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恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホン氏)の史実と家系図

恵慶宮 2 李氏朝鮮の妃・側室

 

恵慶宮洪氏(ヘギョングン ホンシ)は李氏朝鮮第22代国王 正祖イ・サンの母親です。

恵嬪洪氏(ヘビン ホンシ)ともいいます。

夫・思悼世子は朝廷内の争いで死に追いやられてしまいます。

ドラマや書籍では実家を優先して夫を見捨てた女性と語られることもあります。

でも、そう簡単な話でもないようです。

朝鮮王朝実録や当時の記録で描かれた史実の恵慶宮はどんな人物だったのか紹介します。

 

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恵慶宮 洪氏(ヘギョングンホン氏)の史実

恵慶宮のプロフィール

生年月日:1735年8月6日
没年月日:1816年1月13日

称号:恵嬪、献敬王后
本貫:豊山洪氏
父:洪鳳漢
母:韓山府夫人李氏
夫:荘献世子(思悼世子ともいいます)

子供
長男:懿昭世子
次男:正祖
長女:清衍郡主
次女:清璿郡主

 

恵慶宮洪氏の家系図

恵慶宮は宣祖の娘・貞明公主と洪柱元の子孫。
貞明公主~恵慶宮。宣祖~正祖のつながりを家系図で紹介します。

恵慶宮洪氏 家系図

 

恵慶宮洪氏の生涯

誕生から世子嬪になるまで

朝鮮王朝(李氏朝鮮)の22代正祖の母親

日本では江戸時代の人になります。

韓国時代劇「華政」に登場した洪柱元(ホン・ジュオン)と貞明公主(ジョンミョンコンジュ)の子孫です。

1735年(英祖11年)  洪鳳漢(ホン・ボンハン)の次女として生まれました。

1743年(英祖19年) 世子嬪に選ばれ、お妃教育が始まりました。英祖の命令で父・洪鳳漢から小学(初歩的な儒教の教えが書かれた本)、内訓などを教えられました。

恵嬪洪氏(ヘビン ホンシ)の時代

1744年(英祖20年) 10歳のとき。正式に世子嬪になりました。

1749年(英祖25年)。夫の思悼世子が英祖から代理聴政を任されました。英祖は55歳。自分の元気なうちに世子に政治を勉強させる意味もありました。決定権は英祖が持ち、思悼世子は英祖に相談しながら政治をするという勉強期間のような代理聴政でした。

しかし思悼世子はまだ15歳と若く気弱な正確でした。厳しい英祖の指導と勝手なことばかりいう重臣たちの板挟みになり精神的に疲れていきます。

世子嬪洪氏の父・洪鳳漢は思悼世子を支える数少ない味方になりました。

1750年。長男の琔(ジョン、懿昭世子)が生まれました。英祖にとっては初孫だったので英祖も大変喜んだといいます。英祖は既に56歳。琔は産まれて1年で世子に任命されました。琔の育て方については英祖はいろいろと注文をつけてきたようです。

しかし2年後に琔が死亡します。懿昭世子の称号が与えられたのは1899年です。

1752年。次男の祘(サン、後の正祖)が生まれました。

ところが和平翁主の喪の期間に生まれたため、最初は祘は英祖から毛嫌いされました。和平翁主は英祖の娘、溺愛していましたが22歳で死亡しました。世子嬪洪氏の出産を手伝った暎嬪李氏(思悼世子の母)もしかられたといいます。

英祖は病に倒れ、思悼世子が代理聴政をおこないました。今回は思悼世子が英祖の代わりとなって政治を行う本格的なものです。

 

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夫・思悼世子の行動がおかしくなる

ところが思悼世子はストレスから躁鬱気味になりました。

1754年。長女・淸衍郡主が生まれました。

1756年。次女・淸璿郡主が生まれました。

1757年。思悼世子は大妃に仕えていた女官・朴氷愛(パク・ピンエ)を自分の妾にしました。目上の人に使える女官を側室にすることはタブーとされていました。

しかし思悼世子は宮中のルールを破って勝手に自分の気に入った女性を連れ込むことがありました。世子嬪洪氏は思悼世子の女癖の悪さに悩まされることになります。

この頃になると思悼世子の行動がおかしくなり、周囲の人に暴力を振るうことがありました。世子嬪洪氏も暴力を受けることがありました。

1761年。思悼世子が側室の朴氷愛を撲殺。ますます思悼世子の行動がおかしくなります。

思悼世子は世子嬪洪氏の父・洪鳳漢を連れて視察と称して平壌に遊びに行きました。後にばれて英祖の怒りをかいます。

1762年(英祖38年)。老論派の告発があり思悼世子に謀反の疑いがかけられました。さすがに英祖は謀反は信じませんでしたが、思悼世子のいくつかの行いについては激しく怒りました。

思悼世子の母・暎嬪李氏が、英祖に対して息子を罰するかわりに孫(サン)だけは助けるように懇願しました。

思悼世子はもう終わりだと思い、子供の帽子をかぶって気が狂ったふりをしようとしました。世子嬪洪氏は帽子をとりあげ止めさせます。しかし思悼世子は帽子を奪い返して「私は死ぬ、君は息子とともに長く生きくれ」と言ったと恨中録に書かれています。

いろいろと問題を起こしている思悼世子ですが、世子嬪洪氏にはまだ夫を思う気持ちはあったようです。

思悼世子は廃位されました。それだけでなく英祖は思悼世子に自害を命じました。重臣たちはだれも反対しません。洪鳳漢も反対しませんでした。

このころには多くの人が思悼世子を見放したか、諦めていたようです。

なかなか自害しない思悼世子は米びつに閉じ込められました。思悼世子は8日後に死亡が確認されました。

その間も世子嬪洪氏は夫の命乞いはしませんでした。夫に言われたとおり、夫の死はどうしようもないと受け止め。息子を守って生き延びようとしたのでしょうか。

思悼世子の死亡のいきさつはこちらを参照してください。
思悼世子(サドセジャ、イ・ソン)イ・サンの父はなぜ死んだのか?

思悼世子の死後

思悼世子の死後、英祖から恵嬪(ヘビン)の称号が与えられました。

父・洪鳳漢は思悼世子の非行を隠したとして批判されました。

1768年(英祖44年)。父・洪鳳漢は貞純王后の派閥、キム・ギジュ、鄭厚謙(チョン・フギョム)らに弾劾を何度も起こされ、朝廷から引退しました。

老論僻派によって世孫が攻撃されていましたが、父・洪鳳漢は老論時派の一員として世孫を保護しました。

1775年(英祖51年)。英祖は世孫(正祖)に代理聴政をさせると発表。叔父の洪麟漢(ホン・インハン)が反対しました。

洪麟漢は父の弟でしたが、貞純王后らに味方するようになっていました。

恵慶宮になってからの洪氏

息子正祖の即位で没落する洪一族

1776年(正祖即位年)。英祖が死去。 息子の正祖が即位しました。

洪氏は正祖から恵慶宮(ヘギョングン)の宮号を与えられました。

当時の王室では一番年上でしたが、大妃になった貞純王后が一番格上とされ、恵慶宮は2番めの地位になりました。

正祖に敵対していた叔父・洪麟漢(ホン・インハン)、鄭厚謙(チョン・フギョム)らは死刑になりました。

父・洪鳳漢も弾劾をおこされました。正祖は母・洪氏に気遣って死刑にはしませんでしたが、身分を庶民に落として流刑にしました。

しかし洪一族の多くも流刑になりました。

1777年7月。生き残った洪一族は正祖に敵対。正祖を暗殺しようと決起しましたが、鎮圧され処刑されます。

しかし事件はそれだけではおさまりません。捜査の途中で恵慶宮の弟・洪楽仁が正祖の弟・恩全君をかついで謀反を企んでいたという洪相吉の自供がでたのです。

洪楽仁が謀反を計画していたかはわかりません。老論僻派の陰謀だったとされます。

老論僻派の圧力に負けた正祖は恩全君を死刑にしました。洪楽仁も死罪となりました。

恵慶宮は息子が王になったものの、派閥争いの中で洪一族は没落していきました。

1795年(正祖19年)。還暦を迎え「恨中錄」を執筆しました。一度に書いたものではなく、長い間書き溜めていたものをまとめたものです。この中では一族の無念と弁解を書いています。

晩年

1800年(純祖即位年)。正祖が死去。孫の純祖が即位しました。

1805年(純祖5年)。病気をわずらい寝込むようになりました。

1815年(純祖15年)。死去。享年81歳。

献敬嬪(ホンギョンビン)という諡号を贈らました。

1899年。高宗の時代に夫の荘献世子が荘祖に追尊され、洪氏は献敬王后に追尊されました。

正祖の側近・洪国栄(ホン・グギョン)は遠い親戚になります。

恨中録

閑中録ともいいます。1795年から1805年のあいだにかけて書かれたものを還暦の年にまとめたもの。

非業の死をとげた夫への悲しみ、実家の洪氏の無念を訴える内容になっています。当時の人々の詳細な様子が書かれており、当時の宮中の様子を知る貴重な資料になっています。

 

テレビドラマの恵慶宮

朝鮮王朝五百年 閑中録 1988 MBC 演: チェ・ミョンギル
王道 1991年 KBS 演: チョン・ヨンスク
大王の道 1998年 MBC 演: ホン・リナ
ホン・グギョン 2001年 MBC 演:イ・サンスク
イ・サン 2007 MBC 演:キョン・ミリ
正祖暗殺ミステリー8日 2007年 CGV 演:チョン・エリ
秘密の扉 2014年 SBS 演:パク・ウンビン
赤い月 2015年 KBS 演:パク・ハナ
赤い袖先 2021年、MBC 演:カン・マルグム

「イ・サン」のキョン・ミリ氏演じる恵慶宮が印象深いのではないでしょうか。ちょっとわがままなところもあるけど息子を心配する母親として描かれました。

「ホン・グギョン」では息子を心配する気持ちが強すぎてかえって迷惑な存在になってしまいます。韓国ドラマによくある母親像として描かれました。

「大王の道」では気弱な夫を支える妻。
「秘密の扉」では実家の反映と権力欲の強い女性として描かれます。

 

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