帽妖(ぼうよう)事件は11世紀の宋の時代に実際に起きた事件。
「帽妖案」ともいいます。
北宋の真宗 趙恒はエピソードの多い人物です。
本人が道教を信じ、迷信深かったり。民間出身の妃を皇后にして。側室の子を皇后の子として育てさせたりました。
そのせいか、後に「山猫取替太子」などの物語が作られました。
この時代に帽妖という事件がおきて問題になったことがあります。
帽妖とはどういうものか紹介します。
帽妖事件とは
事件が起きたのは3代皇帝 真宗の時代
天禧2年(1018年)。
北宋の3代皇帝 真宗の時代
旧暦5月25日。河陽三城節度使の張旻が皇帝に奏上。
西京(洛陽)の町に帽子のような形をした妖怪が出現したというのです。
その妖怪は形から帽妖(ぼうよう)と呼ばれました。
空を飛ぶ帽子のような妖怪が出現?!
帽妖は空を飛び、真夜中に家に入って人を食べるとされました。
帽子のような形をして、光るともいいます。
帽妖を目撃したという油売りはこの妖怪が狼に変身するのを見て、命を奪われかけたと言いました。
噂を聞いた人々は怖くて外出できず、夜も眠ることができませんでした。
日常生活や経済活動にも大きな影響が出ます。
報告を受けた真宗 趙恒は事態の深刻さに気付き、特使に調査を命じ、西京知府の責任を問いました。
道教を信仰していた真宗は、大師道士に祈祷をするよう命じました。
現地の役人は作り話だと思って無視
実のところ、西京知府の王嗣宗は以前からこの噂を知っていました。でも噂ばかりで現実に被害は出てきません。
西京知府は荒唐無稽な作り話だと思って無視していたのです。
しかし噂はますます広がり、皇帝の耳にも入ってしまいました。
結局、西京知府の王嗣宗は適切に事件を解決しなかったとして罰せられてしまいます。
噂話に怯える庶民
北宋時代は商業が発展。人の移動も多かった時代。
しかも当時の北宋では「小報」と呼ばれるちょっとした新聞が出回り、人気のあるメディアになっていました。
そのため、面白い事件や噂があると、数ヶ月の間に噂は各地に広がってしまいます。特に首都・東京開封府や南京など大都市の人々は影響を受けやすかったようです。
迷信をすぐ信じてしまう一般の人々は噂話を信じてしまいました。
はじめは帽妖は人に怪我を負わせる。だったのが、いつの間にか人を食べるに変わりました。
子供を持つ親たちはいう事をきかない子供には「帽妖に食べられるぞ」と脅し。ますます広まりました。
街の人々は恐怖におびえて夜も眠れずにいたといいます。街を守る兵士も警戒していました。
誰かが何かを見間違えて叫んだりしたものなら、周囲の住民も叫んでそれが街全体に広がり騒ぎになります。
ある日。巡回に出た兵士が頭のない遺体で発見されたことがありました。この事件は「帽妖の仕業」だとされ兵士たちはさらに警戒するようになりました。
でも本物を見た人はいませんし、捕まることもありませんでした。
噂を広めた者を処刑
皇帝は賞金をかけて噂を広めた者を通報するよう命じました。すると多くの通報が寄せられ、多くの人々が逮捕されました。
特に法号天賞の僧侶、民間の占い師 張崗、耿概が噂を広めた張本人だとして捕まり処刑されました。
その信者や支持者も流刑や徒刑に処されます。
その結果、噂は収まり始めました。
南京知府は作り話だと宣言
一方、南京知府の王曾はそれとは違う対策をしました。
王曾は「帽妖は全て嘘」だと宣言。
夜間に城門を開放し、本当に帽妖がいるなら入ってくるように命じました。
同時に兵を派遣して妖言を広める者を捕らえるよう命じました。
その結果、南京では帽妖の噂はすぐに収まり、逮捕された者もほとんどいませんでした。
帽妖は何だったの?
UFO?鳥?空飛ぶ動物?
結局、帽妖は何だったのでしょうか?
帽妖を「古代のUFO目撃談だ」という現代の研究者もいますが。
夜間に飛行する鳥や動物を見間違えたのかも知れません。
人は理解できないことが起きると、何かストーリーを作りむりやり納得しようとします。そうしないと不安なのです。
ムササビを見間違えたのかも知れませんし。夜間に街中に犬や狼に出会って妖怪と勘違いしたかも知れません。
兵士の遺体も何かの殺人事件に巻き込まれたので、妖怪とは関係ないかも知れません。
でも一度、噂が広まると何でも帽妖に結び付けられ。人々はますます怯える様になりました。
マスメディアの発達がフェイクニュースの温床
このころ北宋では「小報」というミニ新聞が出回りました。
面白おかしい話があると誇張されて広まりやすいのも、大事件になった原因のひとつです。
ちょうど江戸時代のかわら版で「アマビエ」や妖怪の話が「実話」として広まったのと似ています。江戸時代のアマビエや妖怪はかわら版を売るために業者がでっち上げた嘘でしたが。
この時代の宋では朝廷が動き出す大事件になりました。
マスメディアが発達すると嘘が「事実」として広まりやすくなるのです。
迷信を信じやすい皇帝 真宗の影響
民衆はもともと噂話を信じやすいものです。
このときの皇帝の真宗 趙恒は道教の信者。
真宗本人が迷信を信じて吉兆があると喜び、凶兆があると恐れました。
皇帝がそんな有り様ですから、周囲の人々も皇帝に様々な現象を報告します。
その影響で民衆も信じやすくなっていたようです。
政治事件に発展
中国が日本と大きく違うのは、事件があるとすぐに政治利用されることです。
このときも、様々な理由をつけて役人が処分されました。
伝統的に中国は何でも政治に結びつけて考えるので。何かあるとそれを利用して政敵を追い落としたり、貶めるのに使います。
最終的に皇帝が関係者?を処分して、帽妖は嘘だと宣言。騒ぎを静めました。
こうして北宋の街を騒がせた帽妖事件は終わったのです。
帽妖事件はインパクトのあるできごとだったので。中国では何度かドラマや小説の題材になっています。
2022年公開の中国ドラマ「夢華録」でも帽妖事件がネタになっていました。このときは政治の対立が原因で起きた事件です。
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