張禧嬪(チャン・オクチョン)の兄ということで数々のドラマに登場するチャン・ヒジェ。妹のため、ライバルたちを陥れようと数々の悪事を働く人物として描かれることが多いです。
チャン・ヒジェも実在の人物。歴史上のヒジェも流刑になったあと処刑されるのはドラマと同じ。しかし意外と記録が残っていないのです。
史実の張希載(チャン・ヒジェ)どんな人物だったのか紹介します。
ちなみに、張希載は日本のドラマではチャン・ヒジェと呼んでることが多いですよね。でもチャン・フィジェと発音するのが韓国語に近いようです。
張希載(チャン・ヒジェ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1651年
没年月日:1701年10月29日
名前:張希載(チャン・フィジェ)
父:張烱
母:尹誠立
妻:金氏
妹:禧嬪張氏
子供:3人
彼が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の19代粛宗の時代です。日本では江戸時代になります。
おいたち
父は訳官の張烱。オクチョンが王妃になったときには既に亡くなっていましたが、1689年に領議政の称号を贈られています。両班ではなく良民(両班と賤民の中間の平民)です。
母・尹誠立(ユン・ソンリプ)も良民。尹氏の母・卞氏は朝鮮最高の富豪といわれる卞承業(ピョン・スンリプ)の姉妹になります。よく母は賤民だったのでチャンオクチョンも賤民だったと言われることがあります。でも、後の時代に老論派が作ったデマなんですね。
ヒジェとオクチョンは身分こそ高くないものの、訳官(通訳)の家に生まれ育ちました。
伯父チャン・ヒョンは富豪だった
父の兄弟は訳官のチャン・ヒョンでず。「チャンオクチョン愛に生きる」に登場したオクチョンとヒジェの伯父ですね。
1680年。三福(福平君兄弟)の乱のとき。明聖王后の従兄弟・金錫冑によって、伯父・チャン・ヒョンの家が没落しました。チャン・ヒョンは訳官として成功した富豪でした。一品の位ももらっています。息子も訳官や医官、娘は女官になっていました。チャン・ヒョンは福平君と親しくしていました。西人派によって福平君が謀反人にされたため連座して罪に問われました。
ヒジェが武官になりオクチョンが女官になれたのも、南人派と親しく財力のある一族の後ろ盾があったからだともいえます。
武官になったヒジェ
ヒジェは武官の試験を受けて合格しました。ドラマでは禧嬪張氏(オクチョン)のおかげで役職に付けたように描かれています。でも、少なくとも宮中に入るときは試験を受けて合格したようです。
1680年。内禁衛に配属されました。内禁衛は背が高く名門の子族が配属される部署です。張氏は両班ではありませんが富豪の一族でしたので許されたのかもしれません。また美人といわれた禧嬪張氏の実兄なので彼自信も背が高く見栄えのいい人物だった可能性もありますね。
1681年。莊烈王后趙氏の女官をしていた妹のオクチョンが宮中を追放になりました。
ヒジェは1683年ごろには従六品の位にいました。
1683年3月。貞明公主(華政のヒロインのモデルになった人)の宴の席で、勝手に役目を放棄したとして仁顯王后の伯父・閔鼎重によって公務離脱の罪でムチで打たれました。このころ既に張一族は南人派と親しくしていました。西人派との対立が起こり始めます。
出世コースまっしぐら
1686年。明聖王后が死去。妹のオクチョンが粛宗の側室になりました。
その後、張希載は捕盗庁従事官から義禁府道士、内禁衛従事官などを歴任。
このころから、ヒジェは南人派の李義徵らと結託するようになります。チャン・ヒョンら張一族が南人派と親しかったこと。伯父チャン・ヒョンが西人派によって没落したこと。このころの南人派は西人派との派閥争いでは劣勢でした。なんとか巻き返しを図ろうとしていた時期です。張一族と南人派の思惑が一致したのかもしれません。
1688年。妹・オクチョンが王子を出産。
このころ、粛宗はオクチョンが産んだ子供を元子(嫡男)にしようとして西人派と対立。粛宗は西人派を追放して南人派を多く採用しました。
閔黯(ミン・アム)ら南人派重臣は仁顯王后を廃妃にすることを強く主張しました。西人派重臣を死罪にするため粛宗に働きかけ実現させました。
妹・オクチョンが王妃になる
1689年。禧嬪張氏(チョン・オクチョン)が王妃になりました。
ヒジェは閔黯や閔黯の側近になった李義徵、閔黯の息子・閔ジャンらと結託し彼らの後押しをうけて昇進したり、彼らを昇進させたりしました。
従三品に昇進。その後も昇進を続け、兵曹参判(従ニ品)になりました。1692年には漢城判尹(正二品)に出世しました。その後、兵曹判書(正二品)になりました。
左議政だった閔黯ら南人派の支持をうけて最高位・領議政の候補になりました。このまま南人派の天下が続けはヒジェは領議政になるはずでした。ところが、西人派の巻き返しが始まります。
ヒジェは宮廷を追放され、オクチョンは王妃の座を失う
このころ、西人派は朝廷への復帰と仁顯王后の待遇改善をもとめて運動を起こしていました。
1694年3月。閔黯らは、西人派が賄賂を送ったりウソの情報を流し民心を不安にさせていると粛宗に報告、西人派を一斉に逮捕しました。
3月25日。張希載は捕まった少論派(西人派の一部)と交流があったこと、贈収賄の容疑がかかったので粛宗のところに行き謝罪して辞職を願い出ました。しかし粛宗は仕事にとどまるように言いました。贈収賄については無罪とされました。
ところが、南人派の追求はますます激しくなります。西人派を一掃しようとしているのでした。粛宗の妹や他の王族まで追求の対象になりました。エスカレートする南人派の横暴に粛宗は反感を持ちはじめます。
4月1日。粛宗は南人派の追放を決定、閔黯らを捕らえ西人派を釈放しました。ヒジェは「南人派と長年の交流があったので辞職したい」といいました。それに対して粛宗はヒジェに仕事を続けるようにいいました。
4月11日。ところが、粛宗はチャン・ヒジェを職権濫用で捕らえました。
4月12日。王妃張氏は降格となり、仁顯王后が王宮に戻ることになりました。
これが甲戌換局といわれる事件です。この事件で南人派は壊滅状態になりました。南人派に協力していた張希載も重罪となりました。
王様の心変わり?
粛宗の突然の変化とも思える行動については様々な説があります。仁顯王后の弟・閔鎭遠が書いた記録には、淑嬪崔氏が粛宗に「チャン・ヒジェが私を毒殺しようとしている」と涙を流して訴えたのが効いた。と書かれています。
当時、粛宗は王妃張氏とは疎遠になり、淑嬪崔を寵愛していた時期です。暗殺したい動機はあったでしょう。でも毒殺の証拠はなく、粛宗も淑嬪崔氏の証言だけではヒジェを処分できません。すぐには有罪にはなりませんでした。
横暴になりすぎた閔黯ら南人派の追放を決定した粛宗ですが、世子の伯父であるヒジェは見逃そうとしたのです。しかし、朝廷を牛耳っていた南人派がいなくなるとヒジェの処分を求める上訴が起こります。こうなると粛宗も無視できなくなったようです。粛宗はヒジェの処分を決定。理由は職権濫用でした。
少論派の助けで死罪を免れ、流刑になる
ヒジェは死刑になりそうなところでしたが、少論派の南九萬らが世子の伯父であることを理由に寛大な処置を求めました。ヒジェは命は助かり済州島への流刑ですみました。ヒジェは南人派と親しくする一方で少論派とも付き合いがありました。王妃張氏や世子への支持を取り付けていました。日頃の付き合いのおかげで間一髪で命は救われたのです。
粛宗は王妃張氏のあつかいをどうするか悩んでいたようです。世子のことを考えると張氏をないがしろには出来ません。ヒジェの扱いは王妃張氏をどうあつかうかで変わってきます。そこで結論が出るまではヒジェの扱いも保留になっていたのかもしれません。
その後も、西人派(老論派)はヒジェへの追求を諦めません。禧嬪の兄ということでかなり目の敵にされていたようです。小論派や南人派によって助けられています。
禧嬪の死後、ヒジェも死罪になる
1701年。仁顯王后が亡くなると禧嬪張氏は仁顯王后を呪った罪で毒薬を飲んで自害することになりました。ヒジェを守るものはもういません。
禧嬪張氏が死んだ後、ヒジェは漢陽に送られ斬首になりました。
まとめ
ドラマでは自ら悪事を計画する悪人として描かれているチャン・ヒジェ。歴史書では具体的な悪事は書かれていませんが、南人派重臣と結託していたことは書かれています。
両班出身でないにもかかわらず、出世の速さは普通ではありません。妹が王の寵愛を受けていること。南人派重臣を味方につけたことが異例の昇進に繋がったようです。
チャン・ヒジェはドラマでは南人派の一員のように描かれます。南人派と深い繋がりがあるのは確かですが、西人派の一部・少論派とも交流がありました。少論派は粛宗の後継者に禧嬪張氏の息子・ユンを支持しました。ヒジェは妹のため、甥のため、様々な派閥に近づいて支持を取り付ける計算高いところがあったようです。工作には一族の豊富な資金力が役に立ったかもしれません。
張希載は妹のオクチョンが側室になる前に武官になって内禁衛になりました。彼自信は有能な武官だったようです。ドラマにあるような遊び人やゴロツキのような人物ではなかったのです。
しかし、妹が王の寵愛を受けたことで彼の人生も変わってしまいました。南人派の重臣たちと結託し、高い地位を求める人物になってしまいました。そのような姿は次第に粛宗を失望させました。多少の不祥事があっても世子の伯父ということで許されていましたが、ついに見放されてしまいます。
王の信頼を失ったヒジェは西人派(老論派)との争いに破れ処刑台の人になりました。
テレビドラマ
仁顯王后 MBC 1988年 演:イ・ドクファ
妖婦 張禧嬪 SBS 1995年 演:キル・ヨンウ
張禧嬪 KBS 2002年 演:チョン・ソンモ
トンイ MBC 2010年 演:キム・ユソク
チャン・オクチョン、愛に生きる SBS 2013年 演:コヨンビン
テバク・運命の瞬間 SBS 2016年 演:ペク・スンヒョン
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