2.1 明の皇帝・皇子

2.1 明の皇帝・皇子

明太祖 朱元璋・紅巾軍参加から明の建国まで

朱元璋(しゅ・げんしょう)は明の初代皇帝。太祖。 洪武帝(こうぶてい)ともいいます。 元朝の末期に貧しい農家の子として生まれましたが。親を失い僧侶になっていたところ、紅巾軍に参加。 その後は、紅巾軍の中で出世して軍団を率いるまでになりました...
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懿文太子 朱標・父の洪武帝とは違う穏やかな皇太子

懿文太子 朱標(しゅ・ひょう)は明の初代皇帝・洪武帝の長男。 母は馬皇后。 朱標の長男で将来を期待されていました。 厳しすぎる洪武帝と違い、穏やかな朱標は父と意見が対立することもありましたが。洪武帝は朱標を後継者と認めていました。 でも視察...
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衛王 朱瞻埏 :洪熙帝が最もかわいがった皇子は病弱

衛王 朱瞻埏(しゅ・せんえん)は15世紀の明の皇族。 第4代皇帝 洪熙帝 朱高熾の第十皇子。 宣徳帝 朱瞻基(しゅ・せんき)の異母弟です。 病弱だったため領地には行かず生涯都で暮らしました。 病気のためか若くして亡くなっています。 史実の衛...
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朱瞻圻「尚食」游一帆/朱瞻礼のモデル は父を恨んでいた?

朱瞻圻(しゅ・せんき)は15世紀の明朝の皇族。 永楽帝の次男・朱高煦 漢王の息子です。 朱瞻圻は父の朱高煦のことを恨んでいたようですが。北京にいて父に朝廷の情報を漏らし謀反を促すような手紙を送ったりしています。 その行動がバレて庶人に落とさ...
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隆慶帝 明 穆宗・不摂生で早死した皇帝

隆慶帝 穆宗 朱載坖(しゅ・さいき) は明朝の第13代皇帝。 嘉靖帝時代に乱れた朝廷の問題や、明が長年悩まされ続けたモンゴルや海賊の対策など。隆慶帝の時代にはそれ以前よりも改善された出来事が幾つかあります。ところが隆慶帝は政治に無関心で後宮...
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弘治帝 は明の衰退をくい止めた名君?

明孝宗 弘治帝(こうちてい) 朱祐樘(しゅ・ゆうとう)は明の11代皇帝。 弘治帝は明の「中興の祖」とされます。衰えていた明を復活させたというわけです。 正統帝の時代以降、オイラトに敗北したり宦官の横暴や政治の腐敗で衰退に向かっていました。そ...
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成化帝・朱見深 万貴妃と宦官に頼って堕落した皇帝

明憲宗 成化帝(せいかてい) 朱見深(しゅ・けんしん)は明朝の第9代皇帝です。 英宗(6・8代皇帝)の息子。幼くして皇太子になりました。 父親がオイラトの捕虜になって皇帝の座を追われたので、朱見深も皇太子を配されてしまいます。父が皇帝に復帰...
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懐献太子・朱見済 景泰帝の皇太子は5歳でこの世を去った

朱見済は明朝の皇太子。 第7代皇帝 景泰帝 朱祁鈺の息子です。 父の景泰帝は皇帝になる予定ではありませんでしたが、正統帝がオイラトの捕虜になったので急遽皇帝に即位しました。 父が皇帝になったものの、しばらくは皇太子は正統帝の息子 朱見深でし...
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漢王 朱高煦 は皇帝の座を狙った乱暴者

漢王 朱高煦(しゅ こうく)は明朝の4代皇帝 永楽帝の次男です。 永楽帝に似て武勇に優れた人物でした。長男の皇太子 朱高熾は太っていて脚が不自由、性格も大人しく戦いには向いていません。 朱高煦を皇太子にしてはという意見あったのですが。 朱高...
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建文帝・優柔不断な理想主義者の皇帝

建文帝は明朝の第2代皇帝です。 建国者の洪武帝 朱元璋の孫です。 幼い頃から学問好きで優しい性格でした。 祖父の死後、皇帝に即位。 ところが皇族のもつ軍を削減したことで叔父たちと対立。燕王 朱棣(後の永楽帝)に反乱を起こされました。圧倒的な...
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洪熙帝・朱高熾 疲弊した明を回復させようとした皇帝

洪熙帝(こうきてい) 朱高熾(しゅこうし)は明朝の第4代皇帝。 年号から洪熙帝(こうきてい)と呼ばれます。 即位した期間はわずか1年しかありません。 洪熙帝の父・永楽帝の時代には戦争や大規模な遠征を繰り返し、国力が疲弊。独裁が強まっていまし...
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宣徳帝・朱瞻基 明朝が一番よかった時代の皇帝

宣徳帝(せんとくてい)朱瞻基(しゅ・せんき)は明朝の第5代皇帝です。 3代 永楽帝からは期待をかけられ、一緒に戦場に出たりして君主としての教育を受けていました。 宣徳帝の時代は「仁宣の治」と呼ばれ、明朝がもっとも栄えた時代だったといわれます...