瑞貴人 索綽羅(ソコロ)氏は清朝の第代皇帝・乾隆帝の側室。
「瓔珞<エイラク>」や「如懿傳」では瑞貴人 索綽羅氏として登場します。
令妃の侍女のような役目で宮中に入ってきて宮中にいた期間も短い。
妃嬪たちの争いにはほとんど関わっていませんけれど。
令妃に仕えた人物のひとりだったのは間違いないようです。
史実の瑞貴人はどんな人物だったのか紹介します。
瑞貴人 索綽羅(ソコロ)氏 の史実
いつの時代の人?
生年月日:1713年6月13日
没年月日:1760年6月2日
姓:索綽羅(ソコロ)氏
称号:瑞貴人
地位:
父:徳保
母:傅察氏
兄弟:
同母兄・石椿(早世)
異母弟・不明
異母弟・英和
異母妹・伊鏗額の妻
夫:乾隆帝(けんりゅうてい)
子供:なし
清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。
日本では江戸時代になります。
おいたち
瑞貴人の家族は内務府正白旗の包衣。包衣には使用人のイメージがありますが、内務府の包衣は地位が高く、一般の漢人よりも位は上です。
瑞貴人の祖先は黒竜江の弗阿辣地方に住んでいました。そのため姓を弗阿辣と名乗っていました。ところが敵に迫害されて索綽羅(ソコロ)地方に逃れ、索綽羅と名乗りましたた。天明年間(1616~1626年)、ヌルハチの配下に入りました。
父・徳保は 配王府の二等衛銜。
母・傅察氏は瑪善の長女。瑪善は咸安宮(国立の学校)で教官をしていました。徳保の正妻です。
瑞貴人には兄弟が何人かいました。
母が同じ兄が一人いました。同母兄は幼くして病死していました。瑞貴人は母・傅察氏が生んだ子の中で唯一成人した人でした。
徳保には異母弟が何人かいました。その中には嘉慶帝時代に重臣になった英和がいます。
瑞貴人の生年は不明。誕生日は1月19日。
乾隆年間に内務府選秀で入宮。
1759年(乾隆24年) 令妃のもとに配属。「学規矩女子」になりました。妃嬪に仕え後宮のしきたりを学ぶ下級の側室のことです。
索綽羅(ソコロ)氏には常在の地位が与えられました。
父・徳保は従二品工部侍郎に昇進しました。
1760年(乾隆25年) 索綽羅(ソコロ)氏は瑞貴人に昇格しました。
1765年(乾隆30年) 瑞貴人 は病死しました。
このとき瑞貴人は弟のことを気にしていました。「父には息子がいるので安心して死ねる」と親に言いました。
ところが1766年(乾隆31年)。徳保の次男(瑞貴人の異母弟)が死亡。父・徳保は瑞貴人の様子を思い浮かべて漢詩を詠んでいます。
その後生まれたのが嘉慶帝時代に重臣になった英和です。
テレビドラマ
瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜 2018、中国
役名:瑞貴人 索綽羅氏 演:常小雨
如懿傳〜紫禁城に散る宿命の王妃~ 2018、中国
役名:瑞貴人 索綽羅氏 演: 朱珏
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