ドラマ「星漢燦爛」の宣皇后は美しく聡明な女性ですが幼い頃に父をなくし叔父の政治の道具となって文帝と結婚しました。
彼女は皇后になりましたが、夫の文帝と越妃の関係に悩みながらも息子たちを愛し後宮を穏やかに治めていました。
でも運命のいたずらによって皇后の座を降りることになってしまいます。
「星漢燦爛」の宣皇后にはモデルになった人物がいます。後漢の光武帝の最初の皇后だった郭聖通です。
この記事ではドラマ「星漢燦爛」の宣皇后と歴史上の郭聖通二人の皇后の生涯を比較。それぞれの共通点と相違点を探ります。
なおこの記事はネタバレを含みますのでご注意下さい。
ドラマ「星漢燦爛」の宣皇后とは
宣皇后はドラマ開始時点では文帝の正妻。皇后として登場します。
地位:皇后
父:死亡
母:不明
弟:有り
叔父:乾安王
夫:文帝
子供:太子、五公主
文帝と政略結婚
宣皇后の名前は宣神諳(シュエン・シェンアン)。
彼女の父は、彼女が幼い頃に亡くなりました。
そのため母と弟とともに叔父の乾安王を頼って暮らしていました。
その後、文帝と乾安王が同盟を結び、宣神諳は文帝と結婚することになりました。
当時すでに文帝には幼馴染で好き会っている越姮がいましたが。文帝は乾安王の持つ戦力を味方にするために宣神諳との結婚を選んだのです。
皇后になっても複雑な心境
結婚後、宣神諳は皇后となり長秋宮で暮らしています。
越姮も文帝の側室となり越妃と呼ばれます。宣皇后は嫉妬を見せることなく越妃とは姉妹のように仲良くしています。
でも文帝と越妃の深い愛情を目の当たりにして、内心では複雑な感情を抱いていました。
二人の子供
宣皇后には文帝との間に二人の子供がいます。
- 太子
長男は皇帝の跡継ぎになりました。悪い人物ではないものの、人に利用されやすく。あまり有能とは言えません。 - 五公主
皇帝の五番目の娘。皇帝と皇后の娘としてそだったせいかわがままで偉そうにしています。でも都合が悪くなると母に泣きつく面も。
・養子
文帝の義子・凌不疑を我が子のようにかわいがっています。
程少商との出会い
後宮では嫉妬を見せず穏やかに暮らしている宣皇后ですが、内心ではとても親しくしている文帝と越妃には複雑な気持ちでいます。
そこに程少商がお妃教育のために後宮にやってきました。宣皇后は上から押さえつけるようなことはせず、優しき導きます。そんな宣皇后を程少商は尊敬するのでした。
宣皇后も大胆で率直な程少商との交流を通じて、自分自身の感情にも向き合うようになり、気持ちに変化が出てくるのでした。
皇后の位を退く
ドラマ後半。ある大事件の後。太子が皇帝の器ではないことを悟り、太子の命を守るために自ら退位を申し出ます。そのうったえは認められました。
太子は東海王に格下げ。
宣皇后は皇后の位を廃されて東海王太后となります。
程少商は凌不疑との婚約を破棄した後、東海王太后の世話をするため長秋宮に入りました。
東海王太后の最後
東海王太后となった宣神諳は病となり最期のときが迫ってきました。程少商は名医を探しに向かいます。凌不疑は宣神諳の病を聞いて辺境の地から戻ってきました。そして程少商と再開するのでした。
そこに東海王太后が危篤の知らせが届きます。
東海王太后は生涯を閉じる前に程少商に自分の遺品を故郷に送るよう託しました。
そして波乱の生涯を閉じるのでした。
次に宣皇后のモデルになった郭聖通を紹介します。
宣皇后のモデル・郭聖通の生涯
郭聖通(かく・せいつう)は後漢の初代皇帝・光武帝 劉秀の最初の皇后です。
西暦6年ごろ。郭聖通は河北の資産家で名門の家に誕生。幼い頃に父を亡くし、弟とともに母に育てられました。
前漢王室は8年に滅亡。王莽の新が建国しましたが世の中は混乱。各地で野盗がはびこり反乱も起きていました。
劉秀と叔父の同盟で劉秀と結婚
郭聖通の叔父・劉楊は前漢時代は真定王の地位にいましたが、王莽に剥奪されていました。劉楊は十万の軍隊をもっています。
天下を狙う劉秀は劉楊を味方にするため、郭聖通を妻に迎えました。
劉秀にはすでに陰麗華という正妻がいましたが、同盟のために郭聖通を正妻、陰麗華を側室にしています。
後漢の誕生。郭聖通は皇后になる
彼女の叔父は劉秀に兵力を貸し、郭聖通自身も劉秀を支えました。やがて劉秀は皇帝に即位。混乱した中国を再び統一しました。
劉秀から始まる王朝は後漢、劉秀は光武帝と呼ばれます。
郭聖通は皇后に。郭聖通の息子・劉彊が皇太子になりました。しかし真定王 劉楊が謀反の疑いをかけられて殺害されました。
皇后を廃されてしまう
光武帝 劉秀はもともと好きだった陰麗華を寵愛。皇后 郭聖通と光武帝の仲は疎遠になり。皇后 郭聖通は皇后を廃されました。新しい皇后には陰麗華がなりました。
次男の劉輔が中山王だったので郭聖通は中山王太后と呼ばれました。
郭聖通の息子・劉彊は皇太子から廃されませんでしたが。劉彊は自ら皇太子を辞退。陰麗華の子が皇太子になりました。劉彊は東海王となります。
郭聖通は皇后を廃された後も中山王太后、沛太后などの尊称で呼ばれ、一定の地位を保ちました。でも光武帝の寵愛を失ったことや、外戚の権力が増大するのを恐れた光武帝の政策により郭一族は徐々に勢力を失っていきます。
52年。郭聖通は死亡。
歴史書ではよい評価を受けなかった郭聖通
歴史書には郭聖通は、嫉妬深い女性として描かれ良い評価は受けていません。光武帝の寵愛を失ったことや、外戚の力が大きすぎたことなどが影響しているようです。
でも劉楊の力がなければ劉秀は天下統一は難しかったでしょうし、彼女も劉秀を支え、後漢王朝創設に貢献したという事実も忘れてはなりません。
結局は劉秀に利用されて捨てられた女性だったのかもしれません。
宣皇后と郭聖通の共通点と相違点
ドラマ「星漢燦爛」の宣皇后と郭聖通の共通点と違うところをまとめてみましょう。
共通点
- 政略結婚: 二人とも政治的な理由で結婚を強いられました。
- 皇后の座: いずれも皇后の座に就きましたが、その後その地位を失いました。
- 複雑な家庭環境: 両者とも複雑な家庭環境で生きていました。宣皇后は早くに父を亡くして叔父に頼りました。郭聖通も父を早くに亡くしています。
- 息子を愛する母: 両者とも、息子を深く愛していました。
違うところ
項目 | 宣皇后(宣神諳) | 郭聖通 |
---|---|---|
性格 | 穏やかで優しく、程少商を慈しみながら教育した。 | 嫉妬深く、権力に執着した一面があったとされます。 |
廃后のいきさつ | 息子の適正と身の危険を案じて自ら辞退。 | 嫉妬深さや徳のなさを理由に皇帝の命令で廃された。 |
晩年 | 息子を案じながら静かに余生を過ごした。 | 皇后の座を奪われ、外戚の勢力も衰え、孤独な晩年を送った。 |
子供 | 太子(東海王)、五公主 | 太子(東海恭王)、沛獻王(中山王)、濟南安王、阜陵質王、中山簡王、館陶公主 |
歴史評価 | ドラマの中では悩みつつも優しい皇后として描かれている。 | 歴史書では嫉妬深い女性として描かれることが多い。 |
まとめ
宣皇后と郭聖通はどちらも皇后になりましたが、性格や廃位のいきさつなどが違います。
- 宣皇后は、ドラマの中で理想的な母親像として描かれており、視聴者に共感と感動を与えています。
- 郭聖通は、歴史書の中では必ずしも良い評価を受けていませんが、劉秀を支え、後漢王朝創設に貢献した人物なのはたしかなようです。
「星漢燦爛」は架空王朝のドラマで宣皇后も架空の人物ですが。明らかに漢王朝をモデルにしています。
宣神諳と郭聖通を比較することで、歴史上の女性たちの生き方を知りより深くドラマが楽しめると思います。
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