1 清・金

1.3 清の皇子・男の皇族

ドラマ若曦・茗薇・麗 の元ネタになった清朝皇子の争い

清王朝の康煕帝時代は、清が大きく発展した時代です。その康煕帝時代には皇子たちが後継者の座を巡って争う大きな事件がありました。 その争いを 九王奪嫡きゅうおうだっちゃく といいます。 この出来事では多くの犠牲者が出ました。それだけにドラマにも...
1.3 清の皇子・男の皇族

康熙帝の皇子たちの激しい後継者争い「九王奪嫡」

清王朝の康煕帝時代は、清が大きく発展した時代です。 康煕帝は歴代中国皇帝の中でも特に優れた皇帝といわれました。ところがその康煕帝にも大きな悩みがありました。後継者問題です。 康煕帝には30人以上の息子がいました。その中で成人したのは24人。...
1.3 清の皇子・男の皇族

第三皇子 胤祉・康煕帝に可愛がられ学問好きな皇子はなぜ雍正帝に排除された?

愛新覚羅 胤祉は清朝の皇子。 第4代皇帝康煕帝の第三皇子です。 康煕帝の時代に学問好きで書籍の編纂などで活躍した皇子です。あまり野心がなく皇帝になろうとしませんでした。 ところが雍正帝の時代に幽閉され命を失ってしまいます。 史実の胤祉はどん...
1.4 清の皇女(公主)

乾隆帝の娘たち10人の紹介

清朝の第6代皇帝・乾隆帝には17人の息子と10人の娘がいました。 乾隆帝の娘10人をすべて紹介します。 中国では皇帝の娘を「公主」といいます。 「公主」の発音は「グンジュ」。朝鮮王朝ではないので「コンジュ」とは言いません。 日本語読みで「こ...
1.5 清の重臣・役人・男達

那爾布(ナルブ) 継皇后(嫻妃)那拉氏の父とは?

那爾布(ナルブ)は清朝の役人。 乾隆帝の嫻妃で皇后にもなった輝発那拉(ホイファナラ)氏の父親です 雍正帝時代に満洲鑲藍旗 の 佐領という集団の長官をしていた人物です。大物政治家でも将軍でもありません。 那爾布の娘が皇后になったことで名前が歴...
1.5 清の重臣・役人・男達

ソンゴトゥ(索額図)康煕帝を助けた功労者が罪人になったわけ

ソンゴトゥ(索額図)は清朝の政治家。 第4代・康煕帝に仕えた重臣です。 索額図はさまざまな功績をあげた有能な臣下でした。康煕帝からも信頼されていました。ところが康煕帝との意見の違いや、皇太子をめぐる派閥争いなどで康煕帝の信頼を失います。 ソ...
1.5 清の重臣・役人・男達

高恒 高貴妃の兄弟は汚職事件で乾隆帝を激怒させた

高恒 は清朝の第6代皇帝・乾隆帝けんりゅうてい時代の役人。 慧賢皇貴妃 高氏(高貴妃)の兄弟です。 乾隆帝からも大事にされましたが。塩商人と癒着して巨額の汚職事件を引き起こして処刑されます。 史実の 高恒(こう こう) はどんな人物だったの...
1.5 清の重臣・役人・男達

高斌・高貴妃の父は治水の専門家

高斌 は清朝の第6代皇帝・乾隆帝けんりゅうてい時代の役人。 慧賢皇貴妃 高氏(高貴妃)の父親。 「河道総督」という役職を務め治水対策で成果をあげました。 史実の 高斌(こう ひん) はどんな人物だったのか紹介します。 高斌 の史実 いつの時...
1.3 清の皇子・男の皇族

乾隆帝の皇子たち17人の紹介

清朝の第6代皇帝・乾隆帝には17人の息子と10人の娘がいました。 乾隆帝の息子17人をすべて紹介します。 「如懿伝」「瓔珞」などのドラマでも皇子たちは登場します。 「瓔珞」は主要な皇子だけ登場して半分以上の皇子が出番がありません。「如懿伝」...
1.2 清の皇后妃嬪皇太后

李貴人(李常在)乾隆帝の生母になった謎の側室とは?

李貴人は清朝の第5代皇帝・雍正帝(ようせいてい)の側室。 李常在ともいいます。 歴史上の李貴人・李常在はとくに目立った存在ではありません。 ところが中国では「乾隆帝の生母」として知られるようになりました。 ドラマ「宮廷の諍い女」「如懿傳」で...
1.5 清の重臣・役人・男達

ロンコド(隆科多)康煕帝の信頼が厚かった忠臣はなぜ雍正帝に排除された?

ロンコド(隆科多)は清朝の政治家。 第4代皇帝康煕帝から雍正帝の時代に活躍しました。 康煕帝の後半におきた後継者争いには加わらず康熙帝の信頼を得ました。 康熙帝の死後、その遺言を伝え雍正帝の即位を実現させましたが。その決定には様々な噂がつき...
1.2 清の皇后妃嬪皇太后

豫妃 博爾濟吉特(ボルジギト)氏・20代後半で遅い入宮のわけ

豫妃 博爾濟吉特(ボルジギト)氏は清朝の第6代皇帝・乾隆帝けんりゅうていの側室。 モンゴル系遊牧民族出身です。一族が清に服従することになったので入宮しました。 20代後半から30歳手前で入宮しました。 当時としても側室になったのは遅い方です...