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鄭厚謙(チョン・フギョム)はイ・サンの即位を妨害してホン・グギョンと対立。処刑された

5 李氏朝鮮の重臣

イ・サンやホン・グギョンのライバルとして登場するチョン・フギョム(鄭厚謙)は実在の人物。平民出身ながらファワン翁主の養子になり宮中で権力を得ます。世孫(イ・サン)の即位を阻止しようとしますが、失敗。正祖(イ・サン)が即位すると粛清されました。

史実のチョン・フギョムはどんな人物だったのか紹介します。

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チョン・フギョム(鄭厚謙)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1749年
没年月日:1776年

名前:鄭厚謙(チョン・フギョム)
父:鄭錫達

養母:和緩翁主

彼が生きたのは1749年~1776年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に21代英祖の時代に活躍した政治家です。

日本では江戸時代になります。

おいたち

1749年。朝鮮の済物浦(現在の仁川)で漁師をしてた鄭錫達の次男として生まれます。良民(平民)でした。

1764年。英祖の娘・和緩翁主(ファワンオンジュ)の養子になります。和緩翁主の結婚相手・鄭致達は鄭錫達の遠い親戚でした。

鄭厚謙(チョン・フギョム)は頭がよく、弁舌にも長けていました。早くから英祖に気に入られました。

 

蔭敍で朝廷の役人になります。蔭敍とは科挙ではなく推薦で役人に採用する制度です。蔭敍で採用された者は出世できる役職に制限がありました。でも、家柄によっては二品や三品に出世する者もいました。

1765年。16歳で掌苑奉事(従八品)に出世しました。
1767年。弘文館の副校理(従五品)、司憲府の地坪(正五品)を努めます。
1768年。19歳の若さで承政院の左承旨(正三品)になりました。

20代で兵曹参判(正二品)になり朝廷の権力者となりました。

開城府(旧首都開城を治める役所)に派遣された後、戶曹參議、戶曹参判、工曹参判などを努めました。

1772年。実兄・鄭日謙は科挙で合格して役人になりました。

老論派の一員として世孫(のちの正祖)と対立しました。

世孫の代理聴政を防ぐため、策略や妨害をしました。その過程でホン・グギョン(洪国栄)やチョン・ミンシと対立しました。世孫のいる東宮殿に配下の者をもぐりこませて世孫の言動を調べたり、世孫の悪口などのデマを流しました。

世孫の母方の親戚になるホン・インハンと協力して世孫と対立しました。世孫の代理聴政に反対していたシム・サンウンを利用してホン・グギョンを弾劾、キム・ジョンス(金鍾秀)の失脚させようとしましたが失敗しました。

チョン・フギョムは態度が傲慢で、礼儀知らずだったと言われます。ひごろから横領や着服を行なっていたといいます。

1776年。世孫が即位。正祖の時代になると、チョン・フギョムは粛清の対象になります。ホンインハン、ホンサン兄弟とともに役職を奪われ流罪になりました。流罪先の咸鏡道 敬遠で斬首されました。

テレビドラマ

朝鮮王朝500年恨中録) MBC、1988 演:ソン・オジェドク
王道 KBS、1991 演:ソンオジェドク
洪国栄 MBC、2001 演:チョン・ウンイン
イ・サン MBC、2007 演:チョ・ヨヌ
ペク・ドンス SBS、2011 演:ソン・チャンフン 

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コメント

  1. BIG-BIRD より:

    身分制度が厳しかった当時、漁師の息子である鄭厚謙が、王族の養子になれたのには特別な理由があるのですか。親戚に漁師がいるというそんなに高貴ではない家柄の人物がが、王族の婿に迎えられた理由も知りたいです。

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