李氏朝鮮16代国王・仁祖の後宮(側室)といえば、貴人趙氏が有名です。
しかし仁祖には他にも側室がいました。貴人張氏、淑儀朴氏、尚宮李氏などです。貴人趙氏が仁祖の寵愛を集めたことと、行いが派手だったことから仁祖の側室というと貴人趙氏ばかりが注目されます。
貴人趙氏たち側室は歴史上はどのような人物だったのか紹介します。
貴人張氏(クィイン・チャン氏)
生年月日:不明
没年月日:1671年7月1日
名前:海豊張氏・名は不明
称号:貴人張氏
父:張留
1635年8月 (仁祖13年)。淑儀に選ばれました。仁祖みずからが選んだと言われます。慶熙宮で一ヶ月滞在した後、仁祖が自ら出迎えて宮殿に入りました。
慶熙宮は仁祖の母・仁獻王后(追尊)が暮らした離宮です。その離宮で仁祖の出迎えをうけるという王妃に準ずる破格の扱いを受けました。
しかし入宮後は仁祖の寵愛を受けることはありませんでした。
1635年12月(仁祖13年)。仁祖の妃・仁烈王后が難産で死亡しました。
1637年3月(仁祖15年)。仁祖は「継妃は選ばない」と宣言。王妃昇格のチャンスが消えました。
しかし王妃の座を空白にすることはできません。重臣たちから王妃を迎えるように催促され仁祖も仕方なく王妃を迎えることにします。
1637年12月(仁祖15年)。喪があけると新しい妃を迎えることを決定しました。禁婚礼がしかれ妃選びが始まりました。
1638年12月(仁祖15年)。仁祖の継妃になった壮絶王妃が入宮すると。慣例通り側室は1品階昇進して正ニ品・昭儀になりました。
このとき淑媛趙氏(のちの貴人趙氏)は正4品昭媛になっています。
1640年(仁祖18年)。1品階昇進して従一品・貴人になりました。
1671年(顕宗12年)。亡くなりました。宮中に入って36年後のことです。十代半ばで入宮していれば50歳くらいになっていたと思われます。
貴人趙氏がいたためか、王の寵愛を受けることはありませんでしたが、争いに巻き込まれることもなく寿命を全うしました。
淑儀朴氏(スギ・パク氏)
仁祖の子を宿しましたが流産します。貴人趙氏の差し入れた毒入りの菓子を食べたのが原因だとも言われます。
尚宮李氏(サングン・イ氏)
名前:李貞敏(イ・ジョンミン)
李成吉の妾の子。
貴人趙氏が来るまでは仁祖の寵愛を受けていました。
仁祖の最初の妃・仁烈王后から恨まれ、宮廷を追い出されていたことがありました。仁烈王后の死後、戻ってきたようです。
仁祖の寵愛を巡って貴人趙氏とはライバル関係にありました。
1643年4月。貴人趙氏を呪ったとして告発されます。
7月。毒薬を飲み死亡しました。
他にも、淑儀羅氏、淑媛張氏がいますがどのような人なのか記録がありません。
テレビドラマ
宮廷残酷史-花たちの戦い JTBC 2013年
貴人張氏 演:イ・ヘウン
淑儀朴氏 演:チャン・イェウォン
尚宮李氏 演:ヨン・ミジュ
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