ドラマ「善徳女王」で生まれたばかりのトンマン王女と次女のソファを逃したのがムンノ。
ムンノは実在したのでしょうか?
ムンノ(文努)は「花郎世紀」という書物に登場する花郎のリーダーです。ドラマのオリジナルではありません。
でも朝鮮半島の正式な歴史書「三国史記」などには登場しません。「花郎世紀」は後世に作られた架空の歴史書だといわれます。ミシル(美室)も「花郎世紀」だけに登場する人物。ミシル(美室)やムンノ(文努)も架空の人物の可能性が高いです。
しかしもとになった「花郎世紀」には歴代の花郎とそのリーダーたちのことが詳しく書かれているのでテレビドラマのネタとしてよく使われます。ドラマの「善徳女王」は史実に「花郎世紀」の内容を織り交ぜて、さらに脚色したドラマなのです。
ドラマの元ネタになった「花郎世紀」に描かれたムンノ(文努)はどんな人物だったのか紹介します。
ムンノ(文努)の史実?
いつの時代の人?
生年月日:1612年2月5日
没年月日:1645年5月21日
名前:金文努(キム・ムンノ)
父:比助夫
母:文華公主金氏
妻:允宮娘主金氏
子供
息子:大剛
息子:充剛
息子:金剛
娘:允剛
娘:玄剛
娘:信剛
主に活躍したのは新羅の25代真興王から26代真平王の時代です。
日本では飛鳥時代になります。
おいたち
母の文華公主は伽耶の王族でした。
新羅の王族・金居柒夫と末宝の娘・允宮と結婚しました。允宮は美室(ミシル)のいとこ。ミシル(美室)が允宮に文努(ムンノ)を紹介しました。
真智王(ドラマ善徳女王で演じたのはイム・ホ)は即位すると、文努(ムンノ)を頼りにしました。
文努(ムンノ)は第8代風月主になりました。風月主とは花郎全体を統括する指揮官。正式な歴史書・三国史記では「國仙」ともいいます。つまり文努(ムンノ)は花郎のリーダーだったのです。
真智王は美室(ミシル)を王妃にするという約束を守りませんでした。弩里夫(世宗:ミシルの夫)は真智王のかわりに王になる計画をたてました。世宗は思道王后の弟です。
思道王后は真興王(ドラマ善徳女王で演じたのはイ・スンジェ)の后です。
ところが思道王后や花郎たちが反対したため実現できませんでした。このとき文努(ムンノ)は反対しました。
かわりに真平王を王にしてミシルを源花、世宗を國仙(風月主)、ムンノを亜仙にしたといいます。
真平王の時代
606年。死亡。享年33。
もともとが架空の人物のため詳しいことはわかりません。
善徳女王の元ネタになった花郎世紀では、ミシルと親戚関係にあったことがわかります。しかし真智王と親しくし世宗とはあまりうまくいってない様子です。
そのため、ドラマではミシルに対抗して真平王に忠誠を尽くす役にしたのでしょう。
テレビドラマ
善徳女王 MBC 2009年 演:チョン・ホビン
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