恵妃は納蘭家の人じゃないのになぜ納蘭氏になってるの?

清王妃側室1.2 清の皇后妃嬪皇太后

清朝の康煕帝には「恵妃」という側室がいました。

皇后亡き後の後宮では大きな力をもっていた妃の一人です。

ドラマでは「恵妃 納蘭氏」とよばれることも多いです。

ところが現実の恵妃は納蘭家の人ではありません。

だから恵妃は納蘭明珠の娘や姪ではありません。納蘭容若(性徳)の姉でもありません。

恵妃と納蘭家の人々は他人です。

恵妃は烏拉那拉氏でした。

でもなぜ納蘭氏になってしまったのでしょうか?

恵妃がドラマなどで納蘭氏にされてしまう理由を紹介します。

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ドラマの設定

まずドラマでは恵妃がどんな設定になっているのか見てみましょう。

最近日本で公開されたものだけでもこのくらいあります。

花散る宮廷の女たち
恵妃 納喇氏
第一皇子の生母、第八皇子の養母
納蘭明珠との関係は不明。

皇帝の恋
恵妃 納蘭
子供は未登場
納蘭明珠の娘、納蘭容若の姉。

宮廷の茗薇
納蘭貴妃
子供は未登場

(赤字は史実と違う設定)

古いドラマや小説を入れればもっとあります。

日本語版 ウィキペディアでも「恵妃 (康熙帝)」のページを見ると。

恵妃 (康熙帝)
重臣ミンジュ(納蘭明珠)の従姪。

出典:ウィキペディア 

と書かれているくらい。

ウィキペディアは素人が書いているのですべて正しいとは限りません。

勘違いの原因は「永憲錄」という本

乾隆帝時代に蕭奭という人が書いた「永憲錄」という本には

「明珠,武英殿大學士、太子太傅兼禮部尚書,在康熙二十年間專權任事,妹為貴妃,生皇長子」

出典:永憲錄

と書かれています。

納蘭 明珠(ナラン・ミンジュ)の経歴が書かれているので前半は省略しますが。
最後に「妹は貴妃。第一皇子を産んだ」と書かれています。

史実では康煕帝の第一皇子・胤禔(いんし)を産んだのは 恵妃です。

でも恵妃は「貴妃」にはなってません。

すでにこのあたりから怪しいのですけれど。

この第一皇子の母・貴妃は「明珠の妹」と書かれています。

明珠とはもちろん納蘭 明珠のことです。

これを読めばたいていの人は「第一皇子の母は明珠の妹なんだ」と思います。

ネタ本は「ボクの考えた清朝史」

「永憲錄」は清朝時代の漢人の知識人・蕭奭が書いた歴史の本です。

ドラマ「瓔珞」で乾隆帝がニオフル氏の息子ではなく漢人女性・銭氏の息子になっていましたよね。それも「永憲錄」にそう書いてあるからです。

ところが「永憲錄」は個人的に集めた資料をもとに書いてあるので勘違いも多く。あまり信憑性は高くありません。

でも朝廷の記録よりも「永憲錄」の方が面白いのです。「乾隆帝の生母の件」なんかはとくにそうですね。

「永憲錄」を見て「朝廷の記録は信用できない、民間の学者が書いたのが真実だ」と考える人もいます。

こういった「野史=公式の記録ではなく世間の人々が作った話・歴史の記録風の物語」もすべてが嘘ではありません。正史にない部分を補う手がかりになることもあります。

でも「こちらが真実」と信じきってしまうのは問題です。

SNSのフェイクニュースを真実だと信じて政府の発表を信じない心境に近いでしょうね。

ナラの書き方はてきとう

あともうひとつ。理由があります。

満州人(女真・女直)はヌルハチが統一するまでは、いくつかの国や部族にわかれていました。

満洲

ヌルハチのマンジュ国に対抗していたのが、4つの部族が集まって作ったフルン四国です。フルン四国の王家は「ナラ」と名のっていました。

「ナラ」とは満洲語で「太陽」の意味。

「ナラ」+「住んでる地名」で「ウラナラ」「イェヘナラ」「ハダナラ」「ホイファナラ」と名のりました。

でもこのころの満州人(女直・女真)は漢字を使わずモンゴル語やモンゴル語をもとにした満洲語で書いてました。

清朝時代になると満州人も漢字を使うようになりました。

すると適当な当て字を使って姓名を書きました。

「烏拉那拉」と書いて「ウラナラ」と読みますが。漢字に意味はありません。

日本の万葉仮名と同じで漢字の発音だけを利用しているのです。

だから「ナラ」の書き方も「那拉」「納喇」「納蘭」「納懶」などさまざま。家や人によって違います。

中国人なら漢字の違いは大きな問題です。満州人は発音が重要なので漢字の違いはあまり意味がありません。

だから恵嬪や恵妃に任命したときの記録にも「恵妃納喇氏」と書いていたりします。「ナラ」の部分だけですませることもありました。

恵妃の実家は ウラ地方の ナラ氏。だからウラナラ。

「ウラナラ」と読めれば「烏喇納喇」でも「烏拉那拉」もいいです。

後の時代の中国人が「恵妃納喇氏」を見て「恵妃は納喇氏だ。納喇は納蘭だ」と思っても不思議ではありません。

納蘭 明珠・容若(性徳)はイェヘナラ氏

「ウラナラをナラって省略するのはわかった。」

「じゃあ納蘭 明珠の納蘭もウラナラを省略したんじゃないの?」

と思うかもしれません。

ところが納蘭 明珠の家系ははっきりしています。

イェヘナラ(叶赫那拉)氏の首長・ジンタイシ(金台石)の孫。

ジンタイシのイェヘ国はヌルハチのマンジュ国と激しく対立しました。でもヌルハチに破れてヌルハチの配下になりました。

ジンタイシの孫が納蘭 明珠です。

なので、明珠は叶赫那拉(イェヘナラ)氏。

明珠の家は名字を「納蘭」と書いていました。

容若(性徳)が明珠の息子なのは事実です。

明珠の親戚に恵妃の父と同名の人がいた

恵妃の父は烏拉那拉(ウラナラ)索爾和(ソルホ)

史実では恵妃の父は索爾和(ソルホ)といいます。

索爾和(ソルホ)は烏拉那拉(ウラナラ)氏を名乗っていました。
内務府の正黄旗包衣人なのであんまり地位は高くありません。

索爾和(ソルホ)は五品郎中でした。

烏拉那拉(ウラナラ)氏は名門です。
ドルゴンの生母アバハイ(孝烈武皇后)もウラナラ氏です。
ホンタイジの継室にもウラナラ氏がいます(ただし離婚)。

索爾和(ソルホ)がウラナラ本家なら旗人(貴族)になれたでしょう。

でも恵妃の父はウラナラ氏の直系ではなかったので内務府正黄旗の包衣(社会的な地位は平民)でした。

明珠の従兄弟も索爾和(ソルホ)

ところが納蘭 明珠の従兄弟にも索爾和(ソルホ)という人がいました。

こちらの索爾和(ソルホ)はイェヘナラ首長ジンタイシの孫。

明珠の父と索爾和の父は兄弟。

叶赫那拉 索爾和は包衣になったことはありません。
こちらの 索爾和 は吏部侍郎。三品の官位です。
明珠ほどではありませんが副大臣クラスの人物です。順治11年に病死しています。

納蘭 明珠はイェヘナラの正当な家柄出身。
明珠は一品の官位につく重臣でした。

恵妃の父の官位が五品なので大きな差です。

恵妃が康熙帝の側室になったとき「格格級」の地位から始まりました。
恵妃が名門・納蘭(イェヘナラ)家の出身や明珠の姪ならもっと高い地位になれたはずです。

皇太子・胤礽派を攻撃したのは恵妃のためではない

明珠の最大の政敵は索額図(ソンゴトゥ)でした。

索額図は皇太子・胤礽を支え大きな派閥を作っていました。

そこで明珠は索額図派=皇太子派の人々を攻撃して失脚させていきます。

索額図の力を減らしたい明珠と、胤礽を皇太子の座から引きずり下ろしたい皇子たちと利害が一致。皇太子派を攻撃しました。

明珠が恵妃の親戚だから恵妃の息子・胤禔(いんし)を支持、皇太子・胤礽の廃位に協力したみたいに言われることがありますが。親戚関係はありません。

単に皇子たちと利害が一致しただけです。

勘違いが重なって恵妃は明珠の親族になった

恵妃の父は索爾和だった。
納蘭 明珠の家系にも索爾和がいた。

二人の索爾和が同一人物だったとしたら。

恵妃は明珠のになります。

だから現在でも多くの人が恵妃は明珠のだと信じています。

さらに。
「永憲錄」を書いた蕭奭はどこからかこの情報を知ったのでしょう。でも間違って伝わったのかもしれません。

だから蕭奭は「恵妃は明珠の」だと思ったのでしょう。

「永憲錄」が歴史の記録としてはズサンなのがわかるでしょう。

後の時代の人々も同じ時代に索爾和という人物が二人いたことや「永憲錄」に引きずられてしまいました。

だから恵妃は納蘭 明珠の妹や姪だと思われてしまったのです。

そして現代。

中国ドラマ「皇帝の恋」では恵妃は納蘭 明珠の娘になっています。

納蘭 明珠の娘ということは容若(本名は 性徳)の姉妹です。

小説家やドラマ製作者にとっては妄想の膨らむ素材ではありませんか。

「解釈」の範囲を飛び越えて、史実にとらわれず自由に作れるのが中国や韓国時代劇のおもしろいところです。

 

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