画珠(寧貴人)のネタバレ・モデルはいるの?[皇帝の恋]

皇帝の恋2 ドラマ人物

中国ドラマ「皇帝の恋・寂寞の庭に春暮れて」の画珠(がじゅ)は、ヒロイン・衛琳琅の友人。

宮中の辛者庫に務める宮女です。

衛琳琅が入宮したばかりのころに知り合った辛者庫の仲間。衛琳琅とは大の仲良しです。

辛者庫に務めながらも皇帝に見初められることを夢見ています。

そしてドラマ後半では何と康熙帝の側室になって寧貴人(ねいきじん)とよばれます。

寧貴人は実在したのでしょうか?

残念ながら寧貴人は実在しません。架空の存在です。

ではモデルになった人はいたのでしょうか?

直接モデルになった人はいなさそうです。でも似た境遇の人はいるかもしれません。

ドラマに登場する画珠(寧貴人)と、画珠に似た境遇の人。辛者庫から側室になった人を紹介します。

画珠は架空の人物なので人物紹介するとあらすじの紹介になってしまいます。ドラマのネタバレも含まれているのでご注意ください。

 

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画珠(寧貴人)のネタバレ

衛琳琅が入宮したころに知り合った辛者庫の仲間。

ドラマ冒頭では皇帝の衣装を治したいと引き受けたものの、結局手に負えずに衛琳琅に助けてもらいます。服を治したことで康煕帝からは褒美をもらいましたが。結局、康煕帝には相手にされませんでした。

康煕帝は衛琳琅が探していた娘だと知りますが。衛琳琅が納蘭容若に恋してると知った康煕帝はショックを受け酒浸りになります。

そのとき画珠は康煕帝の世話をして一晩中側にいました(一緒には寝てません)

衛琳琅をなんとか振り向かせたい康煕帝は、画珠を側室・寧常在(後に寧貴人)にとりたて、衛琳琅の嫉妬心を煽ろうとします。

画珠は自分が康煕帝から好かれていると思ってしまいますが。実は利用されていること知ってショックを受けます。

やがて康煕帝と衛琳琅は親しくなり愛し合うようになりますが。

画珠は面白くありません。康煕帝に嫉妬して衛琳琅との関係にもヒビが入ってしまいます。

でも最終的には衛琳琅とも仲なおります。

ところが長慶たちの康熙帝暗殺計画に巻き込まれ、命を落とすことに。

 

包衣から側室になった人は他にもいる?

ドラマでは画珠と衛琳琅は辛者庫の侍女から側室になりました。

残念ながら寧貴人は架空の存在です。

でも似た境遇の人はいるのでしょうか?

つまり、康煕帝時代に衛氏と近い年頃で辛者庫から側室になった人はいるのでしょうか?

ドラマのヒロイン衛琳琅は良妃 衛氏がモデル。

史実の良妃 衛氏はドラマと同じように辛者庫から側室になりました。でもチャハル親王アブダイの娘ではありません。生まれたときから衛氏です。

良妃衛氏は康熙14年(1675年)に14歳で入宮しました。

同期の入宮には

徳妃 烏雅(ウヤ)氏(孝恭仁皇后) 雍正帝十四皇子・胤禛の生母
定妃 萬琉哈(ワンリュハ)氏 十二皇子・允祹の生母。

がいます。

若いころの徳妃 烏雅(ウヤ)氏を登場させても面白かったのですけどね。

それはともかく。

衛氏(14歳)、萬琉哈氏(15歳)は包衣管領下人の娘。つまり辛者庫出身。
烏雅氏(16歳)も辛者庫所属ではなく父は役職をもっていましたが、正黄旗包衣出身です。

3人とも身分は高くありません。康熙帝の好み(容姿や性格)で選んだからといわれます。

辛者庫出身で同じ時期に入宮した側室。という意味では定妃 萬琉哈(ワンリュハ)氏が画珠(寧貴人)に近いですね。

ところがこの定妃が亡くなったのは乾隆22年。なんと96歳まで生きました。当時としてはかなりの長寿です。息子の十二皇子・允祹もいますし。短命の画珠(寧貴人)とは側室になった後の運命が違います。

でも画珠(寧貴人)のような境遇の人が実際にいたのは間違いありません。

 

他の皇帝の時代にも辛者庫出身の側室はいます。
ドラマによく出てくる雍正帝・乾隆帝時代だけでもこれだけいます。

雍正帝時代

謙妃 劉氏 六皇子 弘曕 の生母。
裕妃 耿氏 五皇子 弘昼 の生母。

乾隆帝時代

令皇貴妃 魏氏(孝儀純皇后) 嘉慶帝 の生母
儀嬪 黄氏
瑞貴人 索綽羅氏

辛者庫出身の側室は数は多くないです。でも前例がないほど珍しいわけではありません。

高い地位に付いている人もいます。

辛者庫の人たちは身分は庶民と同じ。王侯貴族からみれば地位は低いです。でも一般人から差別されるほど地位が低いわけではありません。むしろ王族に仕えているぶん一般庶民よりも社会的な地位は上です。

大勢の侍女の中から選りすぐりの美人で性格の良い人が選ばれます。名家出身の気難しい妃嬪よりも寵愛を受ける人もいます。

 

康熙帝の貴人

画珠は「寧貴人」の称号をもっていました。
康煕帝の時代にはどんな貴人がいたのでしょうか?

康熙帝の側室の中で最終的な地位が貴人だった人は16人います。

こんなに貴人がいるのに「寧貴人」という人はいません。

ところが康熙帝の在位中に貴人だったのは8人です。

その中で生前に貴人になったのは6人。
2人は死後に貴人になりました(死後に称号を与えるのを 追封 といいます)。

他の貴人は康熙帝在位中は常在でした。貴人よりも下のランクの側室です。彼女たちは雍正帝や乾隆帝の時代も後宮に残り「貴人」の称号を与えられました。後宮に入ると簡単には出られません。皇帝が亡くなった後も後宮で余生を過ごしていました。

貴人 郭絡羅氏 鑲黄旗人
 宜妃郭絡羅氏の妹。六皇女・恪靖公主、十九皇子・胤䄔の生母。没年不明。

布貴人 兆佳氏 包衣正白旗人
 五皇女・端靜公主の生母、没年:康熙56年(1717年)

新貴人 詳細は不明

尹貴人 詳細は不明

蘇貴人 埋葬されていません。
仙貴人 埋葬されていません。

蘇貴人、仙貴人は康熙47年までは後宮にいたことがわかっています。でも王室の墓地に埋葬されていません。墓に入れてもらえないほどの重罪だったのか、事情があって後宮から出たのかもしれません。記録がないのでわかりません。

袁貴人 没年:康熙58年(1719年)、死後 貴人に追封。
瑪貴人 死後、貴人に追封。

袁貴人、瑪貴人は常在の地位で死去。死後、貴人に昇格しました。

 

ドラマの寧貴人

皇帝の恋・寂寞の庭に春暮れて 2016年 、中国 演:張芷溪(ジャン・ジーシー)

 

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