ドラマ『大王世宗』に登場するユン・フェは実在する人物です。太宗と世宗に仕え酒が大好きで有能な完了でした。
この記事ではドラマと史実のユンフェ(尹淮)を比較しながら紹介。天才肌の学者官僚として王を支えた彼の知られざる魅力をわかりやすくまとめました。
この記事で分かること
- ユン・フェ(尹淮)が史実に実在した官僚であること
- 尹淮の経歴と朝鮮王朝での役割や功績
- ドラマ『大王世宗』での描かれ方と史実との違い
『大王世宗』ユンフェ(尹淮)は実在する?
ユン・フェ(尹淮)は実在した人物
ユン・フェはドラマ『大王世宗』中で世宗の信頼できる部下として登場します。時には鋭い洞察力で活躍、自由奔放で民衆に寄り添う彼の姿を見て「これほど魅力的なキャラクターはドラマオリジナルの架空キャラではないか?」と気になったのではないでしょうか。
ユン・フェ(尹淮)は実在した人物です。朝鮮の正史『朝鮮王朝実録』には何度も名前が登場し、その人物像や活躍が詳細に記録されています。
どんな人物だったのか?
『朝鮮王朝実録』によれば尹淮は幼少から学問に優れ、10歳で『通鑑綱目』を暗誦できたと書かれています。
1401年に若くして科挙(文科)に合格。中央官庁でさまざまな実務を経験しました。やがて承政院の「代言」となり、王命の伝達や重要文書の取り扱いを担当。
世宗期には学者組織「集賢殿」の副提学、藝文館の大提学など、政策・編纂事業を担う要職を歴任しました。
また、歴史書『高麗史』や『世宗実録』の地理志、『資治通鑑訓義』など、国家事業となる書物の編纂も主導しました。
史料に残るエピソードと特徴
ユン・フェ(尹淮)は太宗(上王)や世宗の側近として、重要な命令・情報の伝達を任されていました。
宮廷の政策立案や文書作成、学者の統括などで大きな役割を果たした
欠点として「酒を好み、王命で過飲を戒められた」「酒で公務を欠席し弾劾された」記録も残っています。
実録では、学識・文章力・公平な裁きぶりが高く評価されています。
こうした様々な記録からユン・フェ(尹淮)が太宗・世宗時代に実在したのは間違いありません。
ドラマ『大王世宗』でのユンフェの描かれ方
史実ではエリート官僚だったユン・フェですが、ドラマ『大王世宗(テワンセジョン)』では大胆なアレンジが加えられています。ドラマでのユンフェの描かれ方を紹介しましょう。
大酒飲みと非常識な言動
ユン・フェは有能な役人ですが、言動に問題のある人物として描かれています。ドラマの中ではめったに人を解雇しないファン・ヒですらユン・フェを免職したと語られます。
さらにユン・フェは大の酒好き。失職した彼は暇があれば酒場に入り浸り。あわよくばタダ酒を飲もうとする始末。世子が功績をあげてただ酒が振る舞われるときもユン・フェは遠慮なく参加。
この姿からはとても有能な役人だったとは思えません。
現実を知る冷静な観察力
でも世子の功績を祝う宴席の場でユン・フェは冷めた様子で不満を漏らします。その呆れたような一言にただならぬものを感じた忠寧大君(後の世宗)は、彼に促されるようにして現地へと向かいました。
そこで目にしたのは、役人たちが民から強引に物資を奪い取っていたという悲惨な現実でした。役人たちは世子の功績をでっち上げるため倭寇に奪われた蔵の中身を民から奪った物で埋め合わせていたのです。
ユン・フェの冷静な観察力が温室育ちだった忠寧大君に現実を見せつけます。ユンフェとの関わりは、忠寧大君を民の痛みを知る政治家へと成長させるきっかけの一つとなりました。
太宗と世宗の間に立つ調整役
忠寧大君は王の後継者となってやがて王となります。でも当時の朝廷には父の太宗がまだいました。
父と子で意見が食い違う場面でも、彼はどちらか一方だけに従うことはありません。双方の考えを理解して、大きな衝突にならないよう言葉を尽くして調整します。この中立的で胆力のある調整能力が、宮廷内で彼が誰からも一目置かれる理由です。
譲れない信念:世宗との「国防 vs 民生」の対立
ユン・フェは世宗が最も信頼する臣下ですが。世宗のイエスマンではありません。時には世宗に真っ向から反対の立場を取ることがあります。
「国防」よりも「生活の再建」を
世宗は北方の国境を高麗時代まで広げたいと考え、軍事力の強化を急ぎます。それに対してユン・フェは「今は軍事よりも、疲弊した民の生活を立て直すべきだ」と強く主張します。さらに強硬な軍事路線ではなく、外交による解決を継続すべきだと訴えました。
最も信頼する理解者であるはずのユン・フェに拒絶され世宗は苦悩します。彼は王である世宗に孤独な決断を突きつける、もっとも手ごわく誠実な味方と言えますね。
史実の尹淮(ユンフェ)とは
次に、歴史上の尹淮とはどのような人物だったのか紹介します。
プロフィール
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- 名前:尹淮(윤회/ユンフェ)
- 生没年:1380年(高麗・禑王6)〜1436年(世宗18)
- 本貫:茂松(무송)=現在の全羅北道・高敞(コチャン)付近
- 字(あざな):淸卿(チョンギョン)
- 号:淸香堂(チョンヒャンダン)
- 主な官職:
- 代言=承政院で王命を扱う役
- 知承文院事=外交文書を扱う機関の実務責任者クラス
- 集賢殿 副提学=集賢殿の幹部藝文
- 大提学=王の文章・編纂に近い最高位の文官職の一つ
- 兵曹判書=軍政を担当する役所の長官
- 著作:『淸卿集』
出典: (韓国民族文化大百科全書・尹淮)
尹淮(ユンフェ)年表
『朝鮮王朝実録』から主な内容を選んで年表にしました。
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1380年:尹淮(尹淮/윤회)誕生。本貫は茂松(今の全羅北道・高敞)。
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10歳ごろ:『通鑑綱目』を暗誦できた。
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1401年以後:言論官(左正言)→吏曹・兵曹の佐郎→吏曹・礼曹の正郎などを歴任。
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1417年(太宗17):承政院の代言になり、王命を扱う側近となる。
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1417年以後:太宗が尹淮を評価して兵曹参議にした。
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1420年(世宗2):世宗が尹淮に「過飲するな」と具体的に戒めた(賜酒以外は過飲禁止)。
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1422年(世宗4):集賢殿の副提学に抜擢され、学士たちを統括した。
- 1430年(世宗12)12月22日:飲酒の後、世子の講義を欠席。弾劾を起こされる。処分はなし。
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1432年→1434年:『世宗実録』地理志の編纂に参加→『資治通鑑訓義』の編纂を担当。
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1436年(世宗18)3月12日:死去。最終官職は「藝文大提学」。
家柄と幼少期
尹淮(ユン・フェ)は茂松尹氏出身で、父は尹紹宗(ユン・ソジョン)。父は趙浚(チョ・ジュン)らとともに李成桂(イ・ソンゲ)の建国を助けました。
幼い頃から学問の才能があり、10歳で『通鑑綱目』を暗誦できたと実録に書かれています。
科挙合格→言論官→王の側近
1401年(太宗1)。尹淮(ユン・フェ)は文科(増広文科)に合格。以後、左正言(言論官)や、吏曹・兵曹の佐郎/吏曹・礼曹の正郎など中央官僚の実務ポストを務めました。
1417年には承政院の代言になり王命の取り次ぎを担当することになります。ここで「太宗が能力を高く評価して近くに置いた」と実録に書かれています。
実務と外交における実績
尹淮の職務は多岐にわたりました。
- 外交: 外交文書の作成・審査を行う「承文院」の責任者を務め、対明外交などの実務に関わりました。
- 裁判: 訴訟を裁く「辨正都監」も務め事実に対応した公明正大な判断を下したと評価されています。
世宗期における学問的指導
1420年に集賢殿が設置されると、1422年には副提学として学者たちの統括を任されました。
その後は藝文館の提学・大提学といった、国家の文章・編纂事業の最高責任者を歴任。官位は兵曹判書(国防大臣相当)にまで昇りました。
晩年:国家編纂を主導して病没
晩年は中風(風疾)を患いながら世宗の命を受け、集賢殿の学者らと共に『通鑑訓義』の編纂を主導しました。
本人は風疾(中風系の病)を抱えながら仕事を続け、完成後に病が重くなります。1436年に57歳で亡くなりました。
藝文大提學尹淮卒。
出典:世宗實錄卷七十一 世宗十八年三月十二日戊寅
尹淮の主な功績
尹淮が歴史に名を残した理由は、主に以下の3つがあげられます。
- 国王の意思を言語化して伝える「言葉の側近」:
太宗の時代から王命の出納を担う「代言」として王を間近で補佐しました。『朝鮮王朝実録』には太宗が「学問が古今に通じ、稀に見る才能である」と高く評価した記述があります。王の側近として、国家の重要書類や命令が動く現場の最前線にいた実務家でした。 - 集賢殿のリーダーとして学士集団を統括:
世宗が設置した学者組織「集賢殿(チピョンジョン)」では1422年に副提学(幹部ポスト)に抜擢されました。世宗期の政策は学者による徹底した検討と起草によって進められました。尹淮はその学者集団をまとめ上げ、政策立案を支える責任者としての役割を果たしました。 - 国家編纂事業の主導:
単なる文章家にとどまらず、国家の威信をかけた編纂事業を監督しました。- 前王朝の記録である『高麗史』の改訂
- 朝鮮の国土を記録した『世宗実録』地理志の編纂(1432年)
- 中国の歴史解説書『資治通鑑訓義』の編纂(1434年)
特に『資治通鑑訓義』については、病を抱えながらも主管として事業を完遂させたと実録に明記されています。
まとめ
ドラマ『大王世宗』のユン・フェは「酒を愛し、民衆の現場を歩く風来坊」という型破りなキャラクターとして描かれました。
でもモデルになった史実の尹淮は、10歳で歴史書を暗誦した天才で、王の側近として生涯を国家事業に捧げた超エリート官僚です。
ドラマでの「太宗と世宗の間を取り持つ役割」や「王に対して直言する姿」は実際に彼が両王から絶大な信頼を得て、国家の最高職を歴任したという史実に基づいた脚色といえます。
「学問で王を支えたエリート」という史実と「現場を重んじる改革派」というドラマの設定。
両方をを知ることで、ユン・フェという人物が持つ知性と情熱、そして世宗大王との深い信頼関係をより立体的に理解することができると思いますよ。

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