朴守卿(パク・スギョン)は高麗の将軍。知略に優れた将軍でした。数々の戦で手柄を立て王建の危機を救ったこともあります。
史実の朴守卿(パク・スギョン)はどんな人物だったのか紹介します。
朴守卿(パク・スギョン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:969年11月
名前:朴守卿(パク・スギョン)
父:朴遲胤(パク・チユン)
母:不明
兄:朴守紋(パク・スムン)
妹:聖茂夫人朴氏
妻:不明
子供:
承位、承景、承禮、夢良院夫人朴氏
高麗王朝、初代国王・太祖(王健)の時代に活躍しました。
日本では平安時代の人になります。
おいたち
父・朴遲胤(パク・チユン)は浿西(現在の京畿北部と黄海道地方)の豪族でした。
朴守卿の妹・聖茂夫人朴氏となり、朴守卿の娘も聖茂夫人朴氏となっています。月鏡院夫人朴氏も兄・朴守紋の娘です。一族から三人も王建に嫁がせていました。
朴一族は強力な軍隊を持っており戦いに優れていたといいます。そのため王建は朴一族の支援を得るために何人もの娘を妻にしたといわれます。
925年(太祖8)の戦いでは朴守卿(パク・スギョン)の部隊だけが勝利することができました。太祖王建は喜び、朴守卿を昇進させようとしました。しかし朴守卿は兄より高い身分になる訳にはいかないと遠慮しました。その結果、兄・朴守紋(パク・スムン)も昇進しました。
927年(太祖10)。新羅をめぐって後百済と争った大邱の公山城の戦いでは高麗軍は苦戦しましたが、朴守卿は敵に包囲された太祖を救出する手柄をたてました。
936年(太祖19)。後百済の2代国王・甄神劍との戦いに参戦。この戦いで高麗軍は圧勝。後百済はこの敗戦で戦いを続けることがなくなり後百済は滅亡しました。
これらの功績で平山を与えられ朴氏の領地になりました。
3代定宗が即位するときも内乱を鎮圧しました。その手柄で大匡になりました。
964年(光宗15)。息子の承位、承景、承禮が偽りの訴えによって捕らえられ牢にとじこめられてしまいます。朴守卿は怒りと悲しみの中、969年に死亡しました。
TVドラマ
太祖王健 KBS、2000年 演:キム・グァンギ
帝国の朝 KBS、2002年 演:チョン・サンチョル
輝くか狂うか MBC、2015年 演:キム・ジノ
麗・花萌ゆる8人の皇子たち SBS 2016年 演:ソン・ドンイル
コメント