ドラマ「千秋太后」に登場するキム・チヤン(金致陽)は実在の人物。
ドラマでは高麗滅亡を目指す新羅王族の子孫という設定。千秋太后の愛人となります。
歴史上のキム・チヤンは新羅王族の子孫ではありません。
千秋太后の母方の親戚です。でも愛人となり子供ができるのは同じです。
ドラマと歴史のキム・チヤンはどう違うのでしょうか。
キム・チヤン(金致陽)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:1009年
名前:キム・チヤン(金致陽)
父:
母:
内縁の妻:千秋太后
子供:男子一名
彼が生きたのは~1009年。主に高麗王朝の5代景宗~8代顕宗の時代に生きた人です。
日本では平安時代の人になります。
おいたち
出身は洞州。千秋太后の母方の親戚でした。かつて僧侶をしていたといいますが、偽の経歴だともいわれます。
高麗5代国王景宗の妃・千秋太后は夫を亡くし黄州の千秋宮で暮らしていました。キム・チヤンは千秋太后の母方の親戚です。僧として千秋宮に出入りしていました。千秋太后と親密な仲になります。千秋太后のは18歳で未亡人となり、王宮で暮らす子供とははなればなれになりました。寂しい生活をおくる千秋太后の相談相手になり信頼を勝ち得たのかもしれません。
キム・チヤンと千秋太后の仲は噂になります。儒教を広めようとしてていた6代国王・成宗は激怒。儒教では女性の再婚は許されません。しかも元王妃がその教えを破ったとなると大問題です。キム・チヤンは島流しになりました。
成宗の死後、穆宗が即位しました。穆宗の母・千秋太后が摂政になるとキム・チヤンは流刑先から呼び戻されました。官職を与えられ要職につきます。その後も、何度も昇進を繰り返し大きな権力を得ました。多額の賄賂を受け取り大きな屋敷を建てて暮らしたといいます。
1003年ごろ。千秋太后との間に子供が生まれます。
寺に預けられていた大良院君(後の顕宗)を暗殺しようとしましたが失敗します。
1009年。自分の子を穆宗の次の王にしようと考えました。開京の近くの寺院に自分の部下を僧に偽装させて隠し、挙兵しました。
しかしその目論見は穆宗に見破られていました。穆宗は康兆(カン・ジョ)を城の守りにつけてキム・チヤンの兵を撃退。キム・チヤンは捕らえられ処刑されました。千秋太后は流刑になりました。
さらに康兆は穆宗を廃位させ顕宗を王にしました。キム・チヤンの挙兵はカン・ジョがクーデターを起こす原因になりました。
テレビドラマ
千秋太后 KBS、2009年 演:キム・ソックン
ドラマでは、キム・チヤンは新羅の王族の子孫という設定になっています。高麗滅亡のために千秋太后に近づきました。千秋太后に近づいたのは策略でしたが後に本気で好きになってしまいます。
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