昭憲王后沈氏(ソホンワンフ・シムシ)は李氏朝鮮第4代国王・世宗の正室。
韓国ドラマ「不滅の恋人(大君)」では大妃シム氏のモデルになった人物です。
史実の昭憲王后沈氏は一族が殺されるなど悲劇もありましたが、世宗との関係は壊れることなく夫を支え続けました。
朝鮮史上最も尊敬される王妃といわれます。
史実のどんな人物だったのか紹介します。
昭憲王后沈氏の史実
いつの時代の人?
生年月日:1395年
没年月日:1446年
名前:不明
称号:昭憲王后(ソホンワンフ、しょうけんおうこう)
本貫:青松沈氏
父:沈温
母:安氏
夫:世宗
子供:
長男:文宗
次男:世祖
三男:安平大君
四男:臨瀛大君
五男:廣平大君
六男:錦城大君
七男:平原大君
八男:永膺大君
長女:貞昭公主
次女:貞懿公主
彼女が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の3代太宗~4代世宗の時代です。
日本では室町時代になります。
おいたち
名門・沈氏の一族。父・沈温はは大司憲や工曹判書を勤めた重臣でした。
1408年。14歳で忠寧君(後の世宗)の正室になりました。
1417年。母が三韓國大夫人の称号を与えられました。
1418年。忠寧君が世子になると、沈氏は敬嬪になりました。
その年、太宗が譲位。忠寧君が国王になりました(四代国王・世宗)。
沈氏は中宮(王妃)になります。
沈氏が王妃になったことで父・沈温は王の義父となり靑川府院君の称号が与えられました。沈温は領議政にも任命され沈一家は一気に朝廷の中心勢力になるかに思えました。
ところが父・沈温が使者として明に行っている間に叔父の沈泟が不敬罪で逮捕され拷問されて死亡。沈温も帰国後に逮捕されて拷問の後、死亡しました。王妃の親族が力を持つことを恐れた太宗が言いがかりをつけて抹殺したのです。母・安氏と親族は役所の奴婢にされました。太宗は王妃沈氏も廃妃にしようとしました。
太宗は自分の妻の一族を処刑するなど外戚が力を持つのを極端に恐れました。親族が強くなり王家の力が弱くなるのを警戒したのです。
しかし当時の沈氏は妊娠中だったので廃妃にはなりませんでした。さらに世宗が必死に懇願したこと、多くの王子を産んだ功績があったことなどの理由で廃妃されずにすみました。
1426年には母と一族の名誉が回復します。
一族に悲劇は起こりますたが、昭憲王后沈氏と世宗の仲は良かったようです。世宗との間に8男2女が産まれました。しかし子供の何人かは若くして死亡します。
長女の貞昭公主は1424年に13歳で死亡。
1444年には五男の廣平大君、と七男の平原大君が死亡。
相次ぐ息子たちの死亡に心を痛めたのでしょうか。
1446年。昭憲王后沈氏は死去。52歳でした。
世宗はその後も生き続けましたが、王妃を迎えることはありませんでした。
昭憲王后沈氏と世宗の死後、息子たちは後継者争いで殺し合うことになるのですが。沈氏はその惨劇を見ることはありませんでした。
昭憲王后沈氏は夫を支え多くの子供を産み、理想の王妃とされます。また性格は温厚で優しいといわれましたが、後宮の規則を守らせ厳しく管理したようです。
昭憲王后沈氏は李氏朝鮮でも最も尊敬をうける王妃といわれます。
テレビドラマの昭憲王后
龍の涙 1996年、KBS 演:イム・ソヨン
大王世宗 2008年、KBS 演:イ・ユンジ、子役:ナム・ジヒョン
根の深い木 2011年、SBS 演:チャン・ジウン
ポンダンポンダン 王様の恋 2015年、MBC 演:チン・ギジュ
不滅の恋人(原題:大君)と史実の違い
昭憲王后沈氏は韓国ドラマ「不滅の恋人(大君)」では大妃シム氏のモデルになった人物。しかし歴史上は世宗よりも早く亡くなりましたが、ドラマでは夫よりも長く生きて後継者問題に関わったり後宮の長として大きな存在感をもちます。
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