定遠君(ジョンオングン)は仁祖の父。
死後に「元宗」の諡を与えられました。
朝鮮史上初の庶子で死後に王の名を与えられた人物です。
史実の定遠君はどんな人物だったのか紹介します。
定遠君(ジョンオングン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1580年
没年月日:1619年
名前:李琈
称号:元宗、元宗定遠大院君
父:宣祖
母:仁嬪金氏
妻:具氏
子供
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に14代宣祖の時代です。
日本では戦国になります。
おいたち
1580年。14代朝鮮国王・宣祖の5子として産まれました。
母は仁嬪金氏。当時、もっとも宣祖の寵愛を受けていた側室です。
定遠君は同母兄の信城君とともに宣祖に愛された息子だったといわれます。
しかし宣祖実録には「性格が非道で放蕩生活をしていた」とも書かれています。臨海君以上の非道ぶりだったともいわれます。
それでも宣祖は溺愛していたので咎めるものはいませんでした。
1587年(宣祖20)。定遠君の称号を与えられました。具思孟の娘と結婚。
1591年。臨海君、光海君、信城君らとともに1等功臣になりました。
壬辰戦争(朝鮮出兵、文禄慶長の役)で宣祖を補助した功績で扈聖功臣2等になりました。漢陽から義州まで王を守った功績だといいます。光海君のように義兵を募集して抵抗活動していたわけではありません。
光海君が即位後は、定遠君の母・仁嬪金氏が光海君の政敵だった理由で政治的な活動は止めていました。
光海君を支持する大北派の監視を受けていました。
長男の綾昌君が謀反の疑いで処刑されたため、心を病んで酒浸りになり死亡しました。
このことは次男の綾陽君が光海君に対して謀反を起こす理由になりました。
定遠君の没後、息子が王になる
彼の死後、綾陽君が謀反を起こし王になります。
仁嬪金氏の息子を王にする夢は叶いませんでしたが、孫が王になったのです。
そして仁嬪金氏の宿敵だった恭嬪金氏の息子・光海君を追い落としての即位だったのは宿命的です。
息子の綾陽君が即位したあと、定遠君には「元宗」の諡が与えられました。王様扱いになったのです。
テレビドラマ
宮廷女官金尚宮 KBS 1995年 演:イ・ジェヨン
王の女 SBS 2003年 演:ソン・ジョンボム
王の顔 KBS 2014年 演:ソ・ヒョンソク、バク・ジュンモク
華政 MBC 2015年 演:チャン・スンジョー
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