ジョンイのキム・テドのモデルは日本に来ていた?

キム・テドは炎の女神ジョンイに登場する人物。ヒロイン・ジョンイの兄のような存在です。

キム・テド(金泰道)は深海宗伝ではないかという噂が広まっています。深海宗伝とは朝鮮から日本にやってきて有田焼を広めた陶工です。

キム・テド(金泰道)とは深海宗伝が朝鮮にいたときの名前だというのです。

本当でしょうか?その真相をお話します。

キム・テドのモデル?深海宗伝(ふかうみ そうでん)とは

深海宗伝は朝鮮で陶工をしていました。

豊臣秀吉の時代。朝鮮出兵が行われました。日本軍は撤退するときに朝鮮人の技術者を連れて日本に帰ってきました。当時の朝鮮は陶磁器の技術が進んでいました。豊海秀吉はその技術を取り入れるため技術者を連れてくるよう大名たちに命令しました。

肥前国武雄の領主・後藤家信も朝鮮人陶工を連れて帰ってきました。その陶工たちのリーダーが深海宗伝でした。

深海宗伝・名前の不思議

深海宗伝は日本で付けた名前です。朝鮮での名前は伝わっていません。

深海宗伝の出身地とされる金海には金氏が多くいました。深海宗伝が金海金氏だった可能性はあります。深海宗伝はキム・テドのモデルになったのかもしれませんが、ドラマの役名は架空なんですね。

金海金氏はキム・スロの子孫だといわれる人々です。深海宗伝が暮らしていた朝鮮南部の金海は金官伽耶のあったところなんです。

宗伝になったわけ

宗伝は日本に来たばかりのときは新太郎と名乗っていました。新太郎は日本に来る前から武雄広福寺の別宗和尚と一緒に行動していました。別宗和尚は従軍して朝鮮に渡って活動をしてたようです。新太郎と別宗和尚は親しくなりました。そこで別宗和尚から”宗”の字をもらって宗伝と名乗ることにしたようです。

内田で土地を貰う
宗伝は日本に来て数年は広福寺の近くで住んでいました。肥前国武雄の領主・後藤家信から内田村に土地をもらったので、一族とともに内田村に住み陶磁器を作り始めました。

名字が深海になったわけ

日本に来た宗伝に対して、後藤家信は姓を与えることにしました。そこで出身地を尋ねたところ宗伝は「シンカイ」と答えたので「深海」になったといわれます。

金海という地名を言ったのが「シンカイ」と聞こえたのではないかといわれています。現在の金海は”キメ”と発音するそうですが。当時は違ったのでしょうか?それとも他の場所だったのでしょうか?詳しいことはわかりません。

当時、おおやけに姓を名乗っていいのは特別な身分の人だけです。後藤家信は深海宗伝を武士と同じ待遇にして後藤家の被官(家臣)にしました。

朝鮮では職人の身分が低いので陶工が両班になるのはほとんどありません。破格の待遇です。それほど重要な人だと思われていたのです。

江戸時代になると肥前国は佐賀藩鍋島家が治めることになりました。有田・武雄はひきつづき後藤氏が領主を勤めました。佐賀藩も朝鮮から来た陶工を保護しました。

本当に朝鮮人陶工だったの?

ところが、有田で使われた登窯や唐臼は朝鮮にはありませんでした。

なぜ陶工たちは朝鮮になかった技術を使ったのでしょうか?そこで金ヶ江 三兵衛は明の人だった。あるいは、明の技術を学んだ朝鮮人だったなどの説があります。

妻は有田焼の母・百婆仙(ペクパソン)

深海宗伝には妻がいました。本当の名前は伝わっていません。日本では百婆仙(ペクパソン)という名前が伝わっています。

百婆仙(ペクパソン)は有田焼の発展に貢献し、有田焼の母といわれました。百婆仙は韓国語でペクパソンともいいます。本当の名前は伝わっていません。長生きしたおばあさんという意味です。

1618年(元和4年)。宗伝が死去します。

百婆仙は夫のあとを引き継ぎ、息子の平左衛門(宗海)とともに焼き物を続けました。

この百婆仙(ペクパソン)が炎のジョンイのジョンのモデルになった人物です。でも百婆仙自身が陶工だったかどうかはわかりません。百婆仙(ペクパソン)や深海宗伝が朝鮮にいたときの記録がないからです。

だからドラマの朝鮮女性初の宮廷陶工という設定は作り話なんですね。

深海宗伝の技術は息子の平左衛門(宗海)が引き継ぎました。息子とともに陶工たちをまとめ有田焼を発展させました。経営者としては優秀な女性だったようです。

現代まで続く陶工の魂

深海宗伝と百婆仙の子孫、深海家はその後も有田焼の家として続きました。

深海一族は苗字帯刀を許され、窯元として栄えました。明治維新で一時期廃業しましたが、明治時代になって復活。陶磁器製造販売をてがける深海商店として現代でも続いているそうです。

有田焼の始まりと発展は朝鮮人陶工とその子孫たちによって支えられていたのですね。

朝鮮の陶工事情

一方、朝鮮に残った陶工たちの多くは廃業し技を受け継ぐものはわずかとなりました。朝鮮の陶磁器は宗の陶磁器をもとに高麗時代に発展したものです。高麗時代から朝鮮時代の初めまでは日本よりも進んだ技術を持っていました。

しかし李氏朝鮮時代の中期以降になると職人たちは冷遇されました。高麗は仏教の国でしたが、李氏朝鮮は儒教の国です。儒教思想の強い朝鮮では、体を使う仕事は卑しい仕事なのです。

職人の身分は低く賤民よりマシといった程度です。賤民の職人もいました。ドラマのように職人が王族と話をするのは夢物語なんです。

故郷で暮らしたけど低い身分のままで、いつしか技も途絶えてしまった人。
異国の地につれてこられたけど、高い身分を与えられ技を受け継いだ人。

どちらがいいとは言えませんが歴史とは不思議なものです。

結論・キム・テド(金泰道)は深海宗伝ではない

話はもどって、キム・テドと深海宗伝の関係です。

どうも深海宗伝ではなさそうです。

深海宗伝の朝鮮での苗字は「金」だったかもしれません。でも「金泰道」という名前は伝わってません。

しかも深海宗伝本人は陶工です。ドラマのキム・テドのような武人ではありません。

ドラマでユ・ジョンの兄のような存在のキム・テドが深海宗伝だと紹介しているサイトがあったため、誤解の原因になってしまいました。

ジョンイのモデルは百婆仙(ペクパソン)

百婆仙(ペクパソン)の夫が深海宗伝。

深海宗伝の苗字は「金」だったらしい。

というわけで深海宗伝=キム・テドという誤解が広まってしまったようです。


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