ドラマ「大宋宮詞」には木易(ぼくりょう)という人物が登場します。
本名は楊延輝(よう・えんき)といいます。
漢人出身で遼の人間になり、遼の鉄鏡長公主と結婚するという内容です。鉄鏡長公主は遼の蕭太后の娘という設定。
正体の分からない異国の人をいきなり皇族の娘と結婚させるのは無茶な気がしますね。実は木易と鉄鏡長公主はともに実在しない架空の人物です。作り話なのです。
でも木易にはモデルがいます。
木易のモデルは中国の演劇・講談・小説で有名な「楊家将物語」の登場人物。
もちろん架空のキャラです。
楊家将物語に登場する木易とはどういう人物なのか紹介します。
楊家将物語とは
「楊家将物語」は実在する宋(北宋)の武将・楊業とその息子・楊延昭、孫の楊文広を主人公に楊家三代と宋の敵との戦いを描く物語。
宋元朝時代には元になるエピソードが講談にあったようです。明朝時代に小説「南北宋志伝」「楊家府演義」が作られました。清朝時代にはさらに別のバージョンも作られています。
中国では人気の作品で現代でも小説やドラマ、京劇の演目などになっています。
史実の宋(北宋)と契丹(遼)の戦いをモデルにしているのですが。史実では宋は遼には勝てず澶淵の盟という和平条約を結び毎年貢物を送ることになりました。でも「南北宋志伝」「楊家府演義」では逆に宋が遼に勝って宿敵 蕭太后を自害に追い込みます。
「楊家将物語」は遼を倒したあとは西夏や別の敵との戦いが続きます。そのころになると戦う相手に怪物が登場したりして西遊記のようなファンタジー作品になっています。
木易(楊延輝、楊四郎)
名前:楊延輝(よう・えんき)
作品によっては 楊延朗(よう・えんろう)になっていることもあります。
あだ名:楊四郎(ようしろう)
楊業の四男だから。
契丹名: 木易(ぼくえき)
これは姓の「楊」の漢字を分解すると「木」と「昜」になるから。木と昜をつなげて一つの名前にしたのです。
父:楊業(よう・ぎょう)
母:余太君
楊業は実在しますが、余太君は架空の人物です。
兄:大郎 延平、二郎 延定、三郎 延安
弟:五郎 延德、六郎 延昭、七郎 延嗣
妹:八妹 延琪、九妹 延瑛
妻:孟金榜
遼国 鉄鏡公主 耶律瓊娥(作品によっては違う呼び方のときもあります)
楊業の子も実在するのは史実でも父とともに戦死した延平、生き残った延昭だけで他は架空。楊業には5~7人の息子がいたと言われます。一応はその子らがモデルともいえますが、小説のような活躍(あるいは悲劇的なできごと)はしていません。
「楊家将物語」の楊延輝(木易)
宋の武将・楊業(よう・ぎょう)の四男。
七人兄弟の四番目。
通称は「楊四郎」
兄弟の中では最も美男子。
幽州の戦いで楊一族の多くが犠牲になり、大郎・延平、次郎・延定、三郎・延光が戦死しました。四郎・延輝は命は助かりましたが遼の将軍・韓延壽、耶律奇に捕まってしまいます。
楊延輝は蕭太后の前に連れ出されました。楊延輝は正体を偽り「木易」と名乗りました。蕭太后は楊延輝の武術の腕前を気に入り臣下にすると、娘の鉄鏡公主(てっきょうこうしゅ)と結婚させました。
四郎探母
京劇でも演じられる人気のエピソード。
「楊四郎」こと楊延輝は宋と遼の戦争で捕虜になり。「木易」と名を偽りました。木易を気に入った蕭太后の命令で鉄鏡公主と結婚。
楊延輝が捕虜になって15年後。鉄鏡公主との間には子供も生まれていました。
楊延輝の母・余太君は勇猛で宋の陣営に来ていました。それを知った楊延輝は母に会いたくなって涙を流していました。鉄鏡公主は楊延輝が悲しんでいるのを知ってそのわけを聞きます。
楊延輝は一晩で帰るからと鉄鏡公主にお願い。鉄鏡公主は蕭太后を騙して通行証を入手して遼の陣営を抜け出す手助けをしてもらいました。
楊延輝は宋の陣営に行って母・余太君、宋に残してきた妻・孟夫人、弟の楊延昭夫妻、妹に会いました。楊延輝と家族は再会を喜び合います。
夜明けが迫りました。約束の期限までに自分が帰らないと鉄鏡公主の身が危なくなると考え楊延輝は遼に戻ろうとします。孟夫人や妹たちは反対しますが、余太君は息子の立場を理解して息子を遼の陣営に行かせました。
しかし蕭太后は木易の正体に気が付き彼を処刑しようとします。鉄鏡公主は楊延輝を許すように懇願。楊延輝の命は助かりました。
その後、楊延輝は遼で暮らし、遼と宋の平和のために貢献しました。
楊四郎(木易)の最期
その後、遼と宋の戦いは続きます。
ところが楊四郎の最期は作品によって違います。
宋が遼を滅ぼし楊延輝が宋に戻るバージョン
明・清朝時代の途中まで流行した物語。明朝時代に作られた小説「南北宋志伝」「楊家府演義」はこちらの内容です。中華民国以降もこれをもとにした作品が作られることがあります。
楊延輝は宋に残った母・余太君とともに幽州を攻略。
戦いに負けた蕭太后は首吊り自殺します。楊延輝は蕭太后を葬ると鉄鏡公主とともに宋に帰国。楊延輝は鉄鏡公主に自分の正体を明かしました。遼が滅び宋は天下を統一。楊四郎は宋に戻りました。
楊延輝の息子・楊宗原は後に宋への朝貢を拒む黒水国(黒水靺鞨=女真、金国)に遠征。黒水国の安王を討ち果たします。
宋が遼を滅ぼしたりと史実とはかけ離れた内容です。明朝時代のモンゴル・オイラトの驚異にさらされていたころや清朝初期の漢人と満洲人が争っていたいた時期には人気がありました。史実とは違っても異民族を討ち滅ぼすのは中国人にとっては痛快だったようです。
長い間こちらの物語が世間で広まっているので「楊家将物語」といえばこの内容を思い出す人も多いようです。
史実に近いバージョン
清朝時代に作られた作品。
遼と宋の戦いの後。遼の蕭太后は宋と和議を結ぶため楊延輝(木易)を和平の使者として宋に送りました。楊延輝の母・余太君は宋の使者となって幽州にやってきて蕭太后と会談。遼と宋の間に盟約が結ばれました。その後、遼と宋は平和になりました。楊延輝は鉄鏡公主との約束を守り、亡くなるまで遼で暮らしました。楊延輝の死後、息子・楊宗原は宋で暮らしました。
遼と宋が和睦、盟約を結んでその後100年近く平和だった史実をもりこんでいます。このバージョンでは楊延輝は史実の王継忠の役割を与えられています。
清朝時代に宮中の劇場で上演されたあと広く京劇で演じられました。異民族の満洲人の好んだ物語が一番史実に近いのもおもしろいです。
悲劇バージョン
清朝時代の上党梆子(山西省の演劇)で演じられた「忠孝節」の内容。作者不明。
素朴な親子の愛情よりも儒教(朱子学)の影響が強い作品。国への忠誠や親の意志に従うのが子供という部分が強調されています。
木易(楊延輝)が遼の桃花公主(他の物語と名前が違う)と結婚。遼国の駙馬(皇帝の娘婿)になったと知った余太君(楊四郎の母)は激怒。
余太君は楊延輝を返すように蕭太后と交渉。木易が敵の子だと知った蕭太后は怒りのあまり吐血。桃花公主は自害。
楊延輝は宋に返還されました。
宋の皇帝や重臣が許すと言っても母・余太君の怒りは収まらず。母の理解を得られない楊延輝は自害に追い込まれます。
母・余太君の国への忠誠心が強調されています。悲劇的すぎて「四郎探母」とも矛盾します。
でも祖国を裏切った楊延輝の評価は賛否両論(というか作り話なんですけどね)。
現代人が作った楊家将のドラマや小説でも楊四郎の最期が悲劇的になってるものもあります。このタイプのストーリーは儒教国や専制主義的な国では一定の支持を集めているのかもしれません。
大宋宮詞の木易
「大宋宮詞」の木易は「楊家将物語」をモデルにしながらも大幅にアレンジされています。
「大宋宮詞」では、楊延昭の兄という設定。「木易」の名で遼に帰化。蕭皇太后に気に入られ鉄鏡長公主(てっきょうちょうこうしゅ)との婚姻したところは「楊家将物語」と同じ。
その後の展開は「楊家将物語」とは違います。遼と宋の戦争が始まると劉娥の伝言を宋に伝えようとしますが。鉄鏡長公主に阻まれます。
宋と遼の戦いでは趙吉を護衛して宋に向かいます。劉娥の侍女・李婉児が木易を好きになってしまいますが。二人が一緒になることはありません。
「大宋宮詞」の木易は元になった「楊家将物語」とどう違うのか比べてみるのも面白いかもしれません。
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