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清衍郡主(チョンヨングンジュ)宜嬪成氏ともに小説を書いた正祖の妹

朝鮮王族 4 李氏朝鮮の王女

清衍郡主(チョンヨングンジュ、せいえんぐんしゅ)は18世紀から19世紀初期の朝鮮の王族。

思悼世子と世子嬪洪氏の長女。
22代朝鮮国王・正祖の同母妹になります。

宜嬪成氏や妹の清善君主とともに「郭章陽文録」という小説を書いたことがあります。

 

史実の清衍郡主どんな人物だったのか紹介します。

 

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清衍郡主(チョンヨングンジュ)の史実

プロフィール

生年月日:1754年
没年月日:1821年

姓:李(イ)
名:不明
称号:清衍郡主(チョンヨングンジュ、せいえんぐんしゅ)

本貫:全州

父:思悼世子
母:恵慶宮 洪氏
兄:正祖

夫:金箕性(キム・ギソン)

子供:金在昌、金氏、金在三など

彼女が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の英祖~正祖の時代です。

日本では江戸時代の人になります。

清衍郡主(チョンヨングンジュ)の実話

1754年(英祖30年)。思悼世子と世子嬪洪氏の長女として生まれました。

実の兄に李祘(イ・サン、世孫、後の正祖、1752年生)がいます。

李祘(イ・サン)の2歳年下でした。

同母妹には清璿公主(1756年生)がいます。

父・思悼世子は朝鮮第21代王·英祖の世子に冊封されていました。

しかし1762年(英祖38年)。英祖によって米櫃に閉じ込められ志望しました。

母の恵慶宮 洪氏は名門・豊山洪氏の出身。洪奉漢の娘です。

清衍郡主は世子の娘だったため、「公主」ではなく郡主(正二品)と呼ばれました。

1765年(英祖41年)。参議を務めた金相翊(キム·サンイク)の息子・金箕性(キム・ギソン)と婚約。旧暦4月11日に婚礼を行いました。

金箕性(キム·ギソン)は光恩副尉に冊封されました。

1773年(英祖49年)春。妹の清善君主や宜嬪成氏(正祖の側室)らと共に小説『郭章陽文録』を書きました。

1776年。英祖が死去。兄・正祖が即位しました。

1800年。兄・正祖が死去。甥の純祖が即位しました。

1821年(純祖21年)。死去。享年68歳。清衍郡主が亡くなると純祖は非常に悲しみました。

1895年。日清戦争で清が日本に敗北。下関条約によって清が朝鮮の宗主権を手放すと高宗が朝鮮を「大韓帝国」に改名。思悼世子を王に追尊して「荘宗」の廟号、恵慶宮洪氏には「献敬王后」の諡号を送りました。これに伴って清衍郡主と清璿郡主は「公主」に格上げになっています。夫のキム·ギソンも光恩偉に昇進しました。

 

 

テレビドラマのチョンヨングンジュ

正祖(イ・サン)が登場するドラマは多いのですが清衍郡主が登場するドラマは多くはありません。

大王の道 1998年、MBC 演:チャン・スヘ

赤い袖先 2021年、MBC 演:キム・イオン

ドラマヒロインのソン・ドギムは正祖の側室・宜嬪成氏がモデル。

侍女たちにも優しい郡主。史実では宜嬪成氏、清璿郡主、侍女3人とともに本を書きますが。

ドラマでもソン・ドギム(宜嬪成氏)、清璿郡主、侍女3人との交流が描かれます。

 

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