貞順翁主(チョンスン オンジュ)は李氏朝鮮王朝の翁主(王の側室の娘)
第11代国王・中宗の娘です。
歴史上は殆ど知られていない人物ですけれど、韓国ドラマ「師任堂(サイムダン) ・色の日記」に貞順王女、李 貞環(イ・チョンファン)の名前で登場しました。
意外にも 李貞環はドラマのオリジナルではなくて本当の名前です。歴史上の女性は名前が記録されていないことが多いのですが。珍しく記録が残っていた人物です。
しかも貞順翁主は、ドラマ「宮廷女官・チャングムの誓い」に登場するある人物とも繋がりがあります。
いったい誰の娘なんでしょうか?
史実の貞順翁主はどんな人物だったのか紹介します。
貞順翁主(チョンスン オンジュ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1517年
没年月日:1581年
享年:65
名前:李 貞環(イ・チョンファン)
称号:貞順翁主(チョンスン オンジュ)
父:中宗
母:淑媛李氏
夫:宋寅(ソン・イン:礪城君)
子供:宋惟毅
彼女は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の11代朝鮮王 中宗の娘。
日本では戦国時代の人になります。
おいたち
1517年(中宗12年)誕生。
父は第11代朝鮮王 中宗。
母は側室の淑媛李氏。
中宗と淑媛李氏の長女になります。
母:淑媛(スグォン)李氏は中宗の側室。
「宮廷女官・チャングムの誓い」ではパク・ウネさん演じるイ・ヨンセンのモデルになった人物です。チャングムの中でもチャングムの同僚だったイ・ヨンセンは中宗の寵愛をうけて側室になり。王女を出産しました。
その王女が貞順翁主になります。
「チャングムの誓い」と「サイムダン」はつながっていると考えたら面白いかも知れません。
本名は貞環(チョンファン)
4歲のときに母・淑媛李氏を亡くしました。
文定王后は幼い貞環を気の毒に思って母親代わりになって育てました。
1526年(中宗21年)。10歳のときに「貞順翁主」の称号が与えられました。
12歳のとき。宋之翰(ソン・ジハン)の息子・宋寅(ソン・イン)と結婚しました。
貞順翁主の夫・宋寅(ソン・イン)は不正に蓄財したり、妾が多いということで司憲府と司諫院から何度か訴えられました。
この時代の両班に妾がいるのは珍しくありません。普段の素行がよくないのと、王女の夫ということで朝廷の役人の目が厳しかったのでしょう。
でもそのたびに中宗が許しました。
あるとき 、貞純翁主の叔母で尚宮の銀代が宋寅の2人の愛人を殺害するという事件がおきました。
また、銀代が宋寅の妾と妾が生んだ子供を殺害する事件もおきました。
叔母で尚宮の銀代はかなり怖い人物だったようです。貞純翁主が命令したのかも知れませんね。朝鮮は身分の厳しい社会です。尚宮が王族の命令なしに勝手な事をしたとは思えません。貞純翁主が命令を出したのかもしれませんね。。
それでも 宋寅が罰せられないのは両班の特権でしょう。
銀代が処罰をうけたという記録もありません。貞純翁主のおかげなのでしょう。
1580年(宣祖13年)。貞純翁主の家が火事になって全焼しました。宣祖は再建するように命じました。
1581年(宣祖14年)。 病気のため死去。享年65
病死とありますが、当時としては長く生きたほうです。
テレビドラマの貞順翁主
師任堂(サイムダン) 2017年、SBS 演:ジュヨン 役名:李貞環
わがままで甘えん坊。
貞順翁主は師任堂(サイムダン)の絵を気に入り、サイムダンに絵を教えてほしいと頼みます。貞順翁主は自分が絵が上手と想っています。サイムダンは貞順翁主のわがままな態度を見て絵を教えるのを丁重に断ります。
その後、南貴人の勧めで山で絵を描いているときに刺客に襲われ気絶します。目をさました貞順翁主は徽音堂(フィウムダン)崔氏が助けてくれたと思って命の恩人と信じました。実は刺客は崔氏の手下、殺すと思わせて気絶させ崔氏が救ったように見せかけたのです。
貞順翁主と崔氏は親しくなります。崔氏は閔徵衡を救うために翁主を利用しようとしているのでした。
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