韓国時代劇「朝鮮ガンマン」で キム・ホギョンの父として登場する。旧守派の重臣キム・ビョンジェにはモデルになった人がいます。
金炳始(キム・ビョンジェ)という、旧守派の重臣です。開化派と対立し、外国との関わりを嫌う保守的な人物でした。
史実の金炳始はどんな人物だったのか紹介します。
金炳始(キム・ビョンジェ)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1832年
没年月日:1898年
名前:金炳始(キム・ビョンジェ)
号:蓉庵
本貫:安東金氏
父:金應根
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に25代哲宗~26代高宗の時代です。
日本では明治時代になります。
おいたち
李氏朝鮮末期に政権を独占していた安東金氏の一族。
1855年(哲宗6年)。科挙の文科に合格。
1860年。校理。
1862年。吏曹参議。
1870年(高宗7年)。忠清道観察使。
1882年。壬午軍乱のあど三軍府知事を勤めました。
1884年。金玉均など開化派が壬午軍乱を起こすと、開化派と対立。清に救援を求め開化派を追い出しました。旧守派だけで内閣を組織しました。
外務衙門督辦になり、全権大臣としてイタリア、イギリス、ロシアと修好通商条約を結びました。
右議政や左議政を歴任。
1894年。東学農民運動が起こります。大規模な農民たちの反乱です。朝鮮は軍隊を派遣しましたが、反乱軍相手に敗退。結局反乱を鎮圧できず清に協力を求めました。
清が朝鮮国内に軍隊を送ったことにたいして日本が介入します。清と日本の間にはお互いが朝鮮国内で軍を動かすときにはもう一方の国も派兵できるという条約が結ばれていたからです。
東学農民運動鎮圧後、領議政になりましたが、日清戦争がはじまると辞任して軍國機務處督辦になりました。
1895年。成人男性の上方を西洋式にあたらめる断髪令がでましたが反対しました。
このとき、高宗にあてた上訴文には朝鮮は中華の子孫であり、礼法を守る小中華だと言っています。伝統や古い考えを重視する人物だったことがわかります。
1896年。高宗がロシア公使館に逃げ込み(露館播遷)親露政権ができました。このとき内閣総理大臣に任命されました。しかしこのときロシアの支援を受けていた李範普らが主導権をとっており、金炳始は実際には大臣としての職務は果たしていなかったようです。
1898年。死亡します。享年66歳。
古い考え方や体制にこだわり、開国や改革に反対していました。閉鎖的で他国との関わりも嫌っていました。典型的な古い両班だったようです。
金炳始には庶子の息子が二人いました。でもキム・ホギョンという名の庶子はいません。ドラマ「朝鮮ガンマン」のキム・ホギョンは架空の存在です。
ドラマのキム・ビョンジェも実在の金炳始とはかなり違います。キム・ビョンジェはドラマラストの政変(壬午軍乱)で命をおとしますが、実在の金炳始は生き延びました。
金炳始は開化派と対立し古い体制を守ろうとした朝廷の実力者という点では同じです。
テレビドラマ
朝鮮ガンマン 2014 KBS 演:アン・ソクファン
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