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興宣君 李昰応(イハウン) 没落王族はなぜ国王の父になれた?

朝鮮王族 3 李氏朝鮮の王子

興宣君(フンソングン) 李昰応(イ・ハウン)は李氏朝鮮の高宗の父。

「興宣大院君(こうせんたいいんくん、フンソンテウォングン)」として知られます。

興宣君 李昰応は仁祖の子孫。王族とはいえ、力のない没落した王族でした。

王族としての役職は与えられていましたが、権限のない名誉職ばかり。生活も豪華とはいえません。

自分の息子を王にするため、人脈作りに励み。ついに自分の息子を王にすることに成功しました。

没落王族の息子がなぜ王になれたのでしょうか?

興宣君 李昰応(イ・ハウン)の半生と彼の息子が高宗として即位できるまでを紹介します。

 

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興宣君 李昰応(イ・ハウン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1821年1月24日
没年月日:1898年2月22日

名前:李昰応(イ・ハウン、り・かおう)
称号:興宣君
父:李球(南延君)
母:驪興閔氏(郡夫人)
妻:驪興閔氏(驪興順穆大院王妃)
側妻 李氏

子供:
長男 李載冕(完興君)
次男 李㷩(高宗)
長女 李氏(趙慶鎬の妻)
次女 李氏(趙鼎九の妻)
庶子:
李載先
李氏(李允用の妻)
 

彼が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の23代純祖、憲宗、哲宗、26代 高宗時代です。

日本では江戸時代~明治の人になります。

おいたち

1821年(純祖20年)漢城(ソウル)の北部にある安東宮で生まれました。

父は南延君 李球。
李球は16代 仁祖の三男 麟坪大君から6代目の子孫。
麟坪大君は昭顕世子 や孝宗(鳳林大君)の同母弟です。

興宣君は王位継承からははなれた没落王族でした。

ところが21代 英祖の息子・荘献世子の三男・恩信君が相続人がいないまま死亡。李球は恩信君の養子になり「南延君」の称号が与えられました。

南延君 李球は英祖の子孫ということになったので王位継承の資格ができました。

その南延君 李球の四男として生まれたのが李昰応(イ・ハウン)です。

母は驪興閔氏。

8歳のときに兄の興寧郡李昌應が死亡。12歳のときに母親の閔氏が死亡しました。

父の南延君 李球から教育を受け、親戚の縁で金正喜の弟子になって文と絵を学びました。恵まれないながらも王族としての教育は受けていました。

13歳のとき母方の遠い親戚・閔氏と結婚。

17歳のときに父親の南延君 李球が死亡しました。

1834年(純祖34年)。興宣副正、資信大夫に任命されました。その後も幾つかの役職を経験。

1843年(憲宗9年)。孝顕王后守陵官になり「興宣君」の称号が与えられました。

1847年。宗親府の有司堂上になりました。宗親府は王室から分かれた李氏の一族を管理する部署です。

6月。清朝に訪問する冬至使に選ばれましたが病気を理由に断りました。その後、使節が派遣される時に使節団に加わり北京に行きました。

興宣君が宗親府にいたころ。宗親府の権限拡大を行い王族の地位を高めようとしました。当時、朝廷で力を持っていたのは安東金氏でした。そこで興宣君は安東金氏に接近して政治的な取引を試みました。

両班からは相手にされないことも多かったのですが、金炳学(キム・ビョンハク)や金炳国(キム・ビョンクク)からは援助をひきだしていました。金炳学や金炳国との人脈は後の政治活動に役立ちました。

また、自分が描いた絵を両班たちに売って資金を得ていました。

国王候補から外れる

1849年。憲宗が23歳で死去。憲宗には後継者がいませんでした。このとき興宣君は王族として次期国王候補になりました。でも安東金氏の思惑で選ばれず。江華島にいた李元範(イ・ウォンボム)が選ばれました。哲宗の誕生です。

李元範は英祖の次男・荘献世子のひ孫。

興宣君も英祖の子孫という事になってますが、実際には仁祖の三男・麟坪大君の子孫なので血すじとしては遠いです。

自分が王になれなかったという挫折感は「自分の息子を王に」という野心につなかったのかもしれません。

その後も司僕寺提調、五衛都摠府都摠管などをつとめました。いずれも実権のない名誉職です。

哲宗の時代

哲宗が即位。引き続き安東金氏のが力をもつ世の中が続きました。安東金氏は王族を厳しく監視しました。

興宣君は弾圧を逃れるため、遊び人の無能な王族として振る舞いました。

興宣君は両班たちに金銭を要求しに行きました。また昼間から酒を飲み妓生たちを遊んでいました。両班たちはそんな興宣君を見て「宮道令」とバカにしていました。

多くの両班が興宣君を侮辱して相手にしなかったのに対して金左根(キム・ジャグン)は興宣君に金銭を与えました。金左根の養子・金炳冀(キム・ビョンギ)は表立って嫌がらせはしませんでしたが興宣君を無視していました。

あるとき興宣君は金炳冀を訪れ長男の李載冕(イ・ジェミョン)を科挙に合格させてくれるように頼みました。金炳冀は無視しました。でも安東金氏の派閥に属していた者たちは露骨に嫌がらせをするものもいました。

最大派閥の安東金氏の一部とつながりを作る一方で、安東金氏の敵対勢力・豊壌趙氏にも接近しました。

後継者を巡って政治工作

哲宗には跡継ぎがなく病気で寝込むようになりました。

朝廷では誰を後継者にするか話題になっていました。すでに安東金氏によって有力な王族が粛清されていたのでめぼしい後継者がいません。

そこで興宣君は自分の息子を王にしようと動き出します。

宮廷の宦官や女官に賄賂を送り自分の味方に引き込みました。承侯君 趙成夏とも親しくなりました。そうして得た人脈を使って趙大妃(神貞王后、憲祖の生母)とも知り合いました。

興宣君と趙大妃は何度も会い、神貞王后の次男の李命福(イ・ミョンブク、後の高宗)を後継者にしようと話し合いました。長男の李載冕ではなく、次男なのは当時10歳で幼かったから。神貞王后は垂簾聴政をしたいと思っていましたし。興宣君も自分が政治がしたいと思っていました。

哲宗の没後、長男が即位する頃には李載冕は成人していて、自分で政治ができます。でも李命福なら垂簾聴政ができます。

神貞王后と興宣君の思惑は一致しました。

以前から親交のあった安東金氏の金炳学や金炳国らも味方にして、李命福が王になったら安東金氏から正室を迎えると約束しました。

金左根や金炳冀、金氏一族の哲仁王后 金氏は反対しました。

こうして趙大妃、豊壌趙氏と安東金氏の一部を味方にしました。

次期国王は興宣君の次男・李命福の流れが出来上がりました。最終的には金左根たちも興宣君親子は無能だから驚異にはならないだろうと考え、興宣君の次男が王になるのを認めました。

1864年1月。哲宗が死去。趙大妃は李命福に「翼成君」の称号を与えました。趙大妃は重臣たちの意見を聞き国王に任命しました。高宗 李㷩(イ・ヒ)の誕生です。

興宣大院君として政治に参加

息子が王になったので興宣君の称号は「興宣大院君(こうせんたいいんくん、フンソンテウォングン)」になりました。

朝廷では興宣大院君の立場について議論になりました。過去にも実の父が王を経験していない王族が国王になることはありました。でも実父の死後に王になった例ばかり。実の父(国王未経験)が生きているのに息子が王になった例はありません。

国王以上の地位を与える代わりに政治に参加できない地位を与える。という意見もありましたが、垂簾聴政をする趙大妃の補佐。という形で政治に参加できるようになりました。

興宣大院君の政治参加に反対したのは金左根や金炳冀と彼らの仲間です。趙大妃、豊壌趙氏と安東金氏の一部が興宣大院君に味方したので金左根たちの反対意見は認められませんでした。

そして趙大妃が垂簾聴政するといっても政治経験のない大妃が政治を動かすのは無理。実際には趙大妃が興宣大院君に政治の全権を委任することになりました。

こうして興宣大院君は朝廷の中で権力を得て政治を動かす立場になったのです。

興宣大院君はただ権力がほしかったのではありません。興宣大院君にはやりたい政治改革がありました。朝廷の権力を独占する両班の力を弱め、王族の地位を高めること。勢道政治のもとで乱れた政治を治すことです。

 

極貧生活ではなかった?

興宣君は瓦葺きの屋敷に住んでいました。漢城(ソウル)といっても瓦葺きの屋根の家に住めるのはごく一部の金持ちだけです(韓国時代劇のように立派な家が立ち並んでいるわけではなく、ほとんどが藁葺きの屋根でした)。

興宣君は王宮への出入りも認められていました。哲宗からは「手ぶらでは王宮に来ない」と褒められていました。王宮に行くときは手土産を欠かさないのです。宮中の人々に賄賂も送っていました。

本当に貧しかったらそんなことができるはずがありません。財産の多くを政治工作の資金に使っていたのかもしれません。

確かに興宣君が王族としては恵まれない生活を送っていたのは確かなようです。金持ち両班からは馬鹿にされていたでしょう。でも作家の作った物語によって極貧生活が誇張されすぎているようです。興宣君がならず者たちと付き合ったり、乞食のような格好でうろついていたのは作り話といわれます。

裕福とはいえない中から賄賂や政治資金を捻出しなければいけませんから。両班をまわって金銭を要求したり、絵を売ったりもしました。安東金氏などから見たらみすぼらしい格好に見えたのでしょう。そうした行動に尾ひれがついて現実以上に極貧生活の話が独り歩きしたのかもしれません。

 

高宗即位後の興宣大院君はこちら。

興宣大院君 李昰応(イ・ハウン)の後半生。

 

 

テレビドラマ

明成皇后 2001年、KBS 演:ユ・ドングン
Dr. JIN 2012年、MBC 演:イ・ボムス
朝鮮ガンマン 2014年、KBS 演:ユン・スンウォン
ミスター・サンシャイン 2018年、TvN 演:チェ・ジョンウォン
緑豆の花 2019年、SBS 演:チョン・グックァン
風と雲と雨 2020年、TV朝鮮 演:チョン・グァンリョル

 

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