祖・宗・君、李氏朝鮮王の名前は三種類その違いはなぜ?

2018年12月3日

朝鮮王朝の王様は本名とは別に廟号(びょうごう)があります。

日本にはない中華圏の廟号

朝鮮の場合、太祖とか世宗は正式には廟号(びょうごう)といいいます。位牌に書かれる名前です。本来の諡(おくりな)は別にあります。でも長すぎるので使われません。

おくりなは本名とは別に死後に付けられた名前です。だから生きてるときは自分がどんな名前で呼ばれるか分かりません。諡を持つ皇帝や王様は東洋では珍しくありません。日本もそうですね。

廟号は李氏朝鮮だけでなく高麗にもありました。もともとは中国にあった歴代の帝国が使っていた名前です。

だから唐の皇帝にも太宗と呼ばれる人がいますし、高麗にも太宗がいます。中華圏ではよく使われる名前です。

三種類ある王の呼び方

ところで朝鮮王朝の王様には3種類あるって知ってましたか?知ってみると意外と面白い王様の名前を紹介します。

朝鮮王朝の王様の名前

こちらに朝鮮王朝の王様の名前(廟号)を載せてみました。

 

呼称 生年・没年 在位期間 在位年数
1 太祖 1335~1408 1392~1398 6
2 定宗 1357~1419 1398~1400 2
3 太宗 1367~1422 1400~1418 18
4 世宗 1397~1450 1418~1450 32
5 文宗 1414~1452 1450~1452 2
6 端宗 1441~1457 1452~1455 3
7 世祖 1417~1468 1455~1468 13
8 睿宗 1450~1469 1468~1469 1
9 成宗 1457~1494 1469~1494 25
10 燕山君 1476~1506 1494~1506 12
11 中宗 1488~1544 1506~1544 38
12 仁宗 1515~1545 1544~1545 1
13 明宗 1534~1567 1545~1567 22
14 宣祖 1552~1608 1567~1608 41
15 光海君 1575~1641 1608~1623 15
16 仁祖 1595~1649 1623~1649 26
17 孝宗 1619~1659 1649~1659 10
18 顕宗 1641~1674 1659~1674 15
19 粛宗 1661~1720 1674~1720 46
20 景宗 1688~1724 1720~1724 4
21 英祖 1694~1776 1724~1776 52
22 正祖 1752~1800 1776~1800 24
23 純祖 1790~1834 1800~1834 31
24 憲宗 1827~1849 1834~1849 15
25 哲宗 1831~1863 1849~1863 14
26 高宗 1852~1919 1863~1907 44
27 純宗 1874~1926 1907~1910 3

よく見ると、王様の名前には三種類あることがわかります。

祖・宗・君です。

君・廟号をもらえなかった王様

君というのは生前から呼ばれていた名前。男の王族に付けられる称号です。日本でいうと「○○宮」って感じでしょうか。

廟号をもらえなかった王様は死後も「君」のままになってます。廟号をもらえなかったのはクーデターを起こされて王様の身分を奪われてしまったからです。

追放した王様にわざわざ廟号は与えません。燕山君と光海君の二人がいます。追放されてしまったので暴君ということになってる多いようです。

廟号は祖と宗

朝鮮王朝の王様の廟号は二種類あります。

○祖と○宗です。この違いは何でしょうか?

大きな功績があった王様は祖。
徳があった王様は宗。

本来の意味では祖の方が評価が高いのです。

最初の王が「祖」

祖がついてる朝鮮王は7人います。太祖、世祖、宣祖、仁祖、英祖、正祖、純祖です。

ドラマを見てるとすごい人もそうでない人もいますね。

祖の意味は何でしょうか?
「祖先」の祖、始祖の「祖」。
国の最初の人。建国者という意味です。

だから初代国王の李成桂(イ・ソンゲ)は太祖なんです。
国を作った人だから「祖」がつくのですね。

ちなみに高麗の初代国王・王建(ワン・ゴン)も太祖です。

初代でなくても祖を使っていい前例になった世祖

祖は最初の王に付けられるものだから太祖しか付けてはいけないはずです。

でも世祖のときに「国を再興した」という意味で祖が付けられました。別に朝鮮が一度滅んだわけではないのですが、弱まっていた王の力を回復させたことが評価されたようです。

そこで「国を作るのに等しい偉業だ」ということになり。世祖と呼ばれるようになりました。世祖自らが名のったわけでなくて、死後に重臣たちが決めました。

ここで初代の王以外でも「祖」を使っていいという前例ができました。

国を守った?宣祖、仁祖

宣祖、仁祖は他国から国を守ったということで祖になりました。滅びかけていた国を救ったので、建国したに等しい偉業とされたんですね。

王が懸命だったから救われたわけではないのですが。結果的に李氏王朝が残ったので「国を守った」ことになってます。

現代のドラマでは他国に攻められて逃げ惑ったりする情けない王様に描かれることもあります。

「祖」乱発の時代

英祖、正祖、純祖は最初は宗でした。

英祖、正祖などは功績のある王といえます。少なくとも宣祖、仁祖よりは立派な王だったでしょう。でも初代でもなく、再興したわけでもなく、国の滅亡から救ったわけでもないので「祖」は与えられませんでした。

死後に付けられた名前は英宗、正宗、純宗だったのです。

ところが後の時代に祖に昇格しました。

高宗の時代に、英宗、正宗は「祖」に格上げされました。

高宗は血筋としては仁祖の三男・麟坪大君の子孫。英祖、正祖、純祖の子孫ではありません。

でも、高宗が王家を相続する時に英祖の家系の養子になって王位を継ぎました。だから形の上では祖先になる英祖を「祖」に格上げしたのです。正祖も高宗の時代に祖に格上げされました。

純祖は孫の哲宗の時代に祖に格上げされました。

現代人の感覚とは違う

現代人が太祖以外に祖をつけるなら、真っ先に世宗の名があがるでしょう。でも現代では人気の高い世宗ですが当時はあまり評価は高くなかったようです。

王朝時代は身分の高い人は漢字を使うのが当たり前。ハングル文字(当時は訓民正音)はむしろ恥ずかしい文字とされていました。だから世宗は李氏朝鮮時代は現代ほど評価は高くありません。

こうしてみると王様の評価も王朝の人たちと現代人の感覚ではずいぶんと開きがあることがわかります。

徳のある王様は「宗」

宗は徳のある王様。という意味です。配位された王を除けば、祖のつかなかった王様はほとんどが◯宗です。徳があるとはいい難い王もかなりいますが。祖がつかなかった王にはみんな「宗」にしてしまってるようですね。

例外的に、廃位されたわけでもないのに宗が付かなかった王がいます。2代目の定宗です。

功績のなかった王ということで、宗は付かずに「恭靖王」あるいは「恭靖大王」とだけ呼ばれました。19代粛宗の時代になってようやく「定宗」の廟号がおくられています。

王様の呼び方

ちなみに生前の王様を呼ぶときはどう呼んでたんでしょうか?諡はありません。本名で呼べるのは親や目上の人だけ。下の者が呼ぶのも書くのも禁止です。「殿下(チョナ)」と呼んでたんですね。発音するときは「チョーナー」と長く伸ばすのが礼儀だそうです。

日本語訳では「王様(おうさま)」になってることが多いです。「殿下(でんか)」と呼んでいるドラマもありますね。

殿下というと陛下よりも格下の呼び方になります。これは李氏朝鮮王朝が明や清の臣下の国(属国)だったため。陛下とは呼べなかったのです。

太王四神記のように、高句麗の王は陛下(ペーハー)と呼んでるところもあります。このころはまだ属国でなかったので陛下と呼んでいたと解釈しているのでしょう。


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