PR

2 明

2.3 明の臣下と人々

周新(しゅう・しん)明朝時代の名奉行は死後に 神になった

周新(しゅう・しん)は明朝時代の役人。 周新は正義感が強く正直な性格で事件を裁くことに長けていたため、「冷面寒鉄(鉄のように冷徹な顔)」と呼ばれていました。 按察使(あんさつし:地方の役人を監督したり、治安維持、司法を担当する役所の所長)と...
2 明

奪門の変・明朝の景泰帝が廃されたクーデターはなぜ起きた?

奪門の変(だつもんのへん)とは15世紀の明朝で起きたクーデターのこと。 景泰帝 朱祁鈺(しゅ・きぎょく)が重病になると石亨、徐有貞、曹吉祥たちが協力して反乱を起こしました。 そして幽閉されていた太上皇帝・朱祁鎮を救い出して皇帝にした事件です...
2.3 明の臣下と人々

石亨(せき きょう)横暴で自滅した奪門の変の首謀者

石亨は明朝の武将。 15世紀、正統帝~景泰帝の時代に活躍した人物。 明とオイラトとの戦いでは于謙のもとで北京を守りました。 奪門の変では于謙を相手に反乱を成功させ朱祁鎮の2度目の即位を成功させました。 横暴な人物で最後は皇帝にも見放されて謀...
2.3 明の臣下と人々

于謙(う けん)土木の変で明を救った名将は謀反人として処刑

于謙(う けん)は15世紀の明の武将で政治家。 宣徳帝から信頼され。漢王の乱の鎮圧や地方の行政で功績をあげました。 正統帝の時代には首都の守りを担当。明とオイラトの戦争では、皇帝がオイラトの捕虜になるという大ピンチをしのいで北京を守りきり。...
2.1 明の皇帝・皇子

弘治帝 は明の衰退をくい止めた名君?

明孝宗 弘治帝(こうちてい) 朱祐樘(しゅ・ゆうとう)は明の11代皇帝。 弘治帝は明の「中興の祖」とされます。衰えていた明を復活させたというわけです。 正統帝の時代以降、オイラトに敗北したり宦官の横暴や政治の腐敗で衰退に向かっていました。そ...
2.2 明の皇后・側室・公主

万貴妃(明成化帝)悪女伝説まとめ

万貴妃は明朝の9代皇帝・成化帝の側室。 成化帝よりも20歳近く歳上で、皇帝の寵愛を独占した側室と言われます。 万貴妃は非常に嫉妬深く。様々な悪女伝説があります。 他の側室を強制的に堕胎させたり、皇子を暗殺しようとしたり、皇太子を毒殺しようと...
2.2 明の皇后・側室・公主

万貴妃・17歳年下の成化帝に愛された悪女の素顔

万貴妃は明朝・成化帝の側室。 本名は万貞児(ばん・ていじ)。 もとは成化帝の子守をしていた侍女です。成化帝は非常になついていて、17歳歳上の万貞児を側室にしました。 万貴妃は非常に嫉妬深く、他の側室を堕胎させたり、皇太子の命を狙ったりする悪...
2.3 明の臣下と人々

[成化十四年]汪植のモデル 汪直は 人々に恐れられた秘密警察の宦官

汪直は明朝時代の宦官。 秘密警察兼軍隊の西廠の長官でした。容赦のない取締で臣下たちに恐れられました。西廠は安易に人を逮捕して処分する権力の乱用で評判の悪い組織でした。 そのため汪直は明朝でも四大宦官の一人といわれ、悪い臣下の代表のように言わ...
2.1 明の皇帝・皇子

成化帝 朱見深 万貴妃と宦官に頼って堕落した皇帝

明憲宗 成化帝(せいかてい) 朱見深(しゅ・けんしん)は明朝の第9代皇帝です。 英宗(6・8代皇帝)の息子。幼くして皇太子になりました。 父親がオイラトの捕虜になって皇帝の座を追われたので、朱見深も皇太子を配されてしまいます。父が皇帝に復帰...
2.1 明の皇帝・皇子

懐献太子 朱見済 景泰帝の皇太子は5歳でこの世を去った

朱見済は明朝の皇太子。 第7代皇帝 景泰帝 朱祁鈺の息子です。 父の景泰帝は皇帝になる予定ではありませんでしたが、正統帝がオイラトの捕虜になったので急遽皇帝に即位しました。 父が皇帝になったものの、しばらくは皇太子は正統帝の息子 朱見深でし...
2.1 明の皇帝・皇子

漢王 朱高煦 は皇帝の座を狙った乱暴者

漢王 朱高煦(しゅ こうく)は明朝の4代皇帝 永楽帝の次男です。 永楽帝に似て武勇に優れた人物でした。長男の皇太子 朱高熾は太っていて脚が不自由、性格も大人しく戦いには向いていません。 朱高煦を皇太子にしてはという意見あったのですが。 朱高...
2.2 明の皇后・側室・公主

誠孝皇后 張氏 は明洪熙帝の皇后は隠れた賢后だった

誠孝皇后 張氏は明の皇后。 第4代皇帝 洪熙帝の正室、第5代皇帝 宣徳帝の生母です。 第6代 正統帝の時代には太皇太后として幼い正統帝を補佐しました。といっても自ら垂簾聴政をするような人ではなく有能な大臣を選んで彼らに任せ、それを見守る形で...
error: Content is protected !!