が完全に消えたというよりも、一時的に高句麗の支配や干渉を受けて弱体化した場面を高句麗中心の視点で“滅亡”としてドラマチックに描いたのではないかとも考えられます。
三国史記に書かれた朱蒙は神やその子が登場。卵から生まれる王、超人的な弓の腕前…といった神話的・伝説的なモチーフも多く混ざっています。
そのため、『三国史記』の記述をそのまま「完全な史実」として受け取ることはできません。
ドラマ『チュモン』や『風の国』で描かれるテソ(帯素王)の最期も「三国史記が整理した物語としての扶余と高句麗」を土台に、エンタメ作品として新しく作られたものです。
三つの作品・史実を重ねると見えるテソの一生
-
『チュモン』
若きテソが朱蒙と争い、生き残るライバルとして退場する -
史実
東扶余の帯素王が高句麗と戦い続け、最終的に大武神王ムヒュルに討たれる -
『風の国』
長命した扶余王テソが、高句麗の新しい世代(ムヒュル)に倒され、時代が移り変わる
こうして三つを合わせて見ると、テソという人物の人生が一つの大きな流れとしてつながっていきます。
テソの最期に関するよくある疑問(FAQ)
テソの結末について、よく浮かぶ疑問を簡潔にまとめます。
テソがどこで死に、誰に討たれるのかを整理しておくと、作品世界が理解しやすくなりますよ。
Q1. テソは『チュモン』の何話で死にますか?
A. 『チュモン』本編ではテソの死は描かれません。
最終話(第81話)でもテソは扶余王として生存しており、朱蒙と一騎打ちして命を落とすような場面はありません。
Q2. テソは最終的に誰に殺されるのですか?
A. 史実では、テソのモデルである帯素王は、高句麗第3代王・大武神王ムヒュルとの戦いで戦死したとされています。
ドラマ『風の国』でも、最終回でムヒュルがテソを討ち取る形で、その最期が描かれます。
Q3. テソと朱蒙は最後に戦いますか?
A. 『チュモン』では、テソと朱蒙が最後に一騎打ちをするような決戦はありません。
遼東軍との戦いでは共闘し、その後は
-
朱蒙は高句麗建国の道へ
-
テソは扶余王として自国の生き残りを探り続ける
という形で、それぞれ別々の道へ進んでいきます。

コメント