中国ドラマ「驪妃(りひ)」は 李沁(リー・チン)演じる沈驪歌(しん・りか)がヒロイン。
李沁(リー・チン)さんは「楚喬傳」元淳公主、「如懿傳」寒香見、「慶餘年」林婉兒、「狼殿下」馬摘星などヒット作にも出演しています。
「驪妃(りひ)」は中国南北朝時代の劉宗の時代が物語の舞台になっています。
沈驪歌と結婚することになる彭城王・劉義康は実在の人物。
沈驪歌は実在するのでしょうか?いなかったとしてもモデルがいるのでしょうか?
残念ながら「沈驪歌」は架空の存在。でも驪歌の実家という設定の沈一族は実在します。
そして「麗王別姫」で有名な「沈珍珠」とも繋がりがあるというのですが。
ドラマ「驪妃(りひ)」に登場する沈驪歌の紹介と沈一族について紹介します。
ドラマ「驪妃」の沈驪歌(しん・りか)
もとの名前は 沈嘉児(しん・かじ)
朱雀盟殺手→沈府大小姐→驪妃
彭城王側妃
犯罪組織・朱雀盟の一員。暗殺者として育てれられました。阿奴の姉のような存在です。
劉義康を暗殺しようとして失敗。阿奴は驪歌に形見の腕輪を託して捕まり死亡。
その後、驪歌の持つ腕輪を見た沈夫人が驪歌を実の娘だと思い込みます。18年前に行方不明になった沈嘉児というのです。そうして驪歌は沈家に娘として迎えられます。最初は沈家の娘は阿奴だと思っていたのですが。実は驪歌が沈家の娘だったことが判明。
沈廷章の長女になりながらも驪歌は阿奴を殺した陸遠を殺害しようとします。その途中、竟陵王・劉義宣とも親しくなります。
皇帝の命令で沈家の娘が彭城王・劉義康と結婚することになり。最終的に驪歌が嫁ぐことになりました。そして驪歌が本物の沈嘉児だとわかります。
劉義康とともに陸遠や王勉のたくらみを阻止。
ところが皇帝から「驪歌は処刑」の命令が出てしまいます。驪歌が朱雀盟の一員だったので生かしてはおけないというのです。
劉義康と驪歌の決断は?
というのがドラマの沈驪歌。
実在はしない、ではモデルは?
残念ながら沈驪歌は架空の人物。直接のモデルはいません。
彭城王・劉義康(りゅう・ぎこう)は実在の人物ですし。もちろん皇族の側室が暗殺者のはずがありませんからドラマの作り話なんです。
でも彭城王に側室がいてもおかしくはないので沈驪歌のポジションの人はいたはず。
じゃあ、彭城王に沈家出身の側室がいたかというとそれもわかりません。
沈驪歌の父・沈廷章(しん・ていしょう)も架空の人物。
ところが、沈廷章というか沈家にはモデルになったと思われる人物や一族がいます。
沈氏はどんな一族?
ドラマ「驪妃」の沈驪歌とその家族は呉興沈氏(ごこう・しんし)と考えて間違いありません。
呉興沈氏とは呉興郡(ごこうぐん:現在の浙江省湖州市)を本籍地にする沈一族。
後漢時代の役人・沈戎(しん・じゅう)という人が祖先。
後漢の最初のころ。賊の尹良という者を説得して降伏させたのを光武帝に認められ海昏侯の爵位を与えられました。ところが爵位を返上して引退。会稽郡烏程県に隠居しました。その子孫が呉興郡に移り住み呉興沈氏になったといわれます。
沈氏は士族という貴族階級の人たちですが力のある一族ではなく。後漢書や三国志をみてもこれといった役職についてません。
三国志の時代が終わり西普の時代になると沈氏は徐々に出世します。
沈驪歌の父にはモデルがいた?
劉宋の時代になると、王氏にはかないませんがそれなりに有力な一族の仲間入りをしました。
劉宋の前半には沈慶之(しん・けいし)という人物が登場。
沈戎の息子・沈景の子孫です。
反乱を鎮圧したり、ドラマ「驪妃」の舞台になってる3代皇帝・文帝の時代には北魏との戦いで手柄をたてています。
沈慶之は沈驪歌の父・沈廷章(しん・ていしょう)のモデルになったと思われる人物です。
沈慶之は劉宋の功労者で文帝の時代を生き抜いて4代皇帝・孝武帝の即位に貢献しました。でも劉宋の5代皇帝・前廃帝の命令で息子ともども殺害されてしまいます。
前廃帝 劉子業(りゅう・しぎょう)は暴君で廃されてしまうので「前廃帝」という不名誉な呼び名がついています。それはともかく。
殺された時期はずれますが、国に貢献した沈一族の将軍が権力争いに敗れて殺害される。という流れはドラマの沈廷章と同じです。
沈慶之に娘がいて彭城王・劉義康の側室になったという話はありませんし。沈慶之と彭城王が特に親しかったという記録もありません。
ところが彭城王と沈一族は縁があるのです。
彭城王と沈氏の意外なつながり
彭城王・劉義康(りゅう・ぎこう)は、病弱な兄・文帝にかわって政治を行っていました。ところが部下たちが勝手に劉義康を皇帝にしようと活動したので謀反人扱いされてしまいます。文帝からも嫌われて地位を奪われ地方の安成郡に流罪になりました。
その安成郡で劉義康を助けたのが将軍の沈邵(しん・しょう)でした。沈邵は劉義康に安成公國相の地位を与え防衛の指揮をとらせました。
この沈邵も呉興沈氏です。
結局、安成郡でも劉義康を皇帝にしようと担ぐ人が現れ、謀反人にされた劉義康は自害させられるのです。
そのころには沈邵は生きていません。
沈戎の息子・沈滸の子孫。沈滸系の方が嫡流になるのですが、歴史上は中央で活躍した沈慶之の方が知名度が高いです。
沈一族は貴族だったが没落
ドラマ「驪妃」では沈家は庶族だと言われ地位の低い家柄のように描かれています。たしかに王氏や謝氏からみれば地位の低い家です。田舎豪族くらいにしか思われてなかったでしょう。
でもドラマで描かれる劉宋の時代にはまだ士族(貴族)ですし。将軍になれる家柄です。庶民からみれば十分高い地位の家柄です。
その後。沈氏一族は政治家や軍人では目立つ人が登場せず学者や文化人としての活躍が目立つようになります。
陳が滅ぼされ隋の時代になると呉興沈氏は没落。寒門庶族になってしまいました。(寒門=低い家柄)
ところが唐の時代になって再び注目を集めます。
中国ドラマおなじみの「あの人」が呉興沈氏から登場するのです。
[驪妃]沈驪歌の実家は[麗王別姫]沈珍珠の祖先?
沈一族に宇文邕の正室がいた?
初代の沈戎から数えて15目の子孫。沈勰は梁の安陸太守でした。でも北周に攻められて降伏。北周に仕えます。沈勰の娘は北周武帝 宇文邕(うぶん・よう)の妻になりました。
宇文邕といえば「独孤伽羅」「独孤皇后」でおなじみの皇帝。
北周武帝 宇文邕の正室は阿史那(アシナ)氏が有名ですが。沈氏もいたようなのです。
いたようなのです。とあいまいなのは北周の歴史書には載っていないから。でも沈一族のの墓石には載っています。
若くして死亡したのか、宇文邕が皇帝になる前に死亡したのか。詳しいことはわかりません。宇文邕が阿史那氏と結婚したのは皇帝になってから。
それまで妻がいないのは不自然ですし。皇帝になる予定のなかった宇文邕ですから亡命した南朝側の貴族の娘と結婚しても不思議ではありません。
どちらにしても沈氏は北周の歴史では存在は認められていませんし。ドラマにも出てきません。
唐の時代に沈珍珠が登場
さらに沈勰の4代後の子孫が沈易直(しん・えきちょく)。
沈易直の娘が沈珍珠(しん・ちんじゅ)
「麗王別姫」のヒロインですね。
沈珍珠は広平王・李俶(り・しゅく)の側室。
広平王は唐の11代皇帝・代宗に即位。
息子の徳宗・李适が即位。「睿真皇后(えいしんこうごう)」の称号が与えられています。
睿真皇后の詳しい説明はこちらを御覧ください。
沈驪歌は架空の人物でした。でも沈驪歌の父はモデルがいます。もしかしたら驪歌の立場にあたる人はいたかもしれません。
300年の時を経て沈驪歌と沈珍珠がつながっていると思うと。感慨深いですね。
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