中国ドラマ「与君歌(よくんか)~乱世に舞う運命の姉妹~」のあらすじとネタバレ感想の紹介記事です。
与君歌(よくんか)は権力を宦官に奪われた若き皇帝と彼を守る女護衛官の切ないラブストーリーです。
唐をモデルにした大興王朝が舞台。
この国では皇帝には力がなく宦官が権力を握っていました。
皇帝 文宗は宰相たちと仇子梁を倒そうとしたのですが失敗。文宗の死後、仇子梁は文宗の弟・斉焱(せい えん)を皇帝にしました。
宰相の2人の孫娘は生き延び名前と立場を変えて生き延びました。
妹のヒロイン・程若魚は皇帝の護衛剣士になり。姉の仇煙織は仇子梁の養子となっていました。
そして物語が動き出すのでした。
この記事では与君歌のあらすじとネタバレ一覧。ドラマの背景・みどころを紹介します。
与君歌(よくんか) ドラマ情報
与君歌(読み方:よくんか)
簡体字原題:与君歌、梦醒长安
繁体字原題:與君歌、 夢醒長安
英題:Stand by Me
2021年、中国
全49話
原作:劍器行
作者:飛花
与君歌(よくんか)の登場人物
・斉焱(せい えん)/武宗
演:成毅(チョン・イー)
・程若魚(てい じゃくぎょ)/淩泠/王若泠
演:張予曦(チャン・ユーシー)
・仇煙織(きゅう えんしょく)/王若清
演:宣璐(シュエン・ルー)
・珖王 斉宸(せい しん)/十三
演:韓棟(ハン・ドン)
・仇子梁(きゅう しりょう)
演:何晟銘(ミッキー・ホー)
・巌修(げん しゅう)
演:李俊逸(リー・ジュンイー)
第1話 朝露の変
皇帝 斉焱の即位
文宗が崩御。
仇子梁は文宗の弟・斉焱を皇帝に擁立しました。
仇子梁は斉焱を自分の思い通りに動かそうとします。
斉焱は表向きは仇子梁に従いますが、心の中では彼を排除しようと考えていました。
仇子梁もまた、表では斉焱にひざまずいて臣下のふりをする一方で、裏では斉焱に傲慢な態度を取っていました。
一方、王家の2人の孫娘のうち妹は程懷智の養子となり、程若魚(てい じゃくぎょ)に名前を変えました。
姉は名前を 煙織(えんしょく)に変え仇子梁の養女になりました。
皇帝の侍衛になった丁若魚
朝露の変から8年後。
成長した丁若魚は紫衣局に入り、皇帝を皇帝を守る執剣人になりました。
なんで皇帝を守るのに女性の侍衛が必要なんだろうね。
戦うヒロインを登場させたいからではないでしょうか。
もちろん紫衣局も皇帝を守る女性剣士も架空の設定。だから王朝も架空の興にしているのでしょう。架空王朝ものはファンタジーっぽくなることが多いですが。このドラマも魔王や神仙がいないだけでファンタジーですね。
それを遊びのコスプレではなく本当に皇帝を守っていたら?というのがこのドラマかもしれません。
任命式の帰り、丁若魚は仇煙織に会いました。そこに仇子梁が現れ仇煙織を連れて帰ります。
丁若魚と仇煙織はすでに親しそうですね。
仇子梁は仇煙織を使って斉焱に逍遙外物丹という薬を飲ませようとしました。すると丁若魚が火事だと騒いで薬の入った茶を飲み倒れてしまいます。
薬で皇帝を操ろうとしているのか。
実際、斉焱のモデルになった武宗 李炎は丹薬の飲み過ぎで中毒死してますからね。その伏線でしょうか?そうならないことを願うばかりですけど。
さすがに丁若魚の行動は無茶ですね。どうやら即効性の毒ではなさそうなので倒れたのは丁若魚の演技なのですが。程兮は武功が半年回復しなと噂を流しました。そんな毒のはずがないと思ってる仇子梁も怪しんでます。
ミッキー・ホーは「永楽帝」で皇太子 朱標を演じていました。今回は正反対のイメージの悪の親玉ですね。キャスト見るまで同じ人物と気が付きませんでした。
悪役が魅力的で憎らしいやつと思えるか?によって主人公が輝けるかどうかが決まるので、仇子梁の悪役ぶりに期待です。
ついでに書くと斉焱を演じるチョン・イーは主人公格が多い役者ですが「永楽帝」でも主人公・朱棣の若い時を演じていました。今回は敵同士ですね。
このドラマ「琉璃」「永楽帝」と被ってる役者さんが多いですね。
与君歌(よくんか) ネタバレとあらすじ一覧
新米執剣人 程若魚の活躍?(~5話)
このページの中にジャンプします。
程兮が解任・程若魚が紫衣局を指揮(6~13話)
鎮呉の軍師が仇子梁を狙う (14~19話)
廬従の混乱(20~23話)
程兮の裏切り(24~)
凌冷として生きる程若魚
あらすじ一覧は随時更新予定。
次に与君歌の時代背景やドラマのネタになった歴史上の事件を紹介します。
与君歌(よくんか) 時代背景
宦官が力を持つ唐によく似た国
舞台になる大興は唐をモデルにした王朝。
宦官 仇子梁(きゅう しりょう)は朝廷で強大な権力を持っています。
皇帝 文宗 斉昂(せい こう)は仇子梁の操り人形でした。
朝露の変
泰安9年。
文宗は仇子梁の支配を終わらせるため、李敘、鄭祿、宰相の王揚と共に仇子梁を排除しようと計画。
ところが計画は失敗。
仇子梁は神才軍を率いて王揚を追いました。追い詰められた王揚は二人の孫娘とともに逃げます。孫娘たちは逃げることができましたが、王揚は仇子梁ら射殺されてしまいます。
仇子梁は王揚の遺体を市場に引き渡して晒し首にするよう命じました。
こうして文宗の仇子梁討伐計画は失敗しました。
この事件を「朝露の変」といいます。
与君歌の「朝露の変」のモデルになった事件
朝露の変は唐で実際にあった実話がもとになっています。
それが唐の時代に起きた甘露の変です。
唐の文宗 李昂(り えん)の時代。宦官の王守澄が権力を握っていました。というのも文宗は王守澄のおかげで即位できたからです。
太和9年(835年)。操り人形になるのを嫌った文宗は宰相の宋申錫とともに王守澄を排除しようと計画。まずは宦官の仇士良を王守澄と対立させ、共倒れさせることにしました。作戦はうまくいき王守澄が失脚。
次に仇士良(きゅう しりょう)を排除しようとしました。
このとき李訓が手柄を独り占めしようと宦官を集めて一気に始末しようとしました。ところが作戦がバレてしまい李訓は殺害され。作戦に関わった多くの臣下も粛清されました。
仇士良は更に力をもち文宗は彼の操り人形になり、失意のまま4年後に病死しました。
この事件をを甘露の変といいます。
文宗の死後、 武宗 李炎が即位しました。
武宗は仇士良との争いに決着を付けますが、丹薬で中毒死。
宣宗 李忱が即位しました。
宣宗の時代になって宦官の勢力をある程度抑え込むことに成功。唐は安定を取り戻したといわれます。
ドラマと史実の対応表はこのとおり。
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