中国ドラマ「長安賢后伝」のヒロイン・賀蘭茗玉(がらん めいぎょく)にはモデルになった人物がいます。
それが清朝の孝荘文皇后 ボルジギト ブムブタイです。
昭聖太皇太后ともいいます。
ホンタイジの側室で順治帝の生母。康煕帝の祖母です。
「長安賢后伝」は「孝荘秘史」のリメイク作品。
後金から清朝の時代が舞台だった「孝荘秘史」を唐から宋の雰囲気がある中華王朝に置き換えて再構成したドラマです。
賀蘭茗玉のモデルになったブムブタイとはどのような人物だったのか紹介します。
ドラマ「長安賢后伝」の賀蘭茗玉
雍臨郡主→蕭承睿的麗妃→蕭承睿的永寧殿賢妃→賢貞皇太后→太皇太后
雍臨国王・賀蘭明晢の孫娘。
賀蘭芸琪のいとこ。
賀蘭綰音、賀蘭克用の妹。
蕭啓元(大晟世祖)の母。
盛州の第九皇子 蕭承煦と相思相愛になりました。
ところが承煦が死んだことになり。蕭承煦の兄・蕭承睿と政略結婚することに。
あとで承煦が生きていた事がわかるのですが。どうしようもありません。やがて息子の蕭啓元が誕生。
蕭承睿の死後、蕭啓元の即位。
茗玉は賢貞皇太后になりました。
蕭啓元の死後。孫が即位。太皇太后になるのでした。
賀蘭茗玉のモデル・ブムブタイとは?
ブムブタイとホンタイジ周辺の相関図
モンゴルのお姫様
ブムブタイは17世紀に実在した女性。
本名はブムブタイ。姓はボルジギト(モンゴル語でボルジギン)
1613年3月28日。モンゴルのホルチン部で生まれました。
ボルジギンはチンギス・ハーンの子孫でモンゴルの王族。分家がそれぞれの民をひきいていくつかの部族に別れていました。ブムブタイの所属していたホルチン部もそのひとつ。
ブムブタイの父はモンゴル・ホルチン部の首領ジャイサン。
当時のモンゴルはチャハル部のリンダン・ハーンがハーン(モンゴル皇帝)になっていました。でも独裁的なリンダン・ハーンを嫌ったホルチン部は後金のヌルハチと同盟しました。そのとき政略結婚でホンタイジに嫁いだのがジェルジェル。ブムブタイの叔母です。
ジェルジェルはホンタイジの正妻になりました。
でもジェルジェルは自分に皇子が生まれなかったので一族から若い側室を迎えました。それがブムブタイでした。このときブムブタイは13歳。ホンタイジは34歳。21歳の年の差結婚です。まあこれでは愛情が持てなくても仕方ありません。
二人が結婚してまもなくヌルハチが死去。
ホンタイジがハン(王)になる
1636年。ホンタイジは大清皇帝に即位。
ブムブタイは「永福宮荘妃」の称号を与えられました。
1639年。ホンタイジの九子フリン(後の順治帝)を出産。
ブムブタイとホンタイジの仲は特に悪いとか書かれていませんが。特に仲良かったわけでもなさそうです。ブムブタイとホンタイジは親子ほど年が離れていますし。何人かいる妃の一人でした。
ホンタイジが最も寵愛したのは晨妃ハルジョル。
ブムブタイの姉です。最初はホンタイジ以外の人物と結婚していましたが、夫と死別したらしく戻ってきてホンタイジの側室になりました。ホンタイジはそのハルジョルを非常に愛したといいます。
ブムブタイとハルジョルは姉妹で寵愛を争うことになったわけです。このあたりはドラマのネタになりそうですね。
1643年。ホンタイジが死去。
息子フリン(順治帝)が清の皇帝になる
ホンタイジは後継者を決めてませんでした。満洲人はそういう習慣だったからです。後継者を決めるため王族会議が開かれました。ホンタイジの長男ホーゲやホンタイジの弟ドルゴンが有力でしたが。最終的にブムブタイの息子フリンが皇帝になりました。
順治帝の誕生です。
1643年。ブムブタイは皇太后になりました。
夫・ホンタイジの死後。権力を握ったのはホンタイジの弟のドルゴンでした。
ドルゴンと再婚した?
ホンタイジの死後。ブムブタイはドルゴンと再婚したという言われることがあります。清朝時代からこの噂がありました。歴史上はそのようは記録はありません。
確かに遊牧民の世界では王が死亡すると次の王は生母以外の前の王の妻を養うという習慣があります。女真人にもその習慣はありましたがホンタイジが廃止しました。
でも清朝に反感をもつ漢人たちが勝手な噂を広めたのです。中国史はこの種のフェイクニュースが多くて歴史家泣かせです。
でもその噂を今でも信じてる中国人や日本人もいます。正史より面白いので現代でもドラマや小説でドルゴンとブムブタイが結婚したとか、二人は恋人関係だったとか様々な物語が作られます。
「長安賢后伝」の元になった「孝荘秘史」もその設定。だから「長安賢后伝」の賀蘭茗玉も蕭承煦(ドルゴン)を愛しながらも、政略結婚で蕭承睿(ホンタイジ)と結婚したことになってます。
息子の順治帝フリンとドルゴンは仲が悪く。ドルゴンの死後、順治帝はドルゴン派を粛清しました。だからといってブムブタイがとくにドルゴンの家族や部下をかばったとかいう記録はありません。歴史上はドルゴンと特別な関係はなかったようです。
それよりブムブタイが頭を悩ましたのは息子の順治帝の女性関係でした。
順治帝は正室の皇后ボルジギト氏が気に入らず、側室の董鄂(トゥンギャ)氏を寵愛していました。結局一人目の皇后ボルジギト氏を廃してしまいます。二人目の孝恵章皇后もボルジギト家からが選ばれました。ブムブタイの姪です。でも孝恵章皇后と順治帝の関係は冷えていました。
董鄂(トゥンギャ)氏が病死すると落胆した順治帝も若くして病死します。
幼い康煕帝を支える
その後、康煕帝が即位。
太皇太后ブムブタイは幼い康煕帝をサポートしました。
呉三桂が反乱をおこしたときは実家のホルチン部を動かして首都北京を守っています。
ブムブタイは生前は皇后になったことはありませんが。死後、康煕帝によって「孝荘文皇后」の称号が与えられました。享年75歳。
ブムブタイは清朝の歴史で大きな存在感をもった女性でした。
ブムブタイの詳しい説明はこちらを御覧ください。
・「夫はイヤ、息子の近くに埋葬しろ」孝荘文皇后(太皇太后)ブムブタイの最後のわがまま
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