鏢局(ひょうきょく)とは、清朝時代に活躍した運送と警備を専門に行う民間業者です。
中国の小説やドラマにもよく登場します。
中国ドラマ「鏢門」で鏢局の人たちの活躍や生き様が描かれています。
現実に存在した鏢局とはどんな組織なのでしょうか?
なぜ必要なのか?
その歴史は?
日本人には分かりづらい鏢局について紹介します。
鏢局は何をしているの?
鏢局は、輸送と警備を行う民間の業者です。標行、標客、護商とも呼ばれました。
鏢局に所属する人足たちをまとめる人を鏢師といいます。グループリーダーみたいなものです。
鏢局が運ぶものは物、金、人です。とくに貴重で高価なモノを運ぶことが多いです。
輸送品が盗まれたときは荷主に賠償しなければいけません。運ぶ方も命がけです。
親分・子分の立場ははっきりしていますし。組織内には組織の、業界には業界の掟があります。掟を破れは制裁が待っています。
輸送業をやってる任侠団体です。
もちろん清朝の許可を得て営業しています。反社会勢力ではありません。
本当の意味での任侠(仁義を大切にして困っている人を助け、自己犠牲の精神を持つ人)を守ってる人たちです。
清朝以前にも輸送を行う業者や用心棒はいました。でも鏢曲がそれまでの用心棒たちと違うのは、清朝政府が許可した営利団体。という点です。
清朝は民間業者を利用して輸送の安全を確保しようとしたわけです。
なぜ鏢局が必要なの?
王朝時代の中国は旅行も命がけでした。
現在よりも治安が悪いからです。
現在の中国がどのくらい治安が良いのかはわかりませんけれど。王朝時代の中国が現在より治安が悪いのは間違いありません。
というのも王朝時代の中国は都市や一部の地域しか支配していないからです。
治安が守られているのも城壁で守られている町の中だけです。中国はある程度の規模の町になれば城壁で囲まれています。そうしないと襲われて危険だからです。
騎馬遊牧民族はたまにしか襲ってきません(襲ってきたら国家レベルの一大事になりますが)。それよりも、日常的に略奪を行っているのは中国人盗賊です。
町をはずれれば盗賊が襲ってくる危険性は高くなります。盗賊は匪賊ともいいます。
襲ってくるのはプロ?の盗賊だけではありません。
一般住民も盗賊になります。
不作が続いて生活に困ると普段は田畑を耕している善良?な農民もおいはぎになることもあります。日本でも落ち武者狩りをしたのは農民でした。
テレビドラマではいつも虐げられている庶民ですが、実際にはいつ盗賊になるのかからない怖い存在です。むしろ普段虐げられている者はいざというときには豹変します。
王朝時代の中国の道中は危険が一杯です。中国のラブ史劇のように女性が護衛もなしに荒野を旅していたらまず無事ではすみません。
だから鏢局のような戦える運び屋が必要なのです。
旗がなければ旅はできない
Gisling, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
鏢局が使う輸送用の荷車は「鏢車」といいます。
「鏢車」には鏢局の「旗」を立てないといけません。
この旗を「鏢旗」といいます。
鏢旗を建てるのは道中の山賊や盗賊から見を守るため。
「この輸送隊は鏢局が守っているぞ」と分からせるためです。
山賊のほうもプロの護衛に守られた輸送隊を狙うのはリスクが高いです。むやみに襲ってこなくなります。
鏢局は道中の安全を確保するために目的地や道中を仕切る顔役にあらかじめ挨拶しておきます。顔役とは地域の有力者、豪族みたいなものです。
そうしないと住民にも襲われる危険性が高まるからです。
既に書いたように一般住民も盗賊になることがあります。というより盗賊と一般大衆の境界はあいまいです。普段は農民をして副業で盗賊をしている人もいます。不作のときだけ盗賊になる人もいます。
地方の郡や縣には中央から役人が派遣されます。でも彼らは税を取り立てるだけで地元住民の安全までは守ってくれません。守っても主要な場所だけです。地方の治安を守っているのは顔役たちです。
地域の顔役は地元住民に「◯◯の旗を掲げているものは襲うな」と支持を出します。そうすれば地元住民が盗賊になって鏢局を襲うことはありません。
もし旗の上げてる輸送部隊を地域住民が襲ったら、地元の顔役たちによる恐ろしいリンチが待っています。
はっきり言ってヤクザの世界です。
それでも顔役の支配が効かない盗賊はいます。彼らは盗みと戦いのプロです。鏢局の人たちが武装して武術で鍛えているのはプロの盗賊(変な表現ですが)と戦うためです。
江戸時代の日本人がのんきに「お伊勢参り」や「金毘羅参り」ができたのは当時の日本が特別治安が良かったから。それだけ江戸幕府がしっかりしていたということです。
広大な中国大陸ではついに全国で均一な治安を維持できる王朝は誕生しませんでした。
鏢局の歴史
鏢局の詳しい歴史はよく分かっていません。
輸送を行う集団は古代からありました。中国古典小説の「水滸伝」に登場する梁山泊の豪傑たちも、その正体は地域の荒くれ者と彼らを束ねるリーダーたちです。梁山泊の中にも輸送業をやってる人たちもいました。
特に中国は領土が広く、物資の移動距離も長いので輸送業は発展しました。年貢の輸送はもちろん、食料も遠い地域から都市に運んでこないといけません。とくに北京のある北部は農作物があまり採れない貧しい地域。
黄河や淮河より南の温暖で雨の多い地方の方が農作物の収穫量は多いです。南部の食料がなければ北京も干上がってしまいます。そこで南部の食料や物資を北部に運ばないといけません。
元朝~明朝時代には国が輸送を保護していました。それでも国が守るのは主に水路の輸送。山岳地帯や陸路の安全までは保証できません。そこで明朝の正徳年間(1505~1521年)には「標行」「打行」と呼ばれる組織がありました。
明朝末期時代になると明の朝廷はコスト削減で運送業の維持に必要な経費を大幅に削ってしまいました。日本との戦争(文禄慶長の役・中国側の呼称は 万暦朝鮮之役)や各地で起こる反乱の鎮圧、さらに満洲で挙兵したヌルハチとの戦いも明朝にとっては大きな負担でした。そこで輸送路の維持に必要な経費を削って軍事費にしたのです。
それで怒って反乱を起こしたのが運送業者出身の李治成とその仲間です。そのせいで明朝は滅亡しました。戦う輸送業者は団結すると軍隊になります。
清朝になっても民間の輸送兼護衛業者が必要なのは代わりません。「鏢局」という名前の業者が流行ったのは清朝時代です。鏢局の活動が盛んになるのは乾隆帝時代から後。
明朝みたいに反乱を起こされて王朝が潰れては困りますから。清朝は民間の輸送業者を厳しく管理しました。
ドラマ「鏢門」でも「鏢局」の人たちは許可をもらって活動している場面が描かれます。役人とさまざまなトラブルも起こります。
鏢局は陸上の運び屋ですが、水路の運び屋もいます。中国は運河や河川が多いので大量の物資が水路で運ばれます。
でもアヘン戦争以後。輸送業は大きなダメージを受けました。
蒸気機関で動く大型船が港から港へ大量の物資を運ぶからです。これで水路を使う水運業者が大量に失業しました。太平天国の乱には失業した水運業者が大勢参加しました。彼らは気が荒くていざというとき戦えるので凄い戦力になるのです。
清朝末期には蒸気船や鉄道が登場。さらに中華民国時代には自動車も使用されるようになります。機械で大量に物を運ぶ時代になったので鏢局の需要は減りました。
中国各地を軍閥が支配するようになったので昔ながらのやり方が通用しなくなったのもあります。
ドラマ「君、花海棠の紅にあらず」に登場する曹司令みたいなのが中国のあちこちにいました。彼らは軍隊でもあるし暴力団のようでもでもあるし政府とつながりがある人もいる。そういう私設軍隊みたいなのがよくも悪くも地域を支配しているのが清朝から中華民国の時代。
交通機関の発達や社会の変化によって人力で地上輸送する鏢局も衰退します。
そして時代の流れとともに消滅しました。
コメント
翻訳業です。めちゃくちゃわかりやすい解説をありがとうございます。おかげで大変助かりましたTT!!
ITOさんこんにちは。
読んでくださってありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。これからもわかりやすい記事を書いていきたいですね。