乾隆帝の娘たち10人の紹介

皇女1.8.2 清の皇后妃嬪・女性皇族

清朝の第6代皇帝・乾隆帝には17人の息子と10人の娘がいました。

乾隆帝の娘10人をすべて紹介します。

中国では皇帝の娘を「公主」といいます。

「公主」の発音は「グンジュ」。朝鮮王朝ではないので「コンジュ」とは言いません。

日本語読みで「こうしゅ」と言うことが多いです。

清朝では皇后の娘を「固倫公主」とよんで区別します。

固倫公主(こりんこうしゅ、満州語:グルニグンジュ)は父が皇帝、母が皇后の娘に与えられる称号です。

固倫とは天下・世界という意味。固倫公主は「世界の王女」という意味です。側室の娘でも他国に嫁ぐときは固倫公主の称号が与えられることがあります。

「如懿伝」「瓔珞」などのドラマでも公主たちは登場します。

公主も紹介します。

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乾隆帝の公主たち

皇長女

長公主
称号:
母:孝賢純皇后・富察氏
(誕生当時は 嫡福普)

生:1728年
没:1729年(享年1)

皇次女

二公主
母:哲憫皇貴妃 富察氏
(誕生当時は 格格)

生:1731年
没:1731年(享年八ヶ月)

固倫和敬公主

三公主

称号:固倫和敬公主
母:孝賢純皇后・富察氏
(誕生当時は 嫡福普)

生:731年6月28日
没:1792年8月15日(享年61)

夫:色布騰巴爾珠爾(セプテン・バルジュル)
  博爾濟吉特氏(ボルジギト)氏
  モンゴルの王子

乾隆帝に非常に愛された公主。モンゴルの王子と結婚しましたが、北京に屋敷を与えられ暮らしました。

 固倫和敬公主の詳しい説明はこちら

「如懿伝」に登場します。劇中ではモンゴルの王子に嫁ぐの嫌がったり。清の都で暮らすエピソードなどがあります。乾隆帝の娘の中では出番が多いです。

和碩和嘉公主

四公主

母:純恵皇貴妃蘇氏
(誕生当時は 純貴妃)

生:1745年12月24日
没:1767年10月29日(享年23)

夫:一等忠勇公 福隆安
  富察(フチャ)氏
 乾隆帝の側近・傅恒の次男

乾隆帝が皇帝に即位して最初に生まれた娘。
夫の父・傅恒は孝賢純皇后・富察氏の弟。乾隆帝の信頼が厚い重臣。

「還珠格格」に登場します。

皇五女

五公主

母:継皇后 輝発那拉氏
(誕生当時は 皇后)

生:1753年
没:1755年(享年2)

皇六女

六公主

母:忻貴妃 戴佳氏
(誕生当時は 忻嬪)

生:1755年
没:1758年(享年3)

固倫和静公主

七公主

母:孝儀純皇后 魏佳氏
(誕生当時は 令妃)

生:1756年8月10日
没:1775年2月9日(享年19)

夫:拉旺多爾濟(ワランドルジ)
  博爾濟吉特氏(ボルジギト)氏
モンゴルの貴族

「如懿伝」「瓔珞」「金枝玉葉(日本未公開、瓔珞の続編)」に登場します。

皇八女

八公主

母:忻貴妃 戴佳氏
(誕生当時は 忻嬪)

生:1758年1月16日
没:1767年6月17日(享年10)

和碩和恪公主

九公主

母:孝儀純皇后 魏佳氏
(誕生当時は 令妃)

生:1758年8月17日
没:1780年12月14日(享年23)

夫:一等武毅謀勇公 札蘭泰(ザランタイ)
  烏雅(ウヤ)氏
乾隆帝の重臣・兆恵(ジョフイ)の子。

「瓔珞」に登場します。

固倫和孝公主

十公主

母:惇妃汪氏

生:1775年2月2日
没:1823年10月13日(享年48)

夫:不入八分輔国公 豊紳殷徳(フェンケインデ)
  鈕祜祿(ニオフル)氏
乾隆帝の側近・和珅(ヘシェン)の長男。和珅は乾隆帝の晩年の実力者ですが横領が激しいので嘉慶帝によって処刑されています。嘉慶帝は妹の固倫和孝公主を気遣って生活を援助していました。

乾隆帝の娘の結婚相手は名門ばかり

乾隆帝の10人の娘のなかで成人したのは5人。その5人は満洲族の旗人(貴族)かモンゴル貴族と結婚しました。

皇帝の娘なので結婚相手はもちろん名門ばかりです。

満州人の旗人はどれも乾隆帝の信頼する重臣の息子。

モンゴル貴族はいずれも博爾濟吉特氏(ボルジギト)の一族。チンギス・ハンの子孫です。清の皇帝は遊牧民族の君主(ハーン)も兼ねています。遊牧民の社会ではチンギス・ハンの一族は名門とされました。チンギス・ハーンの子孫と清王室との婚姻も盛んでした。

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