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呉三桂 2 明残党との戦いと清への反乱から最期まで

大清 1.5 清の重臣・役人・男達

呉三桂(ご・さんけい)は明朝の武将です。

明朝末期におきた李自成の反乱では、清に味方して李自成軍を破り。
明の残党と戦い南明勢力にとどめをさし。
最後は清に反乱を起こしました。

中国では裏切り者として評判のよくない人物です。
清朝に対しても反乱を起こしたので反逆者扱いです。

前回は誕生から李自成の反乱までを紹介しました。

呉三桂1 清から国境を守り、反乱軍の李自成と戦うまで
呉三桂(ご・さんけい)は明朝の武将です。 親も明の将軍でした。 明朝末期は混乱した時代で、各地で反乱が起こる中。 国の外では女真族が力をつけて後金を建国、万里の長城を越えて中原を目指そうとしていました。そんな時代に呉三桂は後金・清との戦いで...

明を失った呉三桂は清とともに李自成と戦う道を選びました。

史実の呉三桂はどんな人物だったのでしょうか?

李自成の反乱の鎮圧から、呉三桂の最期までを紹介します。

 

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呉三桂の史実

いつの時代の人?

生年月日:1612年6月8日
没年月日:1678年10月2日

姓 :呉(ご)氏
名称:三桂(さんけい)

国:明→清→周
地位:→平西王→周皇帝
称号:

父:呉襄
母:祖氏(祖大寿の妹)?
妻:張氏(張皇后)
妾:陳園園

子供:応熊、応麒、他

彼は明朝末期~清朝初期の武将です。

日本では江戸時代になります。

明の武将だった呉三桂が清に降伏するまで

父・呉襄(ご・じょう)は明の武官。呉三桂も武官になり清との戦いで手柄を立て遼寧の司令官になります。

遼寧地方は後金・清の国境を接する地域。明を満洲人から守る重要な地域でした。

1641。北京が反乱軍の李自成たちに占領され、明の崇禎帝は自害。明朝は滅亡しました。

李自成は北京を占領する前から「順王」を名乗り、国名を「順」にすると宣言しています。明が滅亡し、順が北京を占領したのでした。

李自成は父・呉襄や家族を人質にとって呉三桂に味方するように使いを出します。

李自成が率いる順軍は、呉三桂のいる山海関に迫ります。

東からはドルゴン率いる清軍が迫ります。

呉三桂は清とともに順と戦い勝利します。山海関の戦いの後。呉三桂は清軍を先導して北京に向かいます。

破れた李自成は呉襄を殺して首を晒し者にして、呉三桂の家族を殺害しました。

4月29日。李自成は「大順」の「皇帝」に即位。翌日、北京を放棄して西安に退却しました。

清に服従した呉三桂

1641年(順治元年6月6日)。呉三桂と清軍は北京に到着。順治帝フーリンが紫禁城の主になりました。

ドルゴンは呉三桂を平西王に任命しました。

呉三桂は親や一族を李自成に殺されました。幸いにも幼い応熊は無事でした。

紫禁城に入った清に明の役人たちは次々に服従。呉三桂も明の皇太子を支持するのをやめました。

呉三桂は他の清に降伏した臣下と違い大量の兵を持っていました。そのため清は呉三桂を警戒し、李自成と戦うための部隊を率いさせただけでした。

呉三桂はまだ完全に清に服従したわけではありません。南京に残る明の残党との連絡はとっていました。

李自成や明残党と戦う

まずは父の仇を討つため李自成軍を倒すのが目的でした。

6月。山東にいる李自成軍の残党を討伐。

9月。英親王アジゲとともに西に遠征。西安から李自成軍を追い出しました。

西安を追われた李自成は逃亡先で自殺しました。

1645年(順治2年8月)。李自成軍の討伐があらかた終わると、呉三桂は北京に呼び戻されました。錦州の守備を任されます。

このころから「父の仇」とはいわなくなり、明の崇禎帝を「故主」と呼んで過去のものにして。「新王朝に忠誠を尽くす」と口にするようになりました。

1647年(順治4年)。八旗将軍の李国翰とともに漢中に出陣、清に抵抗している反乱軍を鎮圧しました。

その後も李自成軍の残党と戦って虐殺を行いました。とにかく李自成軍には容赦ありません。

各地で明の皇族を中心にしていくつかのグループが決起して清に抵抗していましたが。呉三桂は明の残党とも戦って鎮圧しました。

かつての味方にも容赦のない呉三桂の態度をみて、清朝の人々も呉三桂を頼りにしました。

1651年(順治8年)。呉三桂と李国翰は四川への進軍を命じられます。張献忠の残党を討伐しました。

張献忠も明末期に反乱を起こした軍閥。張献忠は清軍との戦いで戦死していますがその残党が清に抵抗を続けていました。

1659年(順治16年)までに重慶や成都など四川省の二大都市を平定しました。

その間、1657年(順治14年)は呉三桂は平西大将軍になりました。南部で抵抗を続ける明の残党を討伐するため、雲南・貴州方面で戦いました。

1659年(順治16年)。呉三桂は雲南を制圧。雲南の統治を任されます。

その後、ビルマ王国に逃れていた南明の永暦帝を捕らえるため、ビルマに侵攻。

1662年(康熙元年)。ビルマ王ピエ・ミンは匿っていた永暦帝親子を呉三桂に差し出しました。呉三桂は永暦帝親子を処刑しました。

藩王になる

反乱軍の鎮圧に功績のあった呉三桂は雲南と貴州の当地を任されました。

漢人に比べて圧倒的に人口の少ない満洲人は、広大な中国を支配下に置くため。降伏した明の将軍たちを臣下にしました。抵抗する漢人勢力の討伐に漢人将軍を派遣します。

中でも大きな力を持っていたのは。

雲南・貴州を支配下にもつ平西王・呉三桂、平南王・尚可喜、靖南王・耿仲明の三人でした。彼らを三藩といいます。「藩」とは自治領みたいなものです。

呉三桂・尚可喜・耿仲明を「藩王」といいます。

三藩の中でも呉三桂は特に大きな兵力をもっていました。

藩王は藩内の官吏(役人)の任命権を持ち、軍事・行政を司ります。

清の朝廷からも毎年・軍事費が支給されていました。

呉三桂は領内の鉱山開発を行い、独自にチベットとの貿易、貨幣の鋳造も行っていました。

領主というより朝廷の支配の及ばない独立国でした。

呉三桂は戦いがないときでも常に2万の兵力を維持していました。

大きな軍事力を持ち、半分独立国のような藩王たちに危機感をもったのが康煕帝です。

 

三藩の乱

1673年(康熙12年)。平南王・尚可喜が隠居。息子に平南王の地位を譲ると朝廷に届け出ました。ところが康煕帝は藩王の世襲を認めませんでした。

当然世襲できると思っていた呉三桂たちは驚きます。呉三桂は耿仲明も朝廷の出方をみようと引退の届け出を出します。朝廷内ではこの機会に藩王を廃止しようという意見が高まりました。

呉三桂たちは藩王の廃止を止めるように訴えましたが、康煕帝は拒否しました。

11月。呉三桂はこれ以上清朝に従うことはできないと考え、部下たちを集めて決起を宣言しました。朝廷が派遣した使者を殺害しました。

呉三桂の妻は長男・応熊がホンタイジの娘と結婚して北京で人質になっているので殺されてしまう。と反対しましたが。呉三桂は妻の言うことをききません。

「明を復興し蛮族を討つ」と挙兵

呉三桂は檄文で「興明討虜=明を復興させ、蛮族を討伐する」と宣言し「天下都招討兵馬大元帥」と名乗り挙兵しました。

1674年(康熙13年)。国名を「周」にして独立を宣言。

呉三桂は湖南を占領しました。さらに四川省・陝西省、広西・福建にも旬軍しました。

藩王の尚可喜や耿精忠にも決起の呼びかけをしました。

1674年2月。陝西で提督の王輔臣が。広西では定南王の娘婿孫延齢が挙兵。3月には耿精忠も挙兵しました。

平南王・尚之信は挙兵しませんでしたが、1676年4月に反清勢力に包囲されると呉三桂に投降しました。

さらに、台湾に落ち延びていた鄭氏政権も反乱を起こしました。

決起してしばらくは呉三桂の勢いが凄まじく、便乗して決起するものもいました。一時は長江から南は全て呉三桂たちの反清勢力が占領するほどでした。

さらに、モンゴルのチャハル部ではアブダイの息子・ブルニが反乱しました。

北京の朝廷は危機感をもち、大臣たちは康煕帝に満洲に撤退するよう進言するものまでいました。でも康煕帝は北京を退くつもりはありません。呉三桂は漢人将軍を採用して反乱軍と戦わせました。

しかし、明の残党勢力を壊滅させ、南明の永暦帝を処刑したのは呉三桂です。山海関を開き清朝を北京に案内したのも呉三桂です。混乱に便乗して「自分も分け前を」と思うものはいても呉三桂に共感する者はいません。

まとまりのない反乱軍

清朝をとおして「明の復興」を宣伝文句にする反乱軍はいましたが、本気で明を復興させるつもりはなく。自分達の利権のために戦っているだけでした。明にはそこまでの魅力はなかったようです。

反乱軍はそれぞれが各地で戦うだけでまとまりがありません。呉三桂のもとに集まってまとまろうという気にはなりませんでした。

やがて八旗軍と漢人将軍を戦場に送り込み反撃に出た清朝によって反乱軍は個別に撃破されていきます。

1676年(康熙15年)6月。陝西が鎮圧されました。

10月。耿精忠が清に降伏。

12月。尚之信及と広西の孫延齢の後を継いだ孔四貞が清に降伏しました。

反乱軍は次々に撃破され、呉三桂は湖南で孤立してしまいます。

1678年(康熙十七年)3月。呉三桂はさいごの悪あがきとばかりに湖南省衡州(衡陽)で皇帝に即位しました。

李自成もそうでしたが、反乱を起こしたら一度は「皇帝」を名乗りたいもののようです。

同年8月に病死しました。享年67。

その後、息子の呉応麒の子・呉世璠があとを継ぎましたが。1681年に清に攻められて自殺。

三藩の乱は終わります。

 

テレビドラマ

 

龍珠伝 2016年、中国 演:劉立偉
鹿鼎記 2020年、中国 演:于荣光

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