凌蓁児(りょうしんじ)は実在する?モデルになったスマラとは?長安賢后伝

長安賢后伝2 ドラマ人物

凌蓁児(りょう しんじ)は中国ドラマ「長安賢后伝」の登場人物。

ヒロインの賀蘭茗玉の侍女です。

侍女と言いながらもかなり目立っていて。なんでそんなに出しゃばってるの?と思うこともあるかもしれません。茗玉にとっては侍女というより姉妹のような関係。実の姉妹よりも仲がいい人物なんですね。

凌蓁児(りょう しんじ)にはモデルになった人物がいます。

ブムブタイの侍女。スマラです。
ブムブタイは大清帝国 皇帝ホンタイジの側室。順治帝の生母です。

清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。

「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台でした。「長安賢后伝」は設定を唐の雰囲気がする中華王朝に置き換えたドラマです。

「孝荘秘史」では「蘇茉爾(スマラ)」の名前で登場。ヒロインの大玉児(ブムブタイ)の侍女としてわりと出番の多い人物でした。

凌蓁児のモデルになったスマラとはどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「長安賢后伝」の凌蓁児(りょう しんじ)とは?

演:梁婧嫻(リャン・ジンシェン)

賀蘭茗玉の侍女。

大相出身。故郷の大相が西斉に侵略され賀蘭茗玉に助けられました。それ以来、茗玉にずっと仕えよき理解者になりました。

中国版では「婢女」になっているので女の奴婢(奴は男、婢は女)の設定のようですが。仕える主人の身分が高いので庶民よりもいい生活をしています。

ほぼ常に賀蘭茗玉と一緒に行動して。侍女とは思えないくらい

凌蓁児も蕭承煦にあこがれていたのですが、主人の茗玉と張り合うことはなく。茗玉と蕭承煦を応援していました。

蕭啓翰から好かれていて、妻にしたいと言われますが。凌蓁児にはその気がなく賀蘭茗玉が断りました。蕭啓翰の生母・蘭昭儀が呪いの人形を使ったのを証言したので蘭昭儀は投獄されました。そのため蕭啓翰からは恨まれ婚姻の話はなくなります。

 

凌蓁児のモデルになったスマラとは

スマラは 孝荘文皇后ボルジギト氏(本名ブムブタイ)の侍女。

漢字では 蘇麻喇、蘇茉爾、蘇墨児と書かれていたりします。

1615年生まれ。ブムブタイが1613年生まれなので2歳年下。ブムブタイにとっては妹のような関係です。

モンゴル・ホルチン部の一般家庭で生まれ育ちました。ホルチン王族のボルジギト家で働くことになり、ブムブタイの専属侍女になりました。

ブムブタイとともに後金(清)で暮らす

ブムブタイがモンゴルから後金のホンタイジに嫁いだときも一緒にやってきました。後金の都でブムブタイと生活しはじめたスマラは満洲語の読み書きを正確に覚えました。もちろんブムブタイの日常の世話はこなして、ブムブタイから信頼の厚い侍女でした。

裁縫や服飾デザインの才能も優れていました。スマラはモンゴルの衣装だけでなく満洲や漢人の衣装も研究。ホンタイジが清朝の制服をどうするか検討していたときブムブタイはスマラを推薦しました。スマラは朝廷の要求を聞き、モンゴルや満洲の伝統を受け継ぎつつ機能的なデザインの衣装を提案。その後の清朝の衣装の基礎を作りました。

ブムブタイが息子フリンを出産するとフリンの教育を担当しました。ホンタイジの死後。息子の順治帝フリンが即位します。

順治帝の時代

順治帝に息子の玄燁(後の康煕帝)が誕生。玄燁は幼いころ天然痘にかかり両親からは離されて育ちました。

当時、5歳だった玄燁の教育を担当したのがスマラです。スマラは玄燁にも読み書きを教えました。両親の愛情を知らない玄燁にとってスマラが唯一の家族といえる存在でした。

康煕帝の時代

順治帝の死後。玄燁が即位して康煕帝になりました。康煕帝は国書の書き方をスマラに教えてもらったと回想しています。

康煕帝時代の宮廷では孝荘太皇太后ブムブタイからはゲゲ(格格)と呼ばれていました。この場合のゲゲは「妹」の意味。康煕帝からは「額娘(お母さん)」。皇子や公主からは「嬤嬤(おばあさん)」と呼ばれていました。皇族からは家族のように慕われていまいた。(康煕帝の実母・佟佳氏は康煕帝の即位後まもなく死亡)。

ブムブタイとは姉妹のように仲が良かったのですが。孝荘太皇太后ブムブタイの死後。スマラはすっかり元気をなくしてしまいます。

気の毒に思った康煕帝は十二皇子 胤祹(いんとう)の養育をスマラに任せました。

胤祹の生母ワンリュハ氏は当時は側室としての地位を与えられていなかったので、自分では育てられませんでした(かなり後になって定妃に冊封)。そこでスマラが育てることになりました。スマラも妃ではなく侍女ですが、康煕帝が「母」と呼ぶ存在なので宮廷内での地位は高いのです。

スマラは再び生きがいを見つけて胤祹を育てました。康煕帝は皇子や大臣が党派を作るのを嫌いました。スマラは康煕帝の考えを忠実に胤祹に教え、野心をもたず権力争いにには加わらないように教育しました。

康煕帝の晩年には皇子たちた党派を作り後継者争いをしました。何人もの皇子が犠牲になっています。でも胤祹は争いには加わりませんでした。

晩年。高齢のスマラは寝込むようになりました。最期は胤祹に看取られて亡くなりた。享年80歳。

スマラは侍女とはいいながら重要な立場にいた人物です。

スマラが登場するドラマ

スマラはいくつかのドラマにも登場します。

もちろん「長安賢后伝」のもとになった「孝荘秘史」に登場します。

「皇帝の恋 寂寞の庭に春暮れて」では孝荘太皇太后の側近として「スマラ」が登場しますが。太皇太后とは一世代は歳が違いそうなほど若いです。

「王家の愛 侍女と王子たち」ではヒロインになりました。原題はそのものズバリ「蘇茉児傳奇(スマラ伝説)」

スマラとドルゴンとの恋が描かれます。孝荘秘史をスマラの立場から見たような内容です。こちらはスマラとドルゴンが本当に恋仲になってしまって。ブムブタイがわがままお嬢様として描かれている。という違いがあります。

「長安賢后伝」の凌蓁児が侍女なのになぜあれほど存在感が大きく描かれてるのか不思議に思うかもしれません。確かにスマラは侍女でしたがブムブタイにとっては妹のような存在で、順治帝・康煕帝など下の世代の皇帝にとっては母親のような存在でした。

侍女とはいえおろそかにできない人物です。

 

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