ハン・ダヨンは『大王世宗』でチャン・ヨンシルが想い続けた初恋の女性。国の都合で明へ送られ皇帝の側室となり、悲劇的な最期を迎えます。
この記事では、ハン・ダヨンがドラマの中でどのように描かれているか、家族との関係や明へ送られた後の運命、さらに史実上のモデルと考えられる韓麗妃との共通点まで分かりやすくまとめました。
この記事で分かること
- ハン・ダヨンがどんな立場と境遇に置かれた人物なのか
- チャン・ヨンシルとの関係が物語でどう描かれているのか
- 明の貢女となり、側室となった後の運命
- 史実上のモデルとされる韓麗妃との共通点と違い
『大王世宗』のハン・ダヨンとはどんな人物?
ハン・ダヨンはドラマの中でチャン・ヨンシルが生涯を通じて想い続ける初恋の女性です。ダヨンの家は地方の豪族。父は朝鮮の役人ですが、高麗復興勢力ともつながりのある家でした。
家に仕える使用人のチャン・ヨンシルと心を通わせますが。父は反対。二人の仲は引き裂かれてしまいます。
さらにドラマ中盤では明に貢女(コンニョ)として送られ皇帝の側室になってしまいます。でもダヨンの最後はさらに過酷でした。永楽帝の死後・殉葬になってしまうのでした。
ダヨンの家族と孤独な境遇
父・ハン・ヨンノの裏切りと家門の崩壊
ダヨンの父、ハン・ヨンノは朝鮮の役人です。でも彼は高麗復興勢力(朝鮮王朝を転覆させて高麗を再興させようとする秘密結社)の仲間でした。
仲間を裏切る
第14話から第15話にかけて描かれる「太平館襲撃」ではハン・ヨンノは自分の保身のために仲間を裏切り、官軍に情報を売ります。その結果、高麗復興勢力による太平館襲撃は失敗しました。
この裏切りによってダヨンの家は反体制派からは「裏切り者」「敵」と判断されます。かといってよい待遇を得られるわけではなく。ハン・ヨンノは自分を高く買ってくれる勢力につくことになります。
母の不在と精神的な孤独
劇中では、ダヨンの母はすでに亡くなっています。ダヨンは母という最大の理解者を失ったのでした。
そんな母を亡くした悲しみに寄り添い孤独な彼女を支えたのがヨンシルでした。理解のある家族を失ったダヨンにとって、ヨンシルは唯一の精神的な救いでした。
それだけにヨンシルな気になる異性以上の存在になったといえます。
父は二人の仲を認めない
でも父ハン・ヨンノは娘が使用人である奴婢と親しくしているのが気に入りません。高麗復興勢力の武器製造に関わらせた後に、ヨンシルも亡きものにしようとします。ヨンシルは生き延びましたが、ダヨンとは離れ離れになってしまいました。
明の貢女になる
元敬王后は敬寧君の縁談相手としてダヨンを選びました。しかし孝嬪はそれが不満でした。さらにハン・ヨンノを恨むチョン行首がダヨンを明国に送る案を思いつき、結局。ダヨンは明に送られる貢女になってしまいます。
明で皇帝の側室になる
ダヨンは明に贈られた後。永楽帝の側室となりました。
そんな事があり得るのかと思うかも知れませんが。事実、永楽帝には朝鮮から来た貢女出身の側室がいました。「大王世宗」ではその役目をダヨンに負わせているようです。
明でヨンシルと再会
ヨンシルは天文観測の機器の情報を得るために使節に動向。明にやってきました。そこで皇帝の側室となったダヨンと再会します。
そこでダヨンや宦官ファン・オムの協力を得て測定機器の情報を得て帰国します。
ダヨンの最後
皇帝の側室になったダヨンでしたが、彼女の最後は悲しいものでした。明には皇帝の死後、子のない側室を殉葬にするという規則があったのです。
第63話では明の皇帝・永楽帝の死後、ダヨンには殉葬の命が下りました。部屋には棺と白い紐が運び込まれます。朝鮮側はこれを止めようとして、吏曹判書ホ・ジョや工曹参判イ・チョンが抗議、ヨンシルと引き換えに彼女を救うという命がけの取引を提示しますが一度出た命令は覆りません。
朝鮮の使節として明に滞在していたチャン・ヨンシルもこの情報を知り、激しい衝撃を受けます。ヨンシルも、同じ朝鮮出身の宦官ファン・オムを頼りますが、救出はできません。
監禁同然のダヨンの部屋へ命がけで忍び込みようやく再会しますが、彼一人の力では彼女を連れ出すことは不可能でした。
ヨンシルにできる唯一のことは絶望の中で、ありったけの愛を込めて夜空に花火を打ち上げることだけでした。
こうしてダヨンは最後を迎えたのでした。
ダヨンは実在する?モデルは?
ハン・ダヨンという名の人物はこの時代の記録にはありませんが。彼女のモチーフになったと思われる人物はいます。
それが永楽帝の側室・麗妃韓氏です。
ダヨンのモデル・麗妃 韓氏とは?
麗妃 韓氏(韓麗妃)は、1417年(永楽15年)に朝鮮から明の永楽帝へ「貢女(コンニョ)」として献上された女性です。
- 地位:麗妃(永楽帝の側室)
- 本貫:清州韓氏(朝鮮の重臣・韓永矴の娘)
- 家族:
- 父:韓永矴
- 妹:韓桂蘭。貢女になって明へ渡り、宣徳帝(永楽帝の孫)に仕える女官(恭慎夫人)となった。
- 弟:韓確
- 姪(韓確の娘):朝鮮王朝で強大な権力を振るった仁粋大妃(インステビ)。
彼女が故郷を離れるときには多くの人々がその姿を見て涙を流したと記録されています。当時の貢女がいかに過酷な別れであったかが伺えます。
冤罪と飢餓に苦しんだ「魚呂の乱」
麗妃 韓氏は永楽帝時代に起きた「魚呂の乱(ぎょろのらん)」に巻き込まれ、処罰を受けています。
事件の発端:宮女と宦官の密通が発覚、怒り狂った永楽帝が宮廷の宮女たち処刑。
冷宮への幽閉:韓麗妃も関わりを疑われ、食事も与えられないまま冷宮(監獄のような別宮)に閉じ込められました。
餓死寸前の救い:門番の宦官が彼女を不憫に思い、こっそり食べ物を届けたことで辛うじて命を取り留めたという逸話が残っています。
逃れられなかった「殉葬」の運命
幸いにも「魚呂の乱」を生き延びた韓麗妃でしたが、その直後の1424年。永楽帝の崩御に伴い運命が決します。
ドラマのダヨンと同様、彼女は「殉葬」を命じられました。朝鮮側の記録によると彼女は泣きながら当時の朝鮮国王(世宗)によろしく伝えてほしいと最期の言葉を残したと伝えられています。
この事件は脚色されて中国ドラマ「尚食」でも脚色されて表現されています。ドラマの韓荘妃が史実の韓麗妃になります。ただし「尚食」では韓荘妃は朝鮮の出身ではなく明国内の出身になっています。
栄えた一族
でも韓麗妃の一族は朝鮮の重臣として栄えました。貢女を出した功績からか弟の韓確は出世。韓確の娘は世祖の世子・懿敬世子と結婚しました。懿敬世子は病死しましたが、息子の成宗が即位。成宗の母は仁粋大妃となりました。
韓麗妃の妹も貢女となり、5代皇帝・宣徳帝に仕える内廷女官となっています。
史実の韓麗妃とダヨンの違い
史実では韓麗妃の犠牲のあと一族が反映する
彼女自身は貢女として明に贈られ。皇帝の側室になったものの、冤罪や空腹、殉葬にあって命を落としました。
ダヨンも明に贈られ皇帝の側室となり最後が殉葬になっています。
でも韓麗妃にはダヨンのように心を通わせた人がいたという記録はなく、後宮での事件にも巻き込まれ飢えや粛清といった恐怖にさらされました。韓麗妃の方がより孤独で過酷な境遇だったと言えるかもしれません。
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