福普の読み方と意味。なぜ清朝皇族の妻は福普なの?

0 ドラマが分かる歴史の知識

中国ドラマではときどき、「福普」という言葉が出てきます。読み方は「フージン」

清朝ドラマで皇子の「妻」のことを「福普」と言ってるのですね。

「福普」を「福金」と書くこともあります。

でもなぜ「福普」が皇子の妻なのでしょうか?

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「福普」の意味と由来

福普(フージン)の意味は皇子(親王・郡王)の正妻を意味する称号です。

「皇太子妃」や「王妃」といった称号と同じなので、一般人の妻は福普とはいいません。

 皇帝の息子=親王ではありません。親王になれるのは一部の皇子だけです。親王よりも格式の低い郡王になる人もいます。親王や郡王でもない皇子もいます。

皇子は親王・郡王・貝勒(ベイレ)・貝子(ベイセ)などの爵位が与えられます。・爵位なしの場合もあります。

親王・郡王の妻は「福普」。
貝勒・貝子・阿哥(爵位なしの皇族男子)の妻は「夫人」です。

重臣の妻も「夫人」です。

「福普」の由来には二つの説があります。

古代中国の称号「夫人」 説

フージンはモンゴルの称号から

満洲語の「福普」はモンゴル語の「フージン」が元になっています。発音を真似て漢字をあてはめたのです。

モンゴル語の「フージン」は漢語の「夫人」が元になっています。こちらも発音だけを借りています。

古代中国の称号が元ネタ

「夫人」は古代中国では皇帝や王の側室や重臣の妻の称号でした。
「妻」のような立場を意味する言葉ではなくて、「王妃」のような称号だったのです。古い時代には側室はみな「夫人」だった時代もあります。

一般人は皇帝よりもワンランク下げられます。王子や臣下の妻は「夫人」が最高の地位だったのです。

ドラマ「コウラン伝」で太子の妻が「◯◯夫人」と呼ばれているのはそのため。

モンゴル人が中華王朝の文化を取り入れて称号を作ったときに「フージン」は地位の高い男性の妻の称号になりました。モンゴル人は漢字を使わないので発音だけ借りています。

女真(満洲)は長い間モンゴルの支配下にありました。だからモンゴルの影響を受けています。もとの漢字がわからないままモンゴル語から発音だけを借りて「フージン」という称号を作りました。

そして満洲人(女真)が王朝を作って漢字を使うようになるとオリジナルの「夫人」は無視して、いい意味の漢字を使って「福普」という単語を作りました。

だからもとはといえは漢語の「夫人」が元ネタ。同じ意味の言葉が巡り巡って別の漢字になってしまったんですね。これが様々な文化がまざりあう歴史の面白いところです。

ちなみに。重臣の妻の称号は「夫人」。こちらはもとの中華王朝の称号を利用しています。

日本語では「夫人」は「ふじん」と読みます。これは「隋・唐」時代の発音を使ってるから。モンゴル人が聞いた「夫人」の発音も隋・唐時代の言葉に近かったのでしょう。

現代中国語(北京語)では「夫人」は「フレン」と発音します。北京語は清朝時代の北京の役人が使っていた言葉(北京官話)がもとになっています。

清朝時代の人は 福普(フージン)と 夫人(フレン)を聞き間違えることはなかったのでしょう。

モンゴル語の王妃=可敦(カトン)説

もうひとつの説は。

「清史稿」という歴史書によると。 可敦(カトン)の音訳が元になっているという説もあります。

「カトン」はモンゴルで「王妃」の意味。トルコ語の「ハトゥン」と同じです。モンゴル系の民族は子音の「h」と「k」の区別があいまいです。時代や喋る人によって「カトン」と聞こえたり「ハトン」と聞こえたりします。「カン」と「ハン」の区別が曖昧なのと同じです。

「ハトゥン」はオスマン帝国のスレイマン1世の時代ごろから「夫人・ミセス」の意味で使われるようになりました。それ以前は高貴な女性の称号でしたし、王妃の意味で使っていたこともありました。

トルコ人の祖先は中央アジアにいたテュルク系遊牧民といわれます。大昔はモンゴルとテュルクは同じ。長い年月の間に地域の文化や宗教の影響、周辺民族との混血が進んで違う民族になったと考えられています。

だからトルコとモンゴルでは似たような言葉が残っているのです。

でも「フージン」と「カトン・ハトゥン」では似てないような・・・。なんとも言えませんね。

どちらにしても。満洲語はモンゴル語や漢語の影響をうけているのです。

「福普」は当て字

でもなぜ「福普」なんでしょうか?

「フージン」という呼び方が先にあって。漢字はあとからつきました。

発音が同じならよかったのかもしれません。

「福」も「普」も縁起のいい漢字をあてています。

日本人にとって「普」は「普通」の印象が強すぎて「平均、並、平凡」のイメージがあります。

でも漢字の「普」は本当は「全体にいきわたる」「広くいきわたる」という意味があるのです。恵まれているのが当たり前の現代日本ではわかりにくいですが本当はすごく良い意味なんですね。

「福普」は「福が広くいきわたる」とも読めるわけです。

「福が広まる」。「夫人」よりもいい意味に思えませんか?

記録では「福普」は「福金」と書かれていることもあります。清朝時代(今も)は「金」の漢字を「ジン」と発音するからです。福と金。お金持ちになったような気分ですね。

福普の歴史は新しい

満洲人が「福普」とよぶようになったのは意外と新しく後金時代から。

それまでは満洲人(女真人)の間では妻を意味する言葉は「sargan:サーガン」と発音していました。

女真族は一夫多妻制でした。地位の高い男性は「妻(サガン)」と「妾(グチヒ)」がいました。

「妻」は一人ではなく複数いることもありました。妻(サガン)が複数いても地位の上下はありません。サガンの子はすべて嫡子です。

妻(サガン)の子と妾(グチヒ)の子には相続権などの差がありました。

清朝をつくるまでの満洲人(女真人)は漢字は使いません。モンゴル文字やモンゴル文字を改良した満洲文字で書いていました。

後金時代にフージンの称号ができた

ヌルハチが「後金」を建国。

するとそれまでの部族社会から王朝らしくしようといろいろな制度を作りました。

貴族の妻を”フージン”と呼ぶようになりました。女真はモンゴル文化の影響を受けているのでモンゴル人が高貴な人の妻を「フージン」と呼ぶのを聞いて採用したのでしょう。

清朝になって満洲人が日常でも漢字を使うようになると”フージン”を「福普」と書くようになりました。

フージンよりも位の低い王族の側室を「格格」”ゲゲ”といいます。

もともとの満洲語では”ゲゲ”は身分に関係なく未婚女性の意味でした。

後金時代には「格格」は貴族や豪族の娘。「お嬢さん」の意味でした。

君主の側室も「格格」と呼ばれます。格格の身分は「福普」の下でした。

後金が清になっても変化はありません。

順治帝時代から一夫一婦制になった

順治帝の時代に北京を首都にすると清の制度も明を真似て中華王朝式に変化した部分もありました。中華王朝は儒教が国の教えですから、清もできるだけ儒教を取り入れました。

儒教では一夫多妻制は認めません。一夫一婦制です。
だから正妻は一人のみ。でも側室・妾は認める。という考え方です。

儒教は一夫一婦制といいながらキリスト教ほど徹底していません。儒教は男に都合のいい理屈が多いのです。

康煕帝からあとの時代は正室、側室の呼び方も変わりました。ドラマで見ているのは康煕帝からあとの時代が多いです。

皇帝の妻たちは皇后・妃・嬪・貴人などとよばれました。皇帝の妻や側室が福普や格格と呼ばれることはありません。

親王や郡王の妻が福普と呼ばれるのです。

福普の種類

嫡福普

親王・郡王の妻。
正妻。
皇族扱いです。

結婚なので朝廷から正式な冊封(任命)があります。俸禄(給料)も出ます。

側福普

親王・郡王の側室。

側室ですが皇族扱いです。

妾と違い朝廷から正式な冊封(任命)があります。俸禄(給料)も出ます。

清では皇子からだれでも親王になれるわけではありません。親王の地位は非常に高いです。

側福普は嫡福普よりは地位は低いですが、他の妾よりは地位が高いです。だから親王の嫡福普になるのも条件が厳しく。一般的には良家の人しかなれません。

格格

親王の妾。清の規則では宮女と同じ地位。配偶者とは認められません。法律上は親王に仕える侍女のあつかいです。朝廷からの冊封(任命)や俸禄はありません。記録では庶福普と書かれていることもあります。

勝妾

正妻に男子がいなかった場合。跡継ぎになる男子を産んだ格格が勝妾と呼ばれ、正妻と同じ権利をもつことがあります。

 

 

 

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